そうだ京都でお坊さんになろう

お坊さんになるまでの道のりを書いていきます。

教科書が沢山やってきた

2023-02-28 22:20:03 | 日記
それから何回か法話を聴きに行き、月日を重ねていたら中央仏教学院に無事入学が決まった。

いくつかの書類を提出して学費などを払い、あとは開校を待つだけ……と思っていたら授業で使う教科書などを購入しておくようにとお知らせが来た。

お知らせを読んでいると一番良く使う教科書(以下、教本)以外にもお経の入ったCDや、『聖典』とよばれる「この一冊に全部詰まっています!」……的な本、あとはお作法やしきたりなどが書いてある本などを購入してほしいとのことだった。

勉強をするのに教本も必要だし教本に書いていないことをサポートするための参考書のような役割になるであろう聖典もいるだろう。

でも……

でも……

CDって。

CDプレイヤーもCDコンポも平成の中頃にとっくに処分してしまったので家には聴く機械がない。

かといってこのためだけに買うのは場所を取るから嫌だし、令和の時代なのだからできるならYou Tubeで配信してほしかった。もしくは音楽ファイルでくれたらスマホに取り込むのに……なんて恨み言を言ってしまいそうだけど考えてみたらお坊さんになる人はお寺さんの御子息/御息女でもない限りアナログ世代が多いのだろう。

その証拠に現在何度か通っている勉強会にも見たところ50後半から60歳くらいの人を多く見かける。その人たちに音楽ファイルを渡したところでおそらく聴くまでにかなりの時間がかかってしまうのかもしれない。

デジタル世代の僕らとしては多少不便なのだがアナログ世代の先輩方にしてみればお経CDはありがたいのだ。

立場を変えてみれば便利も不便に変わり、またその逆もしかりだと今更ながら学ぶことができた。

ちなみに件のお経CDは届いてから5ヶ月近くがたったが無開封のまま置いてあり、もっぱらYou Tubeで他寺のお坊さんがアップしたものを聴いて覚えている。(PCに取り込んでスマホに落とすのももはや面倒くさくなってしまった。)

それぞれのやりやすいように覚えていけば良いのではないかというのが僕の持論だ。

そして最後に聖典というものもあってこれが厄介なのだ。

まず重い。

聖書より重い。

タウンページと同じくらい重い。

勉強に必要なあらゆることが記載されていて、分割したら何冊かになるであろう書物を1冊にまとめているので1600ページくらいある。

なのでここまでくると本というよりも【鈍器】に近いし、おそらく【武器】にもなるだろう。

殺人現場で被害者が頭から血を流して倒れていて、傍らに血のついた聖典があったら、

「う〜ん、凶器はこの本ですな……」

って刑事も言うだろう。

しかもこれが2冊ある。

重い✕2だ。

しかしこの聖典様は単に重いだけじゃなくて勉強にかなり役に立つ。教本で抜粋している箇所の全文が載っているので授業(自習)の時はセットで使う。すべてを暗記するのは不可能だがこの先一生お世話になり、指針になるであろう本なので大事に大切にしていく所存だ。(重いけど)

この他にもあれやこれやといろいろあって全部で総額2万円くらいした。一生ものとはいえ結構なお値段だ。

これがショップチャンネルならショップバリュー価格でもう少しお手頃価格に、ジャパネットなら分割手数料負担&包丁セットがついて、さらに夢グループなら「夢……」と言う名前になって保科有里さんが「社長〜もう少しお安くなりませんか〜」と言ってくれるから最後は全部で一万円に……ってなるわけないか。

真面目に勉強しよ。

おわり

次回は「通信講座でお坊さんになるということ」を書く予定です。

引き続きよろしくお願いいたします。

南無阿弥陀仏





西本願寺に法話を聴きにいってみた

2023-02-20 22:21:31 | 日記
中央仏教学院が開校するまで3ヶ月ほどあったので法話を聴きに行ってみようと思い西本願寺(以下、お西さん)に行くことにした。

