目次
第1章から第9章へのリンク
第10章から第12章へのリンク
第13章から第20章へのリンク
第21章から第23章へのリンク
24.板金塗装のあいさつと、誰でも村八をしているし誰でも村八にされている
第25章から第28章へのリンク
第29章から第37章へのリンク
第38章から第47章へのリンク
第48章から第52章へのリンク
第53章から第56章へのリンク
第57章から第59章へのリンク
第60章から第67章へのリンク
第68章から第75章へのリンク
第76章から第81章へのリンク
第82章から第86章へのリンク
第87章から第93章へのリンク
第94章から第99章へのリンク
24.板金塗装のあいさつと、誰でも村八をしているし誰でも村八にされている
うちの畑のすぐ隣に2階建ての家があり、その建物の一階は板金塗装の職場で、2階が住居になっている。
2階には髪が金髪で長くて、まっすぐな髪をしている20代ぐらいの女と数人の子どもと夫が住んでいるようだ。
この女は私と同町内に住んでいて、私の住んでいる所と班は違うが、
うちの家に町内会からか、何かで配られてきた紙に、近所の町内に住んでいる人の家の場所と電話番号と、多分、世帯主の名前だと思われる名前が書かれていて、そこには難波という名字が書かれていたので、この女のことをこの後の文章では難波と呼ぶことにする。この金髪の女はヤンママだろう。
下の職場で働いているのは私が見た感じでは、30代ぐらいの男が二人で働いているみたいで、そのうちの一人は私の叔母の同級生の子どもらしくて、名前はヤマモトというようだ。
2014年のある日、私が畑に行った時に、
畑と隣の職場の境界線には3段ぐらいのブロック塀があるだけなのだが、
そのブロック塀の近くに私がいて、近くに隣の職場の人が一人がいた。2020年の12月にこの人の名前を聞いたがはっきり
覚えていなくて、名前の一部をニシと言っていたので、この後の文章ではこの人のことをニシと呼ぶことにする。
ニシがこんにちはと言ったのだが、私がすぐにあいさつしなかったら、
ニシがもう一回こんにちはとあいさつしてきて、私はオウム返しでこんにちはとあいさつをした。
その後の2014年の半ばぐらいの時に、私が畑に行って、花の株の枯れたものをゴミ袋に入れていた時にニシが隣の板金の職場の所にいた。その時に話し声などは聞こえていなかったのだが、
突然、ニシが「後ろー、知らない人いるんですけどー」と言った。
ニシの職場の周りの多くは稲を植えている田んぼで、
その時周りにいたのは、私が見た感じではニシの職場の上に住んでいるヤンママの難波と私がいただけだった。
その後、ニシが咳払いをした後に難波が「それ合図じゃろ」と言った。
この人たちが喋っていたことの全部をはっきり覚えていないが、
その後、難波が「掃除機かけとった」とか言っていて、
その後ぐらいに「じゃろ、じゃろ、じゃろ、ブスすぎるやつ嫌いじゃー」と大声で言った。
これ以前の時に私が畑に行った時に、隣の板金の方から女の声で「ブース―」という声を一回聞いたことがあるのだが、
その時は私に言っているとは思わなく、誰がそれを言っているのか分からなかったのだが、2014年半ばの時のブスすぎる奴嫌いじゃと言ってた難波と、以前にブース―と言った人が同じ難波だと思ったのと、
誰も喋っていなかったのに、「後ろー、知らない人いるんですけどー」と突然ニシが言ったのが、多分、私のことを言っていると思った。
「じゃろ、じゃろ、じゃろ、ブスすぎるやつ嫌いじゃー」と難波が喋った時の初めに「じゃろ」と方言で相づちを打っているのを見ると、
難波が相づちを打つ前にニシが何か言っているはずだと思うのだが、ニシの声は何も聞こえなかったので、聞かれたらまずいからと、小さい声で何かを言ったと思うのだ。
ニシが言っていたであろうことを私が推測しているのは「隣の人ブスじゃないですか?」とか「隣の知らない人、すごいブスじゃないですか、オレあの人嫌い」「隣の人、前にあいさつしなかったし、ブスで嫌いだ」
という感じのことを言っていたのではないかと思っている。
「じゃろ、じゃろ、じゃろ、ブスすぎるやつ嫌いじゃー」と難波が言った後に、私は「聞こえてるぞ」という意味を込めて、ニシがさっきやっていたような咳払いを演技で一回やった。
ニシの同僚のヤマモトの奥さん(この人も金髪のまっすぐの髪をしている人だった)が来ていて、後ろを振り返って私のことをじーっと見ていた。
その後、私がもう一回演技で咳ばらいをしたのだが、そのすぐ直後に難波が大声で「ニシさーん」と言った。
その後、板金の職場の方には私が見えている所には誰もいなくなった。
更にその後、日が暮れて外が暗くなった時に、外でニシの同僚の男のヤマモトが「なるほど」と大きな声で言ったら、
ニシが「でっしょー」と言い「ハハハハハ」と笑っていた。
推測だが、ニシは私が咳払いしたのが、自分のことをバカにしていると思って不快になり、何かをヤマモトの方に言ったのかもしれないと思っている。
そして、その言っていることは私について悪い感じのことを言っているのではないかと思っている。
例えば、「あの隣の奴、自分のことを言われたと思って咳払い真似してきたんじゃないのか、あの人おかしい」とか、「あいつ咳払い真似してきて頭おかしい」「咳ばらいを真似してきて気にいらない。」とかそういう感じのことを言っていそうだと思っている。
その日から一週間も経っていない数日後に私が畑に行くと、畑の入り口から数メートル離れた所にある畑の通路の土の上に、
はっきり覚えていないけど、直径15センチぐらいで厚みが5センチぐらいある石があって、その石が中央から数本亀裂が入って割れていて、石の周りには割れた時にでたであろう小さい石の欠片みたいなのがあった。
それを見た時に、私は隣の板金がやったなと思った。
そのことを私の母親に言ったら、あれはおばあちゃんがやったというようなことを言っていたのだが、おばあちゃんがやっているのを直接見ていたら、私が間違っているということになるが、私はおばあちゃんではないと思っている。
ニシが2014年半ばの時に難波に何か私のことを悪い感じに言っていそうなのは、それ以前の時に、私にニシがあいさつしてきた時に、私はあいさつ返したが、ニシに私の声が聞こえていなくて、あいさつ返されたいのに返されなくて、無視されて相手されなくて、感じが悪いとでも思って私を嫌ったのではないかと思っている。
