明日は雨の予報なので、出かけることにしました。婆さんは、友人と会う予定が有るのだそうです。
毘沙門堂から山科疏水を歩くことに決め、烏丸御池から地下鉄で山科駅に向かいました。先に諸羽神社寄ることにして、旧東海道(旧三条通)を歩いていきます。毘沙門堂に向かう道より1本北の通りが神社への道になります。通りに面して鳥居が有りますので直ぐに分かりました。東海道線の線路の下をくぐって行くと神社が見えて来ます。
諸羽神社は、それほど広い境内ではありませんが、貞観4年(862年)に清和天皇の命により造営された歴史のある神社です。舞殿には来年の干支「猪の絵馬」が飾られていました。私の干支ですので、親しみがわきます。
鳥居の手前から、疏水に上ることが出来ました。公園になっています。
疏水を毘沙門堂に向かって戻って行きます。毘沙門堂に向かう石橋が見えて来ました。
毘沙門堂への道は、道幅が狭く、自動車のすれ違いが大変です。土日は大混雑するのでしょう。仁王門までの林も赤く染まっていました。
毘沙門堂は、大宝3年(703年)の創建で、本尊に京の七福神の一つ毘沙門天を祀ることからこの名前があります。
境内をぐるっと回って見ましたが、見頃の紅葉を楽しむことが出来ます。
本殿前で拝観料を払い、晩翠園(庭園)に向かいます。本殿の裏でも綺麗な紅葉を見ることが出来ました。
晩翠園は江戸初期の回遊式庭園だそうで、この時期は、一段と綺麗です。
勅使門の前の石段を降りて、下の道に戻りました。この石段は、紅葉が進んでいくと落ち葉で真っ赤になり、それがポスターになったことで人気の撮影スポットです。今日は、こんなでしたが。
双林院(山科聖天)に行って来ました。毘沙門堂の前の道を進んでいくと鳥居が見えて来ます。
双林院は、寛文5年(1665年)に毘沙門堂の山内寺院として建立されたとのことです。ここの紅葉もなかなかです。
疏水の石橋まで戻り、疏水沿いの遊歩道を天智天皇山科稜に向かって歩きます。遊歩道は、良く整備されており、所どころにベンチが設けられているので、紅葉を眺めながら気持ちの良い散策が出来ます。
疎水からは山科の市街が見えますが、疏水が街よりかなり高い所に設けられていることが良く分かりました。
疎水から天智天皇山科稜に降りることが出来ますが、その少し先に本圀寺と言うお寺が有りましたので行ってきました。
疏水を進んでいくと赤い橋が見えて来ます。それを渡ると参道です。
山門の朱色が鮮やかに目に入ってきました。この門は、加藤清正が寄進した門だそうで、運が開ける「開運門」と呼ばれているとのことです。
本圀寺は日蓮宗のお寺で、もともとは鎌倉にあったもので、京都六条に移された後、ここへは昭和46年に移ったようです。
山の中とはいえ、境内には大きな堂宇が並んでいます。
本堂の右手奥にある加藤清正を祀る「清正宮(せいしょうぐう)」がありました。本圀寺は朝鮮出征時の加藤清正の祈願所及び菩提所であったとのこと。なぜか鳥居は金色でした。
疎水から住宅地の脇の細い道を下がり、天智天皇山科稜に入りました。ここは、京都最古の天皇陵なのだそうです。この辺の地名は「御陵(みささぎ)と言いますが、この陵があることがその由来となっているんですね。静かな境内でした。あちこちに「イノシシ」に注意との張り紙がありましたので、ちょっと「ビクビク」しながら参拝してきました。
この陵は三条通に面していますが、注意していないと見過ごしてしまうほどひっそりとしています。観光地ではないので当たり前ですが。三条通から見た入り口です。
お腹がすいたので、地下鉄「御陵」駅までの間にお店を探したのですが見つかりませんでした。地下鉄に乗って烏丸御池まで戻ってから、ようやくお昼を食べることが出来ました。
毘沙門堂の紅葉や疏水の散策を楽しむことが出来た上に、初めての神社やお寺を訪ねることが出来て大満足の1日になりました。
今日の歩数は、18、573歩。お腹もすく訳です。
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