予科錬から帰って、10年後には結婚。しかし、結核を発症。2年間の闘病生活を余儀なくされます。
今は廃院になった広島県立 井口(いのくち)病院。その病棟の2階の端っこが父親のいる大部屋。今でもその病院の姿と大部屋が脳裏に浮かびます。
何もできない毎日。同僚は建築現場で活躍しています。しばらくすると、会社から休職扱いにするので、給料を減額するとの連絡が入ります。
子供はいる。祖父、祖母は大阪の池田にいたのですが、破産して広島の自宅にころがりこむ。窮地に追い込まれます。
何もすることがないので、勉強でもするかという気になったといいます。努力のかいあり、一級建築士の資格が取れました。
入院も2年になろうという頃、会社から給料支給停止を告げられます。ところが、運というか、病院の先生から退院の許可がおります。
かろうじて、会社に復帰できました。上司は「山下君、会社に来て座っていることはできるか」
「できます」
「結構。給料を全額出そう」
何とか、希望が出てきました。同僚の方は、皆忙しそうに働いています。会社にいる限り、一級建築士の資格は必要ありません。何のための資格だったのかとの感覚が頭をよぎります。
そうして、無事定年を迎えることができました。すると、いろいろな会社から、誘いがありました。一級建築士の資格をもつことが条件だったようです。
父親のことば「人生何が幸いするかわからない。井口病院で寝て過ごしていたからこそ取得することができた一級建築士の資格。これが定年後にこんなに役に立つとは思わなんだ」
「わしはネコロンビア大学卒業だ」
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