私は小さい声で喋っているつもりがない時でも、喋って相手に声が聞こえていない時が何度もあり、人と喋る時に声が小さい時があるみたいだ。
こういうことがあり、私はあまり畑には行きたくないのだが、
隣の人がいなさそうな日曜日か、朝早い時間を狙って畑に行っていた。
その後の2015年か2016年の秋ぐらいの朝の7時前ぐらいに畑に行ったら、
隣の2階から難波が大声で「ブス」と言い、窓をガラガラと音を立てて動かす音がした。難波は私に悪態をついているのだ。
2015年か2016年ぐらいの秋に私が畑に柿とかを取りに行った時、
隣にニシがいたのが目に入った。
私は頭の上の部分が一部ハゲていて、それを隠すために上の方にだけ部分かつらをつけている時があったのだが、その日も部分かつらを付けていた。
柿とかを取り終えて、納屋の隣で靴を履き替えていた時に、
喋り声など聞こえてなかったのに、後ろの板金の職場の方から、
「一瞬目に入ってきて、笑いこらえるの大変だった」とニシが言って、
ヤマモトが、一字一句覚えていないが、「〇〇だろ」と濁音を含む同じ言葉を二回言ったら、ニシが「あの人毎日来てるん」と言った。
私の頭のかつらをバカにしているのをわざわざ私の近くで聞こえるように言ったのだろう。
別の日の2015年か2016年の秋ぐらいに、私が畑に行った時に茶色い屋根瓦が真ん中から亀裂が入って割れていた。
隣の職場との境界線の低いブロック塀の上に、割れた片方の屋根瓦があり、
もう片方の屋根瓦は畑の方にあった。
以前に畑の納屋の隣に茶色い屋根瓦が一枚あっったのだが、私が数メートル離れた所に移動させていた。
その移動させた場所を見たら、茶色い瓦がなかったので、割れている瓦はその瓦かなと思ったのと、以前に石が割れていたのが、固いものが割れているのが似ていると思い、隣の板金のニシとかがやったのかなと思ったが、
うちの畑は親戚や私の親も来て使っているので、畑作業中に瓦を何かで使って瓦が割れた可能性もあるとも思った。
2018年におばあちゃんが亡くなる前ぐらいの時期の
日曜日の昼間に私が畑に行った時、ニシが来ていた。別の時に私が日曜日に畑に行った時には、板金の所にはニシ以外の人がいることはあまりなかったが、その時は20代ぐらいと40代ぐらいの人が2人いた。
私が自転車で畑から出て行こうとした時に、隣の職場の方から一回だけ咳払いが聞こえてきたのだ。
この咳払いは、たまたま隣にいた3人のうちの一人が咳払いをしたのではなくて、私に対して何かしらの不満の意味を込めて、わざとニシが咳払いしたのではないかと思っている。
うちの畑は長細くて、出入口付近には古びた納屋があり、納屋の隣の方には親戚が車を止めている。
私が2020年に発見して気づいたのだが、畑の納屋のすぐ隣の土の上に白い2cmぐらいの貝殻がいくつかあったり、
ゆで卵を割ったときの小さい三角の殻のようなものがいくつかあった。
ゆで卵を割った殻のようなものは、白い貝殻を割ったもののようだ。
一回、私が白い貝殻のほとんどを拾ってゴミ袋に入れて燃えるゴミの日に捨てたのだが、別の日に行くと、また同じように、白い貝殻の割れているのが納屋の隣の土の上にあり、それをまたゴミ袋に入れて捨てても、
また同じ付近に割れた白い貝殻があるのだ。
これは同じ人物がやっているとしか思えないが、固いものを割るようなことをしているのは、以前に石が割れていたのはニシとかがやっていると思っているので、この割れた貝殻を置いていっているのは、隣のニシが一人でやっているか、ニシとニシの仲間などがやっているのではないかと思った。
2020年の秋ぐらいに気づいたのだが、白い貝殻を割ったものが、畑の入り口付近だけではなくて、畑の奥の方や畑の真ん中などにもあった。
畑には割れたブロックや、茶色い屋根瓦が4分の一ぐらいに割れたものや、
灰色の屋根瓦にだと思われる一部が長方形のものが真ん中から亀裂が入って割れているものなどがいくつかあった。
畑の別の場所に割ったような石かブロックや、それ以外の割れていない石が同じ場所にたくさん密集してあるのが目に入ったのだが、
以前はそこにそんな石がたくさんあるのを見たことはない。
もしかしてニシがその場で割ったか、石などを畑に入り込んで置いていっているのではないかと思った。
その場所にあった石は私が別の場所に移動させたのだが、後日、そこから数メートル離れた所に、また同じように石がたくさんあった。
2020年の10月ぐらいに気づいたのだが、私が住んでいる家の裏の塀の内側にある土の上に、割れていない白い貝殻が塀の隣に一つあったのと、そこから数メートル離れた所に割れた貝殻が数個あった。
2012年の12月の上旬頃に気づいたのだが、畑の出入口の所に長い木が数本あって、そのうちの一本の木の一部の色が薄くなっていたのだ。
近づいて見てみると、木を何かで削いでいるように見えた。
私がそれを発見した日の翌日に同じ木を見たら、削がれている部分が増えていた。
見つかりたくないならば、出入り口付近の分かりやすい場所にこんなことはしないだろう。
見てほしくてやっているようにしか思えない。これもニシがやったのではないかと思った。
この木が削がれているのを見た日に、この木のことや貝殻などのことは映像証拠などがあるわけではないが、私は100%ニシがやっていると思っているので、直接ニシの所に言って、あんたがやっているんだろうと言いに行きたい衝動が出てきたが、その日は言わなかったが、
一週間ぐらい経った2020年12月12日の土曜日の午後2時ぐらいに畑に自転車で行って、畑の入り口付近にある割れた白い貝殻を割りばしで拾って、透明なビニール袋に貝殻を入れて隣の板金の敷地に歩いて入って行った。
板金の建物の右側に透明なガラスのドアがあって、外から室内がガラス越しに見えたが、ニシと同僚のヤマモトと見たことない人が一人いた。
私は透明なドアを右手で何回か音を出してノックして叩いたが、中にいる人たちは誰もすぐには出てこなかった。
その後、ヤマモトがドアを開けたので、私が一字一句覚えていないが、ニシという人を呼んでというようなことを言ったと思う。
ヤマモトはニシという人はいないという返答した。ニシは成人している男の割には背が低く、163cmぐらいの私と同じぐらいの身長だ。
その後、私は背が低い人を呼んでと言ったら、すぐにニシを呼んで、ニシがドアの外に出てきた。