京都市営地下鉄の五条駅で下車して6番出口から地上へ上がる。しばらく歩くと東本願寺(以下、お東さん)さんが見えてくる。

元々は一つだった本願寺が東と西に別れたのはもう既に色々な先生がいきさつを書かれているし、ここで説明していたらブログどころか本が書けてしまうので詳細は割愛させて頂く。

簡単に言うと織田信長が本能寺の変で討たれた後に徳川家康についたのがお東さんで豊臣秀吉についたのがお西さんだ。仲違いして別れたのでそれなりに嫌悪な時期もあったが今は普通に交流をしている。

お東さんを横目に花屋町通りをさらに5分ほど進んでいくとお西さんに到着する。法話はお西さんの横にある聞法会館(もんぽうかいかん)という建物でほぼ毎日14時から15時まで1時間行われている。
詳しいスケジュールなどは↓を参考にして頂きたい。

常例布教(法話日程) | 参る|龍谷山 本願寺【お西さん(西本願寺)】-本願寺への参拝(参る・知る・観る)

お西さんで知られる浄土真宗本願寺派の本山、本願寺の公式サイト。参拝のご案内、親鸞聖人の教えや歴史、世界文化遺産に指定された境内のご紹介。


聞法会館に到着して中に入ると『本日の御法話』という立て札のある部屋が見えたので中へと入った。平日の昼間ということもあり僕以外にも5人座っていた。コロナ前はきっともっといたのだろう。しばらくすると担当のご住職がやって来て法話が始まった。

正直に書くとその日の法話や担当のご住職のこともあまり覚えていない。有り難い話をしてくださったというのに情けない話だ。次回からは立て札を撮影して保存しておくことにする。

その後も何度か暇を見つけては聞法会館に立ち寄り法話を聴くご縁に恵まれた。所属先のお寺の集まりで聴くこともあるし、先日は大阪の御堂筋にある北御堂さんでも法話を聴いてきた。
コロナ禍ということもあり以前は関西のお寺のお坊さんが担当されていたようだが最近は東京やそれ以外のお寺さんからも来られているようだ。

声の良いお坊さん、話の面白いお坊さん、思わずこちらも貰い泣きしてしまう法話をするお坊さん……などなど。

法話も十人十色。

お坊さんの数だけ法話がある。

1日24時間のうちの1時間だけお坊さんのお話に耳を傾けることはこれから生きていく中でのヒントをもらえるかもしれない。あまり肩肘はらずに「ちょっと聴いてみようかな?」と思ったら訪ねてみるといい。きっと良い時間を過ごすことが出来ると思う。

そして近い将来、僕も皆さんの前で法話をする日が来るようにこれからも勉強を進めていこうと思う。

数年後にお西さんでお逢いしましょう。

おわり

次回は「教科書が沢山やってきた」を書く予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。

南無阿弥陀仏






住職にお坊さんになりたいと言ってみた

2023-02-16 19:15:22 | 日記
いくつかの集まりに参加して独学ではあるけどお経の種類や簡単なお作法などを勉強していたらあっという間に京都は桜の季節になっていた。

緊急事態宣言中の昨年とは違い、京都にも観光客がちらほらと戻り始めていた。

そんな中、お寺から春の集まりがあるとハガキが来たので返信用ハガキの『参加』に丸をつけてポストに投函した。

帰りしなに自宅のポストを覗くと『中央仏教学院』の茶色の封筒が入っていた。

「ついにきたか……」

と封筒を手にして開封すると例の入学申込みのハガキが同封されていた。

ハガキの『所属元の住職の署名』の欄以外を記載して封筒に入れ直した。

(果たしてご住職は快く記載してくれるだろうか……)

