今日のお楽しみ。

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映画「アネット」…わからない。

2022-04-29 18:33:00 | 映画 DVD
最初の導入部(じゃあ始めようか、とスタートさせたのが監督?)から、5分ぐらいは、えらいほのぼのしたミュージカルやなあ、と微笑ましくみていたけど、本筋に入いったら、もう退屈の一言。1時間すぎた頃からマホの時計を3回見た。感染対策で両隣空いてるから許して。
不思議と眠くならないのは時々入るゴシップ雑誌風の演出がテンポをあげてるから?暴力的で自己中なスタンダップコメディアン(客と演者があんなに言い合いするの?)のアダムドライバーが気迫で演じるからか。といって内容はない。どっかの映画評論家がアダムドライバーは今、色んな監督に引っ張りダコだからいい映画にでてる。って、言葉を信じてみに来たのに。。。
この監督は、昔、「ポンヌフの恋人」を撮った人で、これも見る人を選ぶ監督かも。ポンヌフの恋人は、理解できない派だと当時思ったので観なかった。その監督だとは知らなかった。
それにしても物語前半は平々凡々。もっと短くカットして!って夏井先生に怒られそうなほど。有名人同士の夫婦がダメになる話は山ほどあるよって。だけど、主人公に生まれた子供がユニーク。人形で表現されてて、その喋らないベビーは父の悪事をじっとみている。ラスト、監獄に入った父と対面した時、本当の人間となり…ここには感動の演出が。
大掛かりで独特な映画だけど、イマイチ、誰にも感情移入しにくかった。海で死んだ母も歌っちゃダメでしょ。




「一度きりの大泉の話」を読んで

2022-04-22 00:44:00 | 読書
たしかラジオで著名人がおススメしていたので、この本をよんだ。
萩尾望都の漫画は読んだことはないけど、「ポーの一族」や「トーマの心臓」などの話題作は気になっていた。けど、なぜか読む気が起こらない。その理由が今更ながらわかった。私には、文学的すぎて知的レベルが間に合ってなかったのだ。萩尾望都先生の作品は、カフカやヘッセ、三島由紀夫などの文豪たちの作品に影響を受けていると書かれてる。どうりで、私の手には負えんわ。恋愛を夢見る少女マンガとは、違うと思った。

ところで、そんな格調高い作品を描いてきた、紫綬褒章までいただいた先生が、
なぜ、今こんな告白本を書くことになったのか?ー

それは、大泉サロン(若き少女マンガ家たちが集った場所、東京の一軒家)での日々を竹宮恵子先生と対談をしてほしい、とメディアから依頼されことから始まる。しかし、萩尾望都先生は大泉サロンで過ごした2年目にはとんでもない災難に見舞われたのだ。それはとてつもない辛い日々のはじまりだった。なので、どうしても対談なんかしたくない、する気がしない。それなのに、メディアがしつこく何度も頼みにくる。そこで、しかたなく意を決して本にすることにしたと書かれている。


読んで最初の感想は正直、萩尾先生は頑固だなあ、と思った。
たしかに、竹宮先生と萩尾先生の間に確執があったと思われる。萩尾先生の傷は深く辛かっただろうと想像もできる。けど、竹宮先生も苦しかったんじゃないだろうか?

大泉時代といえば1970年。それからもう五十年も経っている。少し語り合うぐらいなら、いいのでは?と浅はかな私は思った。

しかし、先生の心はそんなに簡単なものではなかった。読み進めるにつれ、真摯な態度で漫画に取り組む萩尾望都先生の姿。漫画への深い愛。そしてアーティストとしての矜持が伝わってくる。

結果、うわべだけの対談なんか必要ない。それよりも才能同士のぶつかり合いや人のこころの闇が、正直に描き出された「一度きりの大泉の話」が本になったのだ。


実は私も大切な友達を何人も、自分の浅はかな心の態度で失ってしまった過去が思い出される。

先生はご自分の世界観を大切に、そしてなによりご自分の心を大切にしている方なんだ。単純なそのことに気がついている萩尾望都先生は、幸せとは何かを知るやっぱり知的で素敵な人なのだと思った。


「風と共に去りぬ」と「カンバセーションウィズフレンズ」

2022-04-20 23:30:00 | 読書
フランシスというば、「カンバセーション ウィズ フレンズ」の主人公でスカーレットはもちろん「風と共に去りぬ」の主人公。

この二つの物語は、時代も場所もまったく違うけど、なんとなく似てるんじゃないか?と(長きにお付き合いしていると)私は思うようになってきた。

風と共に去りぬの舞台は、アメリカ南北戦争時代1860年代。ジョージア州。
カンバセーションウィズフレンズの舞台は、現代のアイルランド。たしかに年代はちがうけど、主人公スカーレットの父はアイルランド生まれで、カンバセーション〜の主人公もアイルランド生まれ。

2人の性格。フランシスは、内省的でやや病弱(子宮内膜症に悩まされる)、物事を深く考える。石橋叩きながら渡る。一方スカーレットは、まず行動で深く考えない。体は丈夫(多産)。とくに都合の悪いことは意図的に考えない。計算高さ早さは、天下一。はたして、2人は、性格はまったく違うけど、人生を上手く乗り切る点では同じでは?と思った(スカーレットの半生が良かったかどうかは別の話だが。財を築き生き延びたという点で)。この2人の違いは、先祖がアイルランドに残った人と移民としてアメリカへ渡った人の違いとは言い過ぎ?