私は初めにニシに「ニシっていう人」という感じのことを言ったら、ニシがニシヤマだか、ニシモトだか、ニシという名前以外の名前を言ってたが、なんて言っていたのかはっきり覚えていない。
次に私は割れた貝殻が入ったビニール袋を私の顔の位置ぐらいの高さで右手に持って、ニシに対して、割れた貝殻を置いているのはあんただろというようなことを単刀直入に言ったら、ニシは無言で何も言わなかった。その後、ニシは歩いてドアのある方に行き、ドアを開けて室内にいる人に、
貝殻がなんとかって言ってるよという感じのことを言ったら、部屋の中からヤマモトが出てきた。
私がニシに一字一句覚えていないが「こんにちは、こんにちはとあいさつしてきて私が返さなかったり、咳払いしたことが気に入らないから、やったんだろ」というようなことを言ったと思う。
それを言った後、ニシが私のことを知らないと言ったのだ。
その後、ニシが「証拠はあるんですか」と言ってきたが、私はあるともないとも何も答えなかった。
ニシよりヤマモトの方が言葉数が多くて、ヤマモトが
「こいつと長い付き合いになるんですが、そういうことしないと思いますよ。多分」というようなことを言ってたり、
「貝殻を持ってきているのを見たことないからやっていないと思う」というようなことを言っていた。
私はここに書いたこと以外のことも喋り、私は最後に「これ以上言わないけど」と言ってその場から去って行った。
3日後の月曜の夜に、畑のごみを捨てに行った時に、畑の入り口付近の土をライトで照らして見てみると、小さい貝殻が土曜日の時より増えていたような気がした。
私と今までに何回か目が合っていたり、私にあいさつしてきてたり、悪態ついてきたりしているので、私のことを知らないと言っているのはウソだろ。どう見ても私のことを知っているのに知らないなどと言っているのも、
貝殻を置いて行っているのをニシがやっただろと私に言われた後に無言で、同僚たちのいる所に向かって行って私に何も答えていないのも
自分がやっていると遠まわしに言っているようなもんだけど。私の頭のかつらについて、笑いをこらえるのが大変だったと言っているが、
ニシの不自然な態度も胡散臭すぎだ。
ニシが「証拠はあるんですか?」と言っていたが、何かをやった証拠とかだけではなくて、世の中の決まり(ルール)など
は、それが正しいという根拠や、裏付け、証拠のないことばかりだ。
宗教という言葉でいわれているものを信じると信仰や信仰心などと言われやすいが、法律や常識やマナーモラルや社会のルールと言われているものは、信仰とか信じるとは言われにくいから、言葉とは変な使い方をされているものだ。
ニシが数年前、畑の隣の所で小さい子どもに「あいさつは社会のルールなんだよ」と言っていたが、あいさつが社会のルールという証拠はどこにあるのだろうか?
ニシや多くのあいさつ信者が社会のルールという言葉に隠している意味付けは、人間としてしなければならないこととか、
人としての正しさなどと言いたそうだが、あいさつが人間としてしなければいけない根拠、証拠などどこにもない。
あいさつは社会のルールなんだよと言ったニシだが、
年配の男が車で板金のとこまで来てた時に、この男がニシに手を振っていたがニシはあいさつはしていなかった。
数年前にニシの同僚の家族らしい人が3人ぐらい板金の職場の所に来ていたが、ニシはその人たちにあいさつしている感じではなかった。
ニシは私があいさつを返さなかったと思って不満を持っている感じなので、ニシがあいさつ信者なのは確実だろう。
しかもモンスターあいさつ信者で、重症のあいさつ信者だ。
そして、多くの人もあいさつ信者だろうが、この信者のほとんどのあいさつの決まり(ルール)とは、誰にでもあいさつしなければいけないという決まりではなくて、例外除いて、仲間や好きな人ではない人があいさつしてきたらあいさつを返さなければいけないと信じているのだろう。
例外は、町中や観光地や駅のホームなどで、見たこともない人や、見たことはあるけど喋ったこともない、同僚や同級生でもない人などが
あいさつしてきた場合は、あいさつ返さなくてもいいという決まりを信じている人もいるだろうし、こういう場合は初めにあいさつしてきた人の方が変わっていると思う人もいるだろう。あいさつ信者はあいさつの決まりを勝手に決めつけて自分の思いたいように思って信じているのだ。
あいさつをされたら、あいさつ返しをしなければいけないことが人間としてしなければいけない正しさであるという証拠、根拠などどこにもない。
ニシは私に証拠を問いただしているが、自分も色んなことに対して証拠、根拠を問われれば答えられないことだらけだろう。
12月12日の翌日の13日の日曜日の午後にも私は畑に行ったのだが、私が来て少し経った頃に、車の一部の色が橙色の軽自動車に乗ってニシが隣の職場に来たのが目に入った。
ニシが車を止めた方から「こんにちは」というニシの声が聞こえてきたので、声がする方を見たら私のいる方にニシの顔が向いていて、もう一回こんにちはと言った。
一体どういう意味で2回もこんにちはと言ったのだろうか?私は何も言わず、会釈もせずに目線を逸らした。
推測だがニシがあいさつしてきた意味は、映像証拠がなければ警察に捕まらないとは思っていても、自分に直接貝殻のことを言ってきたから、
警察にも言われる可能性があると思って、逮捕にはならなくても職場に警察が来る可能性があると思い、それが嫌だから私に嫌悪感を持っているのは
変わらずに同じだけど、警察に連絡されないために媚売るためにあいさつしているか、警察に連絡されるとは思っていないし、私に嫌悪感を持っていて見下していることを具体的な言葉で言わずに、こんにちはという言葉に隠して、私をバカにして遠まわしに悪態をついて言っていそうな気がする。
数年前にあいさつしてきたのを除いて、その後、目が合ってもあいさつや会釈もしていなくて、貝殻を置いているのはあんただろと言われた翌日に、一回目は目も合っていなくて、数メートル離れた所から2回もあいさつしてきているのは、いい意味でこんにちはと言ったわけではないのは確実だろう。
気味の悪い不気味なあいさつだ。私はこの板金がやったあいさつをホラーあいさつと呼んでいる。
あいさつできる人は素晴らしいという人がいるが、表面的なところしか見ていないのだ。
みんなが同じ理由、目的、動機であいさつしているわけではない。
この板金の2回のあいさつのことを知っても、あいさつ出来る人は素晴らしいと思うのだろうか?