そんなことを考えていたらあっという間に月日は過ぎて当日になった。

お念仏と他の寺から招かれた住職さんからの法話が終わり、春の集まりはいつもと同じように粛々に終わった。

他の門徒さんが帰り支度や世間話をしている中、僕は住職に声をかけた。

「あの……住職、少しだけよろしいでしょうか」

「あ、はい。なんでしょうか」

「折り入ってお願いがこざいまして本日はお伺いしました」

僕の緊張がわかったのか住職も真剣な顔つきになった。

「実は前々から考えていたのですが、この先住職と同じ道を歩きたいと思い、中央仏教学院に願書を送りました」

「え?あの中仏ですか?」

「はい、あの中仏です」

「それはそれは」

「はい、前から考えたいたのですが物には順序があると思い、お寺の催し物に何度か参加してからお話をしたかったのですが願書の締切が先にあったので送ってしましました。申し訳ございません」

「いえいえ。で、ご相談って?」

「はい、入学するには所属しているお寺のご住職からこのハガキに署名を頂くことになっておりまして、お願いしてもよろしいでしょうか」
(駄目って言われたらどうしよう……帰ろ)

「あ、はいはい。いいですよ」

(はっやっ!返事軽っ!)

そう言うと住職は後ろにいた奥様からペンを借りるとさらさらさらっと必要事項に記載して、最後に捺印をしてくれた。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「どうしました?」

「いえ、断られたらどうしようかと思ってました」

「え?ははは、断らないですよ。それに私も何年か前にそのハガキ出したことありますから」

「へ?そうなんですか」

「はい、私も同じ中仏生です」

「はー先輩だったんですね」

「はい」

聞くと住職も僕がこれから辿ろうとしている道とほぼおなじ道を辿ってお坊さんになったそうだ。住職はお寺の身内だったので卒業してそのままお寺に入ったがそうではない僕は一体どうなるのだろうか。

そんなことを考えていたら本堂には僕達二人だけになっていたので僕も帰り支度をはじめた。

「ありがとうございました。早速投函します」

「はい、頑張って下さいね」

「はい。お坊さんになるのって大変でした?」

「いやぁ〜なんとかなりますよ。大丈夫!!」

「ありがとうございます。では失礼いたします」

「はい、ようこそのお参りでした」

ほっとしてお寺の門をくぐったらすっかり日が暮れていた。

(大丈夫っていってたけど、絶対に大丈夫じゃないよな……あれは。)

僕はまた不安になってしまった。

本当にお坊さんになれるのだろうか……。

おわり

次回は「西本願寺に法話を聴きにいってみた」を書く予定です。

引き続きよろしくお願いします。

南無阿弥陀仏





お坊さんになるために初めてお寺の催し物に参加したときの話

2023-02-14 18:14:24 | 日記
(どうしよう……さっぱりわからない。帰りたい。)

延々と続く読経の中、僕はその場所に来たことを大いに後悔していた。
暖房が効いた部屋の中、まるで一人だけ極寒の地にいるように僕の心と身体は冷え切っていた。

(これは……いつになったら終わるのだろうか。
そう思いながらただ一点を見つめていると、僕の順番が回ってきたようで前の人に「どうぞ」と目で合図をされた。

(どうぞ……と言われてもなぁ……。)
と思いながらも次の人もその次の人も順番を待っているので行かないわけにはいかない。僕はロボットのようなぎこちない動きで椅子から立ち上がり、前の人の見様見真似でお焼香を済ませた。そしてペコリと周囲に一礼をして逃げるように席にもどった。

話は2ヶ月ほど前に遡る。

お坊さんになる学校に通うためにはどこかのお寺に所属した後、所属元の住職から許可を貰わないと入学出来ない決まりがあると知った僕は、早速近所のお寺に行きお寺に所属したい(門徒になりたい)と住職にお話をした。

するとまずは色々な事を知るためにお寺の催し物に参加してみてはどうかと提案をされたので僕は二つ返事で参加を承諾した。

そしてその日がやってきた。

その日は『元旦会』(がんたんえ)というお正月の催し物でお寺に皆で集まって新しい年を祝い、簡単な近況報告などをする集まりと聞いていた。

買ったばかりの新しい数珠を手にとりあえず参加してみようという軽い気持ちのもとお寺の本堂の襖を開けた。

何十という目が一斉に僕を見ていた。

会釈はしたはよいもののここでは完全な新参者だ。しかも皆僕より20……いや30才は年上にみえる。平均年齢70歳といったところだろうか。そんな中にいきなり見慣れない若造が入ってきたのだ。皆不審に思わないわけがない。