そして、最大の共通点は、私だけの視点になってしまうが、難しくて、読みにくい。(風と共に去りぬはnhkの番組「100分で名著」でも取り上げられていて、番組紹介では誰でも読めてしまうエンターテイメントの本。と書かれていたが、私の読書レベルでは、中学生だったけど、とても読めたものでなく、ましてやエンタメではなかった。考えたら、小学生までマンガしかよんだことなかったし。唯一の読書タイムは、たしか国語の時間で好きな本を黙読。そこで初めての読書体験をした。それは「ガラスの靴」で、面白かった。)

次に主要登場人物が男女合わせて4人。風と〜の方は男2人、女2人。カンバセーション〜の方は、女3人男1人だけど、女たちはバイセクシャルやレズビアンなので、4人のなかで、恋愛関係が発展したり、壊れてたりして、話が進んでいく。

あと、やはり女性の自立問題が扱われているということ。名言がたくさんある。

たとえば、母親からフランシスがアル中の父を愛するように言われ、
"私は人に親切だろうか?(略)この問題がきになるのは単に、私が女性で自分よりも他人を優先させるように求められていると感じているせいなのか?「親切」というのはつまり、対立を前にした服従を表す別の言葉にすぎないのでは?(略)フェミニストとして、私には誰かを愛さない権利がある。"
(最後の一文が少し私には分かりにくいのであるが。)

ほかにもいっぱいあるが、長いので印象的なこれだけにするけど、

今、上の文を写すために数ページ読んでしまったが、やはりフランシスの独白やひとつひとつの行動が内省的でとても好感のもてる魅力的な人物描写が続く。やっぱりベスト100冊にはいるかなあ、と思えてきた。

風と共に去りぬの方も女性の自立をスカーレットが実践ばかりするから、世間から総スカンをくう場面がたくさん出てくる。これはこれであっぱれなので豪快に面白い。

また、nhkのプロデューサーの解説の中に
"運命に翻弄されるスカーレットとバトラーの姿を通して「本当の心に気づけない悲劇」(略)といった現代人にも通じるテーマ"とあるが、これは、本当にそうだなと深くうなずいた。
本当に自分はこの選択間違ってないか?と立ち止まる大切さ。
がしかし、スカーレットに関しては、開拓者の血が立ち止まることを許さないのだとラストシーンを読んでもそう思う。
いや、スカーレットはバトラーと別れた時がまだ28歳。いつか考える余裕がくるのかなとも思う。





「カンバセーション ウィズ フレンズ」感想

2022-04-16 22:52:00 | 日記
もう一度、最初から読み始めたが、やはり理解できないフレーズが、2ページに一回はでてくる

なんでこんなん読もうと思ったのか?腹が立ってきて、去年日経に掲載された岸本佐知子氏の書評をわざわざ探し出して、読み直してみた。

もう、抜粋させて頂く。

"デビュー作にて英サンデータイムズ紙の21世紀の100冊に選ばれた。"
この100冊に選ばれたって言葉に騙された!いや、騙しちゃいないけど、読んどかな!とこっちが勝手に思った。
次に
"ダブリンの大学に通うスランシスは親友で恋人でもあるボビーと2人で詩のパフォーマンスをしている。二人は30代の有名なジャーナリストのメリッサと夫で俳優のニックと知り合う。やがて、フランシスはニックと関係をもつ。いっほうレズビアンであるボビーもメリッサに惹かれていく"

と解説が続く。けど、この解説がすでに意味不明なんですよ。だってボビーっていったら、男性でしょ?(あのタレントのボビーの顔しか浮かんでこないよ。)男だとおもってるから、レズビアンと言われて??ボビーは女なの?男なの?

もうそこから意味不明が始まってたわけだ。

けど、たしかに知的で内向的なスランシスや毒舌で超絶美女のボビー、そして2枚目俳優ニックの優柔不断な優しさ、自信満々のメリッサなど。キャラクターはすごく面白いし、2度目はストーリーもよくわかりました。

しかも社会的階層はちがっても主人公たちが皆、今でいう毒親に育てられてるから余計にお互いの関係性に自信が持てないでいるのが痛々しくストーリーをハラハラさせるし。

それでも、みな知的レベルが高いので、セリフが訳分からんけど、センスいいし、多分、高度な笑いに帰結してる。結果、面白いけど、もういい。



「カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ」という本について

2022-04-13 00:01:00 | 日記
これまた読みにくい。翻訳本。
アイルランドの91年生まれの若い作家さん。サリー・ルーニー著。(最近で一番苦労したのは「掃除婦のための手引き書」だったが)

とにかく若い主人公たちのやってること話してることが意味不明。恋愛要素が入ってきて少し理解するも図書館で借りた2週間はあっというまに過ぎたので、本文の2/3も残して返却、再度予約することに。
で4〜5ヶ月後。また、手元にやってきた。自分で予約したものの、また来たの〜?もうちょい後でも良かったけどォ。みたいなそれこそ複雑な気持ちになる。
しかし、今度こそ、読破を目指そうと作戦を立てた。最終章だけ残して、章の後ろから前へと読んで、あらかじめそういう展開ね、と見当つけた感じで読んでいくことにした。けど、これで何となく登場人物たちが何に奮闘してるのか分かってきた。
が、それでも感想としては
とにかく持ってわまった言い回しが多く(センスがあるってことでしょうね?)こんな場面でこんなことあったんですけど、あなたはどう思いますか?って、ずーっと質問されてるよう感じで読まされていた。
登場人物のこの行動、セリフ、なにを意味してるのか?わかるでしよ?的な。半分はわからないんですけど。

まず、この本は読む人を選ぶ。一定の文学的知識がないと頭に入ってこない。
なのに、なぜこうも惹かれるのか?ここには、自分にとって大切なまだ分かってない何かが描かれてるはず。書評を読んだ時からこれは、自分に必要だと感じたから。だから、この複雑な読書をまだ続けます。