私の住んでいる家の裏の所のブロック塀の隣のドアの近くには、ガス屋が持ってくるプロパンガスボンベが置いてある。
裏のドアのところは南京錠などのカギは付けていなくて、内側の方のドアに棒を横に動かして穴に入れてドアを閉めるかんぬきがあるのだが、
このかんぬきの丸い穴に横の棒が入りずらくなったので、2020年に
私がホームセンターで細長い木と小さいラッチを買ってきて、木を3つに切って、木を数字の7のような形にしてネジで閉めて、
その木にラッチをネジで付けて、元々あった丸い穴にラッチの棒を入れてドアが開かないようにした。
2020年の10月ぐらいに気づいたのだが、このドアの所に付けた木のネジで閉めているところが明らかに斜めになっていて、ネジで締めているところが緩んでいた。
ドアの閉まり方もいつもと違っていて、ドアが開かない方向に力を入れて無理やり動かしていて、鍵の所は丸い穴には棒が入っておらず、別の所に棒が入れられていたのだ。
今まで見たことのあるプロパンガスを持ってくるガス屋の人は、いつも同じ中年の男の人なのだが、この人ではない別の人がガスボンベを交換しに来て、慣れていないから閉め方を間違って閉めた可能性もあると思ったけど、
ドアを開かない方向に力を入れて動かしているのは不自然なのでガス屋がやっている可能性は低い気もした。
一回目に木が斜めになっているのが分かった後に、
木にネジを一本追加して締めて、テープで固定して、ネジが緩んでいたのを直したのに、2020年12月25日にまた木が斜めになっていたのだ。
私は燃えるごみを捨てに行くのに週2回は裏のドアを開けたり、それ以外でも裏のドアを開けているが、いつもは木が斜めになっている感じではなかった。
12月25日に気づいた日の一週間か2週間前ぐらい前にガス屋が日中にガスボンベを交換しに来ていて、ガス屋は2週間ぐらいごとにプロパンガスを交換しに来るわけではなく、ガスボンベを交換しにくるならもっと後に来るだろうに、2回目に木が斜めになっていたのはガス屋ではないと思った。
一回目の時は穴以外の所に不自然に無理やり棒を入れていたが、2回目の時には棒は穴の中に入っていたのに木が斜めになっていたのだ。
この木を斜めにしたのは一回目のも二回目のもニシではないかと思ったのだ。
翌日の12月26日に家の裏の塀の内側の土の上に小さい石だか、石みたいなもので同じ色をしたものが同じ付近に3つぐらいあるのを発見したのだが、以前はそこにそれはなかった。
畑にも石が密集して置かれているのとか、ブロックを割ったようなものとか、レンガを割ったものがあったが、それもニシがやったと思っているので、家の裏にあった石もニシが置いて行ったのではないかと思った。
以前、裏の塀の内側にあった貝はニシが塀の外側から塀の内側に投げ入れていると思っていたが、そうではなくて、塀の内側に入って貝を置いていると思った。
12月25日に木が斜めになっているのを発見した同じ日に、裏のドアから数メートル離れた所にある勝手口の外側の地面がコンクリートなのだが、
そのコンクリートの一部に今まで見たことのないシミがあったのだ。
もしかしてこのシミもニシが何かをしてやったのではないかと思った。
勝手口の近くには井戸水が出る蛇口があり、その横には餅つきで使う臼が置いてありその上に板を置いていて、板の上には段ボールを置いていて、
段ボールにゴミ袋をかけて、段ボールをゴミ箱代わりに使うことを数年前からやっていた。
ドアの木が斜めになっていたり、コンクリートのシミを見つけた日ぐらいに、勝手口近くの外の所に置いてあったゴミ箱代わりの段ボールがなくなっていた。
勝手口近くのシミのすぐ近くのコンクリートの一部が小さく削られてへこんでいるのも発見した。以前はこんなへこみはそこにはなかったのだが、
これもニシがやっていると思った。
家の裏の塀の内側のところにニシが入っていると思ったことを「板金が裏に入っている」というような言い方で私の母親と叔父に言ったら、全く信じていないようで取り合わない。
叔父には「それ言ったらダメだぞ。おかしいと思われるぞ。○○の家の隣のも、そういうこと言って何回も警察呼ばれてる」というようなことを言われた。
叔父は「こんなところまで来て、そんな恨みあるか」というようなことを言ったり、私の母親は「そんなエネルギーあるか」というようなことを言っていた。
あいさつをしてほしいのにしないと不満を持つ人もいて、喋らないことにも不満を持つが、意図的にウソを付いても不満を持たれる場合もあるが、私が板金がうちの敷地に入っていると思ったことの自分の本音を言っても、
おかしいと思われるぞなどと言われるのだ。真逆のことをしても、おかしいと思われる場合もあるのだ。
自分と同じことを思っていなければ、喋ろうが喋らなかろうがおかしいと思われる場合もあるのだ。
叔父からは「証拠があるのか?」と2回言われた。人間の中には、自分が正しいと信じていないことや、間違っていると思うことを正しいと信じている人に、それが正しいという証拠、根拠、裏付けを求めてくる場合があるが、自分が正しいと信じていることには、それが正しいという証拠、根拠、裏付けは求めずに、自分や自分と同じことを信じている人には甘いところがある。
私が防犯カメラのことを母親に話していたら、隣の部屋にいた叔父が「カメラなんか付けたらダメだぞ。
わしがやられるで。村八にされるで」というようなことを言っていた。
叔父は私に証拠はあるのかと言ってきて、絶対誰かが嫌がらせで入ってきていることはないと叔父は思っていて、
証拠を取るためにカメラを付けることも許さないのだ。
監視カメラについてもみんなが同じことを思ってはいない。ダミーカメラか本物のカメラか分からないが、うちの近所の数件の家にカメラが付いていたし、別の住宅街でも何個か家の外にカメラを付けてあるのを見たことがある。カメラを付けることを嫌がっている叔父みたいな人もいれば、嫌がらない人もいるのだ。
家の外に監視カメラを付けていることが嫌で、カメラを付けている近所の人が裁判を起こす場合もあるみたいだし、カメラを付けていることを嫌がらない人もいるだろうが、あいさつでもあいさつ返さなくても不満を持たない人もいれば、不満を持つ人もいれば、不満を持っても嫌がらせしてくる人もいれば、嫌がらせしない人もいるのだ。