人見知りであまり大勢の集まる場所には極力行かないようにしている僕はこの時点で早くも帰りたくなった。

空いている席を見つけて座っては見たものの、(もしかして誰かの指定席に知らないで座っていたらどうしよう……)と妙な不安に襲われたが、幸いそれは杞憂に終わった。

その後も何人かあとから人がやって来て僕の周りでは知り合い同士が話をしている。

孤立無援。

久々にそんな気持ちになった。

居心地の悪さに耐えていると、

「カーン、カーン……カンカンカンカン」

と鐘のなる音がして、奥の襖から住職が入ってきた。

初めてお会いしたときのカジュアルな服装から打って変わってその日は立派な袈裟を纏い、若いながらも風格を漂わせていた。

(いずれこうなる日が本当にくるのだろうか……。)

と、思っていると住職は皆に新年の挨拶をして、元旦会のスケジュールを簡単に説明してくれた。

本堂の真ん中におられる阿弥陀様に深々と礼をした住職は続いてお経本を開いてなにやら聴いた事のないお経を読み上げ始めた。

帰命無量寿如来 南無不可思議光 〜
(きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう)

これは浄土真宗の『正信偈(しょうしんげ)』とよばれるお経だそうで、住職のあとに続いて他の門徒の皆さんも同じように唱えていた。
かくいう僕はお経本はお借りしたもののお経の意味も、読み方も、さらには節すらも全く分からずまるで金魚のように口だけをぱくぱくさせていかにも「唱えてますよ」といった顔をしてひたすら終わるのを願っていた。

このときばかりはマスクをしていて本当に良かったと心からマスクに感謝した。

永遠と続くと思われた正信偈も終わり、住職から今年に開かれるその他催し物の説明、そして皆の近況報告へと元旦会は続いていった。

門徒代表という白髪の男性の挨拶を皮切りに、門徒の方々が各々自己紹介と近況報告をして、いよいよ僕の番が回ってきた。

「はじめてこの場にこさせて頂きました。この度、ご縁を頂き新しく門徒となりました〇〇と申します。ご覧の通りの若輩者でござざいます。ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします」

なんとか挨拶が終わると、隣の席の御婦人から

「おいくつ?」

と聞かれた。

「はい、今年で47歳です」

「若い!」
「若いねえ……」

と周囲から声が飛んできた。
まぁ70歳、80歳の方々からみれば47歳なんてまだまだ子供のようなものなのだろう。

「私ら来年の元旦会はもういないかもしれないから住職を助けてあげてね」

と先程の御婦人がそう言うと、わっと笑い声に変わった。事実かもしれないが流石にこれは素直に笑うわけにもいかないので困ったような顔してその場をやりすごした。

「本日はありがとうございました」

元旦会が終わり帰り支度をしている僕に住職が声をかけてくれた。

「こちらこそお誘いありがとうございました」

「どうでした?」

「いやぁ……もう緊張して何が何だか。次回はもっと勉強して参ります」

「私も初めはそうでした。特に若いので必死でした」

「そうでしたか。今日は全然そうは見えませんでしたよ」

「ありがとうございます」

「しかし正信偈……長くて覚えるのが大変そうです」

「一応、お経本はあるので読みながらですが、何度も唱えていると自然と覚えてしまいますよ」

「はい、頑張ります」

「是非。あ、正信偈以外にもお経は沢山あるので、他のお経も別の機会に唱えますね」

「は、はい……」

(え?他にもお経は沢山あるの?それ覚えるの?間違えないように今日みたいに節とかも覚えるの?え、えーっ!)

