『おばんざい』という言葉を皆さんはご存知だろうか。京都市内を歩けば飲食店のメニューや看板等で容易に見かけることができるこの『おばんざい』。
一見、京都の名物料理のようだが実際は『おばんざい』という名前の料理はない。では何かというと京都の家庭でいつも出されるおかず=『おばんざい』なのだ。
「京都観光に行きたいんだけど美味しいおばんざいのお店を教えて?」
と言われても家で食べている煮物が『おばんざい』なので回答に困ってしまう。
「○☓さんのお家でご馳走になったかぼちゃの炊いたんが美味しかったからそこに行きよし」
というのが答えなのかもしれないけど流石にそれは言えない。観光客が多い京都の繁華街で外食をするのは何かのイベントや、遊びに行った帰りでお夕飯を作りたくない時などしかない。並ぶのが嫌いな(並んでいるところを誰かに見られたくない)京都人はお家でご飯を取ることが多い。なので【美味しいおばんざいのお店】もよく知らない。
偉そうに書いては見たがかくいう僕もこの『おばんざい』の本当の意味を知るまでは京料理の名前だと思っていた。このように本当の言葉の意味を知ると知らない人が気軽に使っているのを聴くと「う〜ん」と思ってしまうことがよくある。
僕が学んでいる浄土真宗にも『おばんざい』のように【普段なにげなく使っているが本当の意味は全く違う】言葉がある。
そして悲しいかなこの言葉は間違った意味が独り歩きしてしまいテレビやネットニュースなどでもよく使われていて『先生』と呼ばれるような立派な肩書の人も正しい言葉のように使っている。
『他力本願』
という言葉をご存知だろうか。
自力は自分の力。
他力は他人の力。
「他力本願ですがライバルチームが負ける事を願います」
「他力本願ではなく自分の力でなんとかしたい」
という言葉を耳にすることがあると思う。
この『他力本願』の『他力』の意味は実は他人の力を当てにすることではなく、仏様のお力、阿弥陀仏の慈悲のはたらきのことなのだ。
自力は自分の力。
他力は仏様の力。
言葉の本当の意味を理解すると↑のようになる。
みなさんも言葉の意味を理解して正しく使っていきましょう!
なぁんてことは言わない。
別に他人が正しく使っていようが間違って使っていようが興味はない。もし今後誰かが『他力本願』を他人の力をあてする……と思って使っているのを聴いたとしても「ああ……間違っているなぁ」としか思わない。
話の腰を折ってまで「いやいやあなた間違っていますよ。『他力本願』の他力というのはですね……」なんて講釈ぶって場の空気を乱してもそれこそ百害あって一利なしというやつだ。
自分は他力本願の意味を知った(理解した)のでこれからはその意味の通りに使う&家族が間違って使っていたら今後その人が他所で恥をかかないようにそっと意味を伝える……というのでいいかなと思っている。
おわり
次回は「イベントは自主トレ?」を書く予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。
南無阿弥陀仏