村八の定義も人によって違うが、多くの人は近所や職場や学校などの属している集団などで全く相手にされていないと思う人とか、
喋りかけたり、あいさつしたのに、おかしいと思うことを言ったわけでもないのに返事をされなかったことを村八とか、無視やシカト、スルーなどと言う人が多いだろう。
関わる気もない人やどうでもいい人、仲間扱いしていない人などに、あいさつ返しを求めて初めにあいさつしたり、アメやお菓子、土産物をあげたり、
喋りかけることをしたことを村八やシカト、無視、スルーなどとは言わない人の方が多いだろうし、自分達は関わる気もない人やどうでもいい人と関わってあげていて、親切で優しく、思いやりがあるなどと高評価する人もいるのだろう。社会のルールや常識などと言い、本音や本当の信仰心を隠すことを、大人な態度などと思い高評価する人もいる。誰かが言っていた村八の定義は、10ある中で2つのことでは関り、葬式と火事の時だけ関わるから村八と言っているというようなことを言っていた。
この定義で言えば、誰かと関わることを、その人の全てと関わるわけではないことを村八にしているところがあると言うとすれば、
誰でも全ての人や人間以外の生き物や色んなことを村八にしているし、誰でも村八にされているということになる。
みんな色んな人や色んなことを無視しまくっているのだ。でも一部のことで表面的であれ、深くであれ、関わったから私たちは村八や無視をしたことがないと都合のいい捉え方をして、都合のいい言葉の使い方をするのだろう。
あいさつだけしたか、たまに食べ物をあげたり、喋りかけたりすることをした場合は村八や無視はしていないと多くの人は思うのだろうが、
相手のほとんどを知ろうともしないし、相手とあいさつだけか、あいさつやそれ以外の一部のことだけで関わったことを、
ほとんどのことでは関わる気もないから、相手のことを村八にしている、無視をしているところがあるとも言えるのだが、
綺麗事でいい感じのことを言いたい人はあいさつしただけでも
コミニケーションしたとか、コミニケーション能力が高い、無視や村八にはしていないなどと言い良く言うのだろう。
全てを10だとして、あいさつという1つのことだけで関わってやろうと
してあいさつしたことを、村九(むらきゅう)などとは言わなければ、村八とも言わない人が多いだろう。
形だけあいさつという言葉で一部の人と関わってやろうと一方的に決意してオウム返しを求めてあいさつしても、相手の心理を分かっていなかったり、
分かる気もないのにあいさつしている人について、相手の心理を知る気もなく、形だけ関わる気もない人や、大切ではない人や、どうでもいい人に
村八あいさつをしている人と言うわけでもない。相手の心理を知る気もなく、形だけあいさつしたり、人の目を見ずにあいさつして言葉でオウム返しされると勝手に信じて一方的なあいさつしても、大勢があいさつを正しいと信じているからおかしいとは思われにくい。
あいさつを一部の人にだけしてほしいあいさつ信者はあいさつだけか、あいさつと一部のことで大切ではない人や、どうでもいい人や、関わる気もない人や、人によっては好きな人にあいさつを求めていても、相手の全てを知る気もなかったり、知る気があっても自分の興味がある一部のことだけ知る気があるだけで、相手のほとんどや全部を知る気もなく、自分の都合で一部の人にだけあいさつを求めてあいさつをしている人は、
「村八あいさつ」「あいさつ村八」をしているとも言えるのだ。
叔父が村八にされるでと言っているが、概に叔父は近所の全ての人や家族や、それ以外の全ての人から村八にされているとも言えるのだ。
近所の一部の人としか会わないだろうし、誰かとあいさつだけの関りならば、あいさつだけで関わっているだけで他のことでは関わろうともしていないことを、あいさつ村八されているとも言えるし、あいさつはおろか、それ以外のことでも関わっていなかったり、関わる気もない人との関係も村八関係とも言えるし、家族や親戚とも全てのことで関わっているわけではないのだから、家族や親戚とも村八であるとも言えるけど。
近所の人から嫌われたり、悪評価されたり、バカにされていることを村八というのならば、叔父や私や私の母親も近所の人から悪く言われているところもあるだろう。
私が近所の数人の老人からあいさつを初めにしないことで不満を持たれて、悪態つかれて悪評価されていることを村八と言うとすれば
私は概に村八にされているとも言えるけど。
叔父は悪評価されていても、影で悪口を言っていて、本人の前ではあいさつしたり、喋ったり、物をあげたりすることを村八ではないと思っていそうだ。
カメラを付けることで近所の誰かから嫌われたりするのが嫌で不満を持たれることが嫌だと思っているのならば、叔父が家のドアを凄い大きい音で閉めることに対して近所の一部の人から不満を持たれて、音の嫌がらせをされているのだが叔父はそれに気づいていないのだ。
以前ネットのある文章を読んでいたら、近所の人があいさつをしないことを村八と言っている人がいた。近所の人にあいさつすることが正しいと信じているあいさつ信者の人の中には、あいさつしてほしいのにあいさつしないことを村八という人もいるのだ。
自分の信仰心に合わせない人に村八されていると言うのならば、自分もあいさつしてほしいのにしなかった人や、他の人や色んなことを無視して村八にしているとも言えるのだけど。バカと言う人がバカと言うように、村八されていると思っている人も全ての人を村八にしているとも言えるのだ。
防犯などの目的で門にカギをかけたり、ドアの内側のかんぬきの穴に棒が入って入れば、外からは人が入ってこないと思う人もいるだろうが、
入ろうと思えば結構簡単に入れるのだ。門や塀の高さが160cmぐらいや2mぐらいあっても、自動車や自転車やはしごや、イスなどを使って入れるし、これらの物を使わずに塀や門を乗り越える人もいるだろう。それをやられることを防ぐために一部の人は塀の上などに有刺鉄線などを付けるわけだ。
