そうだ京都でお坊さんになろう

お坊さんになるまでの道のりを書いていきます。

つどいの会に参加した

2023-03-12 20:00:31 | 日記
通信講座は孤独だ。

自分との闘いだ。

内容の良し悪しや、難易度もあると思うけど一番難しいのはいかにモチベーションを保っていくかだ。学校に通っている時でも「行きたくない」、「やりたくない」は何度も思った。でも学校にいけば先生やクラスメイトがいるから失われつつあったモチベーションもかなり回復する。

「行きたくなかった(やりたくなかった)けど行ってみて良かったな」

と思うことも多々あった。

受講当初に灯った情熱という名の灯をいかに消さないで進むか。「通学」という燃料投下がない中で卒業までやりきるのはまだ道半ばではあるけど本当に大変だなと実感している。

読みかけの本、やりかけのゲーム、途中で辞めてしまった習い事……我が半生を振り返れば振り返るほど『中途半端な人間』という不名誉な称号が自分ほどよく似合う人間はいないのではないかと情けなくなってしまう。

そんな中途半端な人間でもなんとかモチベーションを保ち、灯を消さないようにと僕の通う中央仏教学院にも『救いの手』のような制度がある。それが今回のお題『つどいの会』なのだ。

普段は黙々と自分だけで学習している通信科の生徒達のために各地域(東京、大阪、京都など)の卒業生や世話役の方々が講師のお坊さんを呼んで月に数回授業を開催してくれる。

僕がお世話になっているのは『京都つどいの会』と『大阪つどいの会』。京都は自転車でいけるのだが大阪は電車を乗り継いで片道一時間半ほどかかるのだ自分に必要な授業の時に通っている。

会では試験範囲になる箇所やお経の読み方、節など自己学習ではちゃんとできている(学べている)と認識していることを教えてくださる。休日の朝九時半からの開催でかなり眠いけど本当にありがたい。講義の後の懇親会では普段抱えている疑問点を世話役の方々に質問をしてクリアにしたり、同じ孤独な闘いをしている学生同士で語り合い親睦を深めていく。

不安なのも大変なのも自分一人じゃなくてつどいの会に来れば仲間(同期)がいるよ……とお坊さんになる道を歩いている僕たちの背中を後押ししてくれる。親睦会は大切なのだろう。

なのだろう?

今、なのだろうって書いたな?

うん、書いた。

そうなのだ。

白状すると親睦会には初めて参加したときに30分くらいしか参加したことがない。
決して親睦会を軽視しているわけではなく、とにかく自分の心に余裕がないので早々に退散している。

参加しない理由は2つ。

1つ目はかなりの人見知りな僕は初対面の人と話すときは心の中にある『スイッチ』をオンにして社交的な自分を演じている。普段は知らない人が来ると目も合わせないし会話もしない。とにかく関わらないように気配を消す。
「そんな奴がお坊さんになるなよ」と我ながら思ってしまうがなりたいんだから仕方ない。

なのでこの手の親睦会や、バーベキュー大会、各種パーティーなど不特定多数の人が参加する集まりに運悪く参加することになっても隅の方で座って、見つからないよう息を殺して潜むことにしている。それぐらい苦手だ。

2つ目は午前中の講義の内容や先生からのご指摘を忘れないうちに振り返ったり、お経であればスマホに入れてあるお手本を何度も聴いてできるだけ早く覚えるためにおさらいをしたいのだ。歳を重ねるたびに物覚えが悪くなり昨日の晩御飯の献立も忘れることがあるくらいの僕は覚えた事が頭から溢れ落ちてしまうのがとにかく怖い。なので復習するまでは誰とも話したくない。これからも一人で振り返りができる場所(喫茶店など)にいち早く駆け込むために親睦会には参加しないだろう。

きっと2年生、3年生になっても余裕がないと思うし卒業してお坊さんなったら余裕が出てくるかと言われるとそれも怪しい。

でも晴れてお坊さんになった暁には心の中のスイッチをオンにして『社交的なお坊さん』になってつどいの会や生徒さんに恩返しができるようにこれからも精進していこうと思っている。

おわり

次回は「知ってしまった言葉の意味」について書く予定です。

引き続きよろしくお願いいたします。

南無阿弥陀仏



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