「風と共に去りぬ」が面白すぎると、はしゃいで本好きの友達に話したら、「嵐が丘」は読んだ?というので、早速、図書館で読み始めたら、のっけから、面白すぎた。
19世紀イギリスの片田舎に人嫌いを自認する男が、長期で宿を借りにやって来た。宿の主人ヒースクリフに挨拶をしに来た時、彼の目つきを見て、こいつも人嫌いだな、と直感。自分にふさわしい相手だ、などとのんきに思った男だが、彼の「(屋敷へ)おはいり!」が「くたばりやがれ」という感情をあらわしていた。しかも門扉は動く気配がない。ーーって、この描写で私の心は鷲掴みにされた。(男もヒースクリフに逆に興味を抱く)そんな表現ある?仲野太賀なら、どう演じるだろう?(客人の役ならすぐ想像できる 笑)それは置いといて、どんな偉いご主人様なの?!
とにかく、ヒースクリフの人嫌いはただごとではない。超絶人嫌い!空前絶後の人嫌い!でも妖艶な色男なのである。(最初の映画化では、ローレンス・オリヴィエが演じてる。)悔しい。
そんななのになぜ宿を貸したりするのか、まあお金のためな訳だけど、嵐が丘の屋敷に棲む住人たちもややこしい縁戚関係が暮らしていて、(ヒースクリフ、亡くなった息子の嫁キャサリン、甥のヘアトン、爺や、家政婦ネリーなど)お互いにいがみあってののしりあって生きている。その中で家政婦ネリーだけが、とても冷静に家の中の人間たちを観察し、時に厳しく叱咤し、時に温かく接していく。この屋敷の人々を繋ぎ止めておく錨のような存在。皆から恐れられるヒースクリフでさえ、彼女を尊重していた。この家政婦ネリーだけは、人生に対してバランス感覚が良かった。他の住人は、感情的(わがまま!)で排他的で偏った変人ばかりいるのだ。まあ、人間的とも言える。
だか、元々のギスギスの原因は、ヒースクリフが、父に拾われて来た子供だから。兄と妹キャサリン2人のとこへ、ヒースクリフがきた。しかも父が可愛がるから、兄弟がおかしくなる。その上、ヒースクリフとキャサリンは、気性の激しさが似ていて、離れがたい存在になっていく。
ところがである。隣人(といっても結構距離ある、田舎だから)スラッシクロス邸が洒落た文化的な生活をしていることを知ったキャサリンが、隣人の生活に憧れて、コロリとヒースクリフを裏切ってしまうのである。
そこから、ヒースクリフは壮大な復讐計画を長い年月をかけて実行していくのだが、それが、嘘、騙し、暴力、監禁、放置と、まるで悪魔の所業、犯罪行為のオンパレード。誰も近づかない田舎の閉鎖空間での恐ろしさ。今なら絶対児相も警察も黙ってないはず。
岩波文庫の紹介文には「同時代の人々はこの作品について、(略)不愉快だ。と言った。なるほど作中人物の異常な性格、行動にはつじつまが合わない点があるが、
しかし、逆にそれこそが人間に内在する矛盾不条理の深淵をひらいて見せてくれているのではないか。(以下略)」と書かれている。
ーー本能と欲情と意欲の塊であるヒースクリフ。(岩波文庫、上巻紹介文より引用)今の日本の生ぬるい時代を生きてかなくてはならない私は、妖艶で猛毒を心に持つ男を1800年代に誕生させたエミリブロンテの小説に人間の暑苦しい本能、頑として意志を貫く厳しさ、恐ろしさを見せつけられた。
そしてやや読みづらい部分はあったが、振幅の激しい心理描写が抜群に面白かった。最初は字が大きい別の訳者のを読んでたが、分かりにくかったので、途中から岩波文庫阿部知二訳に変えた。
それにしても、古典文学の主人公は、破天荒で悪人が多いのも発見だった。ちゃんと読んだの風と共に去りぬとこれだけだけど。
今日では「リア王」「白鯨」と共に英語で書かれた三大悲劇の一つにかぞえられているそうだ。