今は昔はなかった防犯カメラがあるが、カメラ代を払う金はあっても、
そういう商品があることを知っていても、買う金がなかったら防犯カメラを使うことなどできないし、監視カメラを外に付けていて不満を持たれて裁判を起こされて、カメラを外せと裁判官から言われる人もいるので、
監視カメラがあってもみんながそれを使えるわけではない。
2020年の12月の下旬に私が表の庭で園芸作業をしていたら、白色で縦1cmぐらいのソフトクリームみたいな渦巻の貝殻が3つくらいあったり、
庭の奥の方の松葉ボタンの葉の上に厚みが1cmぐらいの私の手ぐらいの大きさのコンクリートがあったのだが、数か月前の10月ぐらいの時にそこに花の種をまいた時には、そんなコンクリートはなかった。
庭の別の場所の岩と岩の間の狭い場所の土の上に4cmぐらいの石があったのだが、そこには以前に石などなかった。
庭の他の場所にも石があったが、石のある位置が門や塀の外から投げ入れて落ちる場所だとは思えないので、
ニシが入って石を置いて行っている気がして、表の庭にもニシが入っていると思った。
私の母親に板金が庭に入っているということを言うと、母親は板金はうちの家を知らないと言ったのだが、2020年よりも前の時に、私が私の住んでいる家の庭から出てくるのを板金に見られているので、
板金はうちの家を知っていると言っても、私の母親は板金はうちの家を知らないと言うのだ。
2020年12月12日に貝殻のことを私がニシに言いに行く前の月の11月の日曜日に私が畑に行った時に、ニシが数メートル近くにいて、ニシ以外に人がいる感じではなかった。
私がニシをジーッと見ていたら、ニシが視線に気づいて私と目が合い、その後もう一回目が合った。
その後、何かの鳥が外で鳴いていたら、ニシが「うるさい」と大きい声で言った。
さらにその後、私の目は見ずにニシが吐き捨てるように「くらっ、きもっ」と言ったのだが、くらっというのは暗いという意味で、きもっと言ったのは気持ち悪いと言っていると思うが、誰のことを暗い、気持ち悪いと言っているかは私のことを言っていると思っている。
周りに誰かいた感じでもなく、それを言う前に喋ってはいなかったのに、目が合った後にこの言葉を言ったのだ。
その後、ニシが「君が言いたいことは分かるよ」と言ったのだ。
ハンズフリーでスマホで誰かと喋っていると思う人もいるだろうが、くらっ、きもっと、君が言いたいことはわかるよ、という3つの言葉以外にニシの声は聞こえなかった。スマホで誰かと喋っているのなら、もっと喋っていると思うので、誰かと喋っていたのではないだろう。
君が言いたいことはわかるよの君とは私のことを言っていたのではないかと思っているのだが、ニシは私がニシを見ていたのに気づいた時に、自分が貝殻とか石などを置いて行っていることなどを感づかれていると思ったのではないかと思う。
私はほとんど畑にはいかないが2021年の8月の初めか、7月の終わり頃に
私が畑に行って、納屋の隣の戸がないところに長靴やクワやハサミなどが置いてある所で、履いてきた靴から長靴に履き替えて、
少し歩いたら、長靴の感覚がいつもと違うので、長靴の方を見ると、片方の長靴の内側の所がふくらはぎの所から、つま先の所まで30cmだか、40cmぐらい、ひらがなのしの字みたいに刃物で切られていた。しの字の切られている方の長靴と、もう片方の長靴と別の長靴も2、3cmぐらい直線で切られていた。これもニシがやったのではないかと思った。
私の母親が乗っている自転車の椅子の黒いサドルの所が3センチぐらい切れていたのだが、これもニシがやったのではないかと思った。
私が使っている自転車で、多分ハンドルバーと呼ばれている所だと思うが、ハンドルの横の方や自転車かごの後ろの方のハンドルバーの所の
数か所に何か固いものでガリガリと削ったような跡があった。自転車が倒れた時に地面と当たる部分ではないし、自転車が倒れた時にできるような
傷だとも思えない。この削ったような跡もニシがやったのではないかと思った。
ニシは私たちが住んでいる母親の実家の母屋と、母屋の隣の物置として使っている建物の中にも入っているのではないかと私は思った。
まだニシが母屋とかに入っていると私が思っていなかった頃から、私が住んでいる家の中などでの謎がいくつかあった。
そのうちの一つが、母屋の一階の和室の部屋の一番端のふすまの上の方のところが15cmぐらい直線で切れていた。
その当時は家に誰かが入り込んでいるなどとは思っていないし、家に住んでいる人たちが不快なことがあったからとハサミやカッターで
ふすまを切っているとも思わなかった。私はふすまが切れていることに対して深く気に留めることもなく、そのことは忘れていた。
もう一つは、ある日たまたま気づいたのだが、玄関の近くの土壁の1mぐらいの高さの位置の土壁が斜めに太く削れていたのが目に入った。
誰かが荷物などを運んでいる時に壁に当たって削れたのかとも思ったが、少し物が当たったぐらいで土壁が斜めに線が入ったみたいに削れるわけもないので、物が当たって削れたとも思わなかったが、このことも深くは気に留めなかった。
私は庭に花を植えたり、花の種を蒔いたりして園芸作業をするのだが、2020年の秋に花の種を蒔くのに、いつもとは違う入れ物を使った。
ホームセンターなどで花苗を買った時に入れる黒色の縦長の入れ物がいくつか家にあり、この入れ物の中に、何かを買った時に段ボールに入っていた厚みが1cmぐらいの白い発泡スチロールを切って、入れ物の下側と横の4面に発泡スチロールを入れて、その中に土を入れて、花の種を蒔いた。たくさんの花の種を蒔いた入れ物の全部を表の庭に置く場所がなかったので、
母屋の隣の建物の2階のベランダの隣にある屋根瓦の上に発泡スチロールと土を入れて花の種を蒔いた入れ物を置いた。
ある日、屋根瓦の上に置い土に水をやりに行ったら、横の4面に入れておいた発泡スチロールの一つがなくなっていた。
周りを見ると縦長のなくなっていた発泡スチロールが種を蒔いた入れ物の近くにあった。発泡スチロールは土を入れているので強風が吹いたとしても、
入れ物の中から発泡スチロールが外れることはないと思ったのと、カラスなどの鳥が発泡スチロールをくわえて取っているわけではない気がしたので、