期待よりも不安に襲われながら頂いたお土産のお節を抱えた僕はお坊さんになりたいなんて思ったことをかなり後悔しはじめていた。

本当にお坊さんになれるのだろうか……。

おわり

次回は「いよいよ住職にお坊さんになりたいと言ってみた」を書く予定です。

引き続きよろしくお願いします。

南無阿弥陀仏
















お坊さんになるための勉強をするために初めてお寺に行った時の話

2023-02-13 17:56:57 | 日記
お坊さんになるためにお寺を訪ねた僕の前に現れたのは怖そうなお坊さん……ではなくてユニクロコーデの男性だった。

「〇〇さんですね。お待ちしておりました中へお入り下さい」

拍子抜けしている僕はその男性に案内されてお寺の中へ入った。
そこはおそらく「本堂」と呼ばれる場所だと思うのだが当時の僕には当然わかるわけもなく、ただ通された20畳ほどの大広間に借りてきた猫のようにちょこんと座った。

ぐるりと周りを見渡すと子供の頃に遊びに行った友達の家で何度か見た仏壇よりもさらに立派で大きな仏壇が正面にあった。しばらく仏壇を眺めていると奥の襖が「すーっ」と開いて先程の男性ともう一人女性が一緒に入ってきた。

(このお寺の住職さんはお留守かな?)
と思っていると男性が自己紹介をはじめた。

「ようこそお越しくださいました。私は住職の〇〇と申します。こちらは妻の△子です」

(え?この人が住職だったの??)
驚きを隠しながら僕は改めてお二人に挨拶をした。お寺のお坊さんというのはもっとおじいさんでどこか怖そうなイメージがあった。なによりもこの男性は髪の毛が……ある。それにみたところ僕よりも10歳は若いのではないだろうか。そして袈裟も着ていないし数珠も持っていない。

いくつかの疑問を抱えたまま引き続き住職の話をきいていると彼はやっぱり僕よりも10歳下だった。そして住職になったのは3年前でそれまでは別のお寺で副住職をされていたとのこと。
二人目のお子さんが産まれたのを機に前住職であった祖父の後を継いでこのお寺の住職になったと話してくれた。ちなみに御年97歳になるお祖父様(前住職)は引退して今はお寺の隣の離れで元気に暮らしているそうだ。

しばらく住職の話を聞いたあと、今度は僕の身の上話をしてその後にやんわりとだができればこの先はお坊さんになれたら嬉しいと話をした。
流石に学校からの申込書をその場で出して「これにサインをお願いします!」というのは無作法なのでその日は持参しなかった。

住職は僕のお坊さんになりたいという話を否定することもなく、まずはお寺での催し物に何度か参加をしてみたらどうかとお誘いを頂いた。僕としても「なりたい」という気持ちはあるが何をどうしたら良いのか全く分からないし住職からの提案はとても有難いものだったので改めてこちらからも参加をお願いした。

その後30分ほどあれこれ話をしていると下のお子さんが幼稚園から帰ってくる時間になったのでその日はお開きとなった。

僕はお二人に丁重なお礼をして本堂を後にした。

お寺の門の前まで見送ってくださった住職に先程聞き忘れた質問をした。

「あの……ご住職はなんで剃髪されていないのでしょうか?」

「ああ、たしかにお坊さんってつるつるですからねえ」

「はい」

「我々、浄土真宗の宗祖は親鸞聖人です。 聖人は当時、お坊さんでありながら結婚をして非僧非俗(僧侶でも俗人でもない者)として、有髪で過ごされていたようです。なので私達も剃髪はしていないのです」

「そうなんですね」

「先程お渡しした冊子にもそのあたりのことが書いてありますのでご自宅で読んでみて下さい」

「はい、本日はありがとうございました」

「こちらこそようこそのお参りでした」

「では失礼いたします」

「あ……でも」

「はい」

「正式にお坊さんになるときは一旦坊主にならないといけないんですよ」

そう言うと住職は悪戯っぽくニヤッと笑った。

おわり

次回は「お坊さんになるために初めてお寺の催し物に参加したときの話」を書く予定です。

引き続きよろしくお願いします。

南無阿弥陀仏