それから何回か法話を聴きに行き、月日を重ねていたら中央仏教学院に無事入学が決まった。
いくつかの書類を提出して学費などを払い、あとは開校を待つだけ……と思っていたら授業で使う教科書などを購入しておくようにとお知らせが来た。
お知らせを読んでいると一番良く使う教科書(以下、教本)以外にもお経の入ったCDや、『聖典』とよばれる「この一冊に全部詰まっています!」……的な本、あとはお作法やしきたりなどが書いてある本などを購入してほしいとのことだった。
勉強をするのに教本も必要だし教本に書いていないことをサポートするための参考書のような役割になるであろう聖典もいるだろう。
でも……
でも……
CDって。
CDプレイヤーもCDコンポも平成の中頃にとっくに処分してしまったので家には聴く機械がない。
かといってこのためだけに買うのは場所を取るから嫌だし、令和の時代なのだからできるならYou Tubeで配信してほしかった。もしくは音楽ファイルでくれたらスマホに取り込むのに……なんて恨み言を言ってしまいそうだけど考えてみたらお坊さんになる人はお寺さんの御子息/御息女でもない限りアナログ世代が多いのだろう。
その証拠に現在何度か通っている勉強会にも見たところ50後半から60歳くらいの人を多く見かける。その人たちに音楽ファイルを渡したところでおそらく聴くまでにかなりの時間がかかってしまうのかもしれない。
デジタル世代の僕らとしては多少不便なのだがアナログ世代の先輩方にしてみればお経CDはありがたいのだ。
立場を変えてみれば便利も不便に変わり、またその逆もしかりだと今更ながら学ぶことができた。
ちなみに件のお経CDは届いてから5ヶ月近くがたったが無開封のまま置いてあり、もっぱらYou Tubeで他寺のお坊さんがアップしたものを聴いて覚えている。(PCに取り込んでスマホに落とすのももはや面倒くさくなってしまった。)
それぞれのやりやすいように覚えていけば良いのではないかというのが僕の持論だ。
そして最後に聖典というものもあってこれが厄介なのだ。
まず重い。
聖書より重い。
タウンページと同じくらい重い。
勉強に必要なあらゆることが記載されていて、分割したら何冊かになるであろう書物を1冊にまとめているので1600ページくらいある。
なのでここまでくると本というよりも【鈍器】に近いし、おそらく【武器】にもなるだろう。
殺人現場で被害者が頭から血を流して倒れていて、傍らに血のついた聖典があったら、
「う〜ん、凶器はこの本ですな……」
って刑事も言うだろう。
しかもこれが2冊ある。
重い✕2だ。
しかしこの聖典様は単に重いだけじゃなくて勉強にかなり役に立つ。教本で抜粋している箇所の全文が載っているので授業(自習)の時はセットで使う。すべてを暗記するのは不可能だがこの先一生お世話になり、指針になるであろう本なので大事に大切にしていく所存だ。(重いけど)
この他にもあれやこれやといろいろあって全部で総額2万円くらいした。一生ものとはいえ結構なお値段だ。
これがショップチャンネルならショップバリュー価格でもう少しお手頃価格に、ジャパネットなら分割手数料負担&包丁セットがついて、さらに夢グループなら「夢……」と言う名前になって保科有里さんが「社長〜もう少しお安くなりませんか〜」と言ってくれるから最後は全部で一万円に……ってなるわけないか。
真面目に勉強しよ。
おわり
次回は「通信講座でお坊さんになるということ」を書く予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。
南無阿弥陀仏