何で発泡スチロールが入れ物から出ていたのか謎だった。
母屋の隣の2階のベランダに出るためのドアが風で動いて、外にあるトタンの所にぶつかると音が出るので、
そこにプチプチをテープで貼って音が出ないようにした時に、ベランダに出るためのドアにもプチプチを貼ったので、少しドアが閉めにくくなっていた。母屋の隣の建物の2階には毎日私が洗濯物を干しに行っているが、ベランダに出るドアが開いている時などほぼないのに、
2020年の秋の時に何回かドアが開いていたのだが、プチプチをドアに貼ったので、以前よりドアが閉まりにくくなっていて、
ちゃんと閉まっていなかったからドアが開いた可能性があるかもしれないと思った。
これらの謎が2020年の12月ぐらいに母屋の隣の建物の一階に割れている5cmぐらいのブロックのようなものがあったり、
2階のベランダの地面に割れているコンクリート片がいくつかあったのだが、以前はそこにそんなものはなかったし、家に住んでいる人間は私以外、ほとんどのその場所へは行かないので、固いものが割れているのは畑に何度もあった固いブロックや、屋根瓦や白い貝殻や石などと似ていて、私はニシがそれをやっていると思っているのと、家の表の庭や裏にも貝殻があったなどのことも含めて、母屋の隣の建物にあったコンクリート片やブロックのようなものもニシが入ってやっていると思った。
母屋の隣の建物の一階のドアの一つはいつも閉めているが、塀の内側の方にあるドアの方は引き戸でカギ自体がないので、塀かドアを乗り越えて
塀の内側に侵入していたら、母屋のたなりの建物には簡単に入り込める。
以前から謎だった家の土壁が削れているのや、2回の屋根瓦の所に置いていた発泡スチロールのことや、2階のドアが開いていたのも、ふすまが切れていたのもニシが入ってやったのではないかと思った。
それ以外でも、母屋の隣の建物の1階と2階と、母屋の一階の一室には半透明のゴミ袋に服や下着を入れて置いているのだが、
そのゴミ袋のところに15cmぐらい直線で刃物で切られているのが何個かあったり、30cmぐらいの直線で切れているものもあった。
畑の長靴や、ふすまが切れているのと同じようなことがやられている。これもニシがやったのではないかと思った。
母屋にどうやって外から入ってきたのかと思う人がいるかもしれないが、私の母親と叔父は空き巣を警戒しているが、
寝る時や出かける時に一階の全ての窓やドアの鍵を閉めているわけではない。夜寝る前は玄関や勝手口は大体閉めているが、
叔父は夜に玄関の鍵を閉めているか見に行っている時もあるみたいだが、玄関の鍵を閉めずに寝室に行っている時もあって、
空き巣を警戒している割にはいい加減なところもある。
私は空き巣などが入るとは思っていないが、寝る前には玄関や勝手口ぐらいは閉めていたが、玄関横の部屋のガラスの引き戸の鍵は開けている時もあった。叔父や私の母親はこのガラス戸の鍵が閉まっているのかは見に来ていないと思う。
ニシはここからは家の中に入っていると私は思っている。
2020年の秋に畑で作業をしている時に、畑の一番奥のところに小さい生理用ナプキンが袋から出されているのがあった。
畑の一番奥の隣は川で、風で生理用ナプキンが飛んできたとは思えなかった。
2020年の12月の時に、この生理用ナプキンもニシが置いて行ったのではないかと思った。
お前の所の畑に入ったぞということを表すために、ニシがわざわざ生理用ナプキンを買いに行き置いて行ったとは思わないし、
一緒に住んでいる女の家族や恋人がいたとしても、その人たちの生理用ナプキンを持ってきて置いて行ったのではなくて、
私が住んでいる家の母屋に入った時に、うちの家の洗面所の棚の上の所に置いている生理用ナプキンを取って行って、畑に置いたのではないかと推測している。
ニシが家の中に入っていることを言葉以外の形でニシが私の近くでやった行動で表してきていると思ったことがある。
それは2020年の11月か12月の時に私が畑で作業をしている時のことだった。
うちの畑は長細く、板金の敷地はすぐ隣なわけだが、板金が作業している建物は道路の近くの方にあり、奥の方は川で、建物の後ろから川の方に向かって車がたくさん置いてある。
私が畑の一番奥の所で作業をしている時に、板金の敷地の方から視線を感じたので見たら、車に乗ったニシがジトーッとした目つきで私の方を見ていた。
その後、私から数メートル離れた板金の敷地に停めてある車にニシが来て、車の前のドアと後ろのスライドドアを開けて、何かしている感じだった。
ニシはすぐに去っては行かずに、少ししてからその場を去った。ニシがそこに来て車のドアを開けて何かをしている行動を取っているのは
演技臭いようなものを感じた。たくさんある車の中で明日以降にその車を修理するための準備や確認のために、その車のところに来ていたとか、
その車にいつも使う道具を置いてあるから取りに来たという理由で来たのではないと思う。
その後に、私が畑の真ん中あたりにいた時に、ニシが私から数メートル離れた所に置かれている車の後ろのスライドドアを開けていて、少しして建物の方に歩いて行った。
私はその後、畑の納屋の隣で靴を履き替えて帰ろうとしていた時に、隣の板金のところに大きい車が停めてあって、
ニシが車の前のドアを開けてすぐに閉めて、反対側のドアの方に行き、さっきと同じようにドアを開けて閉めるということをしていた。
ドアを開けてすぐ閉めるような行動をとったのは、客の車のドアの調子を調べるためにやったとかではなくて、
うちの家の母屋と母屋の隣の建物に入っていることを私に対して言葉以外の形で表すためにやっていると思っている。
同じ日に、私が畑の奥で作業している時に車の前と後ろのドアを開けて何かしているようなことしていたのも同じ理由でやっていると思っている。
私が住んでいる家で家の人間が普段は行かない2階の部屋に行った時に、その部屋には衣装棚があるのだが、
その衣装棚の取手の所が開かないように一メートルぐらいある長い木のものさしを取手の所に置いてあった。
2021年にこの部屋に行った時に私が気づいたのだが、床の上にものさしがあって、ものさしは真ん中らへんで折れていた。
プラスチックの1mぐらいのタンスの上に缶などを置いていたのが床の上に置かれていた。
この部屋の隣の部屋の小さい窓の所には長年すだれが掛けてあるのだが、すだれの途中で数か所ヒモが切れていて、
細長い枝の一部が下に落ちていた。紐の部分を見ると刃物でスパッと切ったような感じではなくて、引っ張って切れているような感じに見えた。
これらもニシが入ってやったのではないかと思った。
母屋の一階の叔父がパソコンを使っている部屋の隣は渡り廊下があり、渡り廊下の両側の地面はコンクリ―トだ。
ある時たまたま気づいたのだが片方のコンクリートの一部が汚れているように見えたので、水で濡らした雑巾で拭こうと思って、汚れているように見えたとこに雑巾を置いて動かしたら何か固いものがあったので見てみたら、
コンクリートの破片がいくつかあった。その破片があった所の下側のコンクリートの一部分がへこんでいて、なにか固いものでコンクリートが削られていた。
この場所の近くのガラスの引き戸のサッシの所に少し穴が開いていて、何か固いもので叩いた感じがした。
これらもニシがやったのではないかと思った。
ある時たまたま気づいたのだが、トイレがある部屋の家の外側の壁の下側がコンクリートなのだが、
そこに雑にぼこっと盛り上がったようにコンクリートが塗られていて、
緑のアース線の一部にもコンクリートが付いていて、それは業者の人がやったものではないと思った。ここもニシがこの部分の壁を削ったか、
削っていなかったとしても、コンクリートをここに塗ったのではないかと思っている。
ここから数メートル離れている勝手口の斜め横の地面のコンクリートの所に、周りのコンクリートの色よりも濃い灰色のコンクリートで
楕円形の円が雑に塗られていた。家の人間がそれをやっているとも思わなかった。
ニシがトイレの外側のコンクリートを塗った後に余ったコンクリートを使って楕円形を塗ったのではないかと思っている。
以前、台所の流しの横の台の上に私の母親が使っていた陶器のコップが、コップのふちを上にしていつも同じ付近に置いてあった。
ある時に気づいたのだが、母親が使っていたコップのふちの外側の所が1cmぐらい欠けていた。そのコップの上に私の母親が皿を落として
コップが割れて、そのコップは捨てた。家にあった別の陶器のコップを私の母親は使うようになった。
そのコップに以前に私の母親が使っていたコップと同じような欠けがまたできていた。
別のコップにはふちの外側の所に2cmぐらいの同じような欠けがあった。
洗い物はほとんど私がするが、コップや皿など普段はほぼ落とすこともないし、落とした時にできた欠けだとも思えない。
何枚かのお皿の裏の所にも同じような欠けがあった。一枚の皿の裏の所に数か所欠けているところがある皿もあった。
うちの庭には以前から茶色の大小の鉢植えがたくさんある。小さい鉢植えの何個かがコップと同じような感じで、ふちのあたりが欠けているのを見つけた。同じ鉢植えのふちの所に数か所の欠けがあるものもあった。
複数のコップと鉢植えのふちの所に同じような欠けがあるのも不自然だと思い、誰かが意図的にやっている感じがした。
陶器の醤油さしの液体が出てくるところの先の所が数か所小さく欠けていた。うちの家の人間が低い位置から落としたとしても、
数か所が小さく欠けるとは思えないし、誰かが意図的に欠けさしていると思った。
固いものを破壊するようなことはニシがやっていると思っているので、庭の鉢植えも台所のコップや皿も、醤油さしもニシが何か先が刃物になっているような鋭利なものでやったのではないかと思っている。
台所の他の所では、茶色の食器棚の真ん中らへんの所の平らなところが少しへこんでいた。
そのあたりを押してみると軽く押してもへこみやすい木だった。
へこんでいる所の近くには、何か固いもので強く押し付けているような跡があった。
食器棚の上の扉の横の所が少し木の中の色が見えていて、そこだけ色が薄くて周りの茶色と違い目立っていたのが目に入った。
よく見てみると、薄い色の所はくぼんでいて、何かでえぐって削っているような感じがした。
これもニシがやったのではないかと思った。
あいさつを正しいと信じている人は、それが正しいという根拠、証拠、裏付けなどないので、正しい根拠、証拠など言えないだろうが、
あいさつやあいさつ返しは正しい、しなければいけないと根拠がない自信を持っている人が多いだろう。
うちの畑や家の庭や裏の所や、家の中でやられていることをニシがやったと私が思っていることに、ニシがやったという証拠はないと思って、人が読める所にこの文章を出していることをおかしいと思う人もいるだろうが、
それなら、あいさつや、それ以外の多くのことでも正しい根拠、証拠などないことばかりなのだ。
自分か大勢が信じていることは正しい証拠や根拠がなくても、正しいこととしてまかり通らせるくせに、自分たちに都合が悪いことや、自分が正しいと信じていないことは信じずに、自分が思いたいように思っているだけなのだ。
あいさつを返されなかったとニシが私に悪感情を持って、その後もあいさつのことや、私がやった咳払いに不満や悪感情を私に持っているのだろう。
ニシや他の人はあいさつのことでも私をニシは嫌っているけど、あいさつよりも私が咳ばらいを真似したことの方をもっと嫌っていると思う人もいるだろう。
ニシがうちの所の畑や家でやっていると私が思っている嫌がらせを、ニシがやっていると思った人もそれをやられている原因があいさつや咳払いだけではなくて、前世からニシと仲が悪かったからだとか、前世のカルマだとか思う人もいるだろう。
あいさつをみんなが正しいと信じているわけでもなければ、あいさつ信者にもそれぞれ独自のあいさつの決まり、信仰心を持っているように、
同じあいさつというものに対してみんなが同じことなど思っていないように、私がニシから嫌がらせをされている
と思っていることに対しても、みんなが同じことなど思わないのだ。
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