くるみの世界

金でやっていく世の中や、あいさつが正しいとされていることは
間違っているということを主張したいです。

脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ7

2023年05月07日 | 脱金社会
目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
25.ズルいという人がズルい
26.何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば誰でも怠け者だ
27.金非信者や、給料や印税という形で金を貰っていないニート、無職、引きこもりと言われている人は辛抱する仕事、我慢する仕事をやっているとも言える
28.擬態生物の人間達
29.日本人はあまり人の気持ちや、他人の信仰心とか、世の中のことを分かっていないと思う
第30章へのリンク
第31章へのリンク
第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク

25.ズルいという人がズルい

 

他人にズルいという人で、自分はズルくないと思っている人がいるが、誰でもズルいとも言えるのだ。
ズルいという言葉は他の言葉と同じで、みんなが同じ定義や意味付けでは使っていない。
誰かのことをズルいと言って人に不満を持つ人の理由の一つは、妬み、ひがみ、羨ましさだ。
具体例で言えば、学校の掃除をやっていない生徒に別の生徒が「あの子、掃除さぼっててズルい」と言っているようなものだ。
こういう不満の場合は、ズルいと言っている人の多くは、掃除をするという決まりを正しいと信じてはいなのに、掃除をしている人たちは色んな理由で形だけ掃除をしていて、掃除をしていない人を羨ましがって不満を言っている場合がある。
大勢の生徒が掃除をしているのに、掃除をしていない生徒を問題視してズルいと不満を持つ。
掃除をしている多数派の方は問題視はされないのだ。学校に行くことが正しいことでもないし、
学校で掃除をするように先生が勝手に決まりを決めて生徒に掃除をしろと言っているだけで、
学校で掃除をすることが正しいということにはならないが、例外除いて、少数派の方が間違っているとか、おかしいと思われやすいところがある。
自分が掃除を正しいと思っていないのならば、掃除をしないことも出来るのに、自分が勝手に掃除をしているのに、自分可愛さ、我が身可愛さがあるので自分のことは悪く言いにくいのだろう。
「みんなまじめにやっているんですよ」などと言い、少数派の方を問題視して悪く言って、多数派の方が正しいとか、多数派に合わせてほしいとでも思っているのだろう。自分の信仰の押し売りをしているだけだ。

 

金でやっていく世の中で、税金を払わない人などに、「まじめな人が損をする」とか「図々しい人が得をする」などと言う人は、税金などを払うことが正しいと信じているのに、正しいことをしていないと思う人に対して、悪評価、低評価して言っている場合と、
正しいとは信じていないのに、色んな理由で形だけ嫌々、金を払っている人が、払わない人を羨ましがったり、妬んで言っている人がいるのだ。
金でやっていく世の中自体がウソの間違っている不正をやっている世の中なのに、
その金でやっていく世の中を正しいと信じている大勢の金信者は、金でやっていく世の中を辞めようとはしない。
その金でやっていく世の中で、金非信者も金信者も大勢の人が苦しんでいるのは、多くの人が知っているだろう。
金がないとやっていけないから、給料を貰うようなことをしたくなくても、嫌々やっている人がいて、
そういう人たちが、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人を妬んだり、羨ましがったりなどして、見下したり、バカにしたり、死んでほしがったりして、少数派の無職やニートなどと言われている人を下に見て、蔑んでいたりする人もいる。

 

給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人を例外あれど、見下している人の中には、この人たちが楽をして苦しんでいないと思っている人がいるのだ。
勝手に自分の内面でそういうことを思って、それが正しいことだと信じているバカで鈍いところがある人なのだ。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が、家族や家で飼っている犬などの介護をしている人もいるが、それを知らなかったり、知っていても、給料という形で金を貰っている介護士の人が介護をしていることには不満を持たなくても、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が介護をしていた場合は価値が低いかのように思う人もいるのだろう。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が、いかにも何かをしていても、
例外あれど給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人よりも価値が低い人だと思っていて、悪い意味で差別しているのだ。
例外あれど給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人の方が、立派なことをしていて、優れている人であるかのように思っている人もいるのだ。
やっていることは同じでも給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人の方が素晴らしいと高評価する人がいる。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人を褒める人の中には、こういう人たちは人の役に立っていて、社会に貢献しているなどと、はっきり言わない言い方で
褒める人もいるが、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人も、存在しているだけで家族や親戚や友達や、家で飼っている動物などに好かれているだろう。
好かれているというのは誰かの役に立っているということだが、存在しているだけで誰かの役に立っていることが良く言われやすいのは子どもや犬、猫や、美形や自然で、
仕事と言われているものではモデルだろう。金でやっていく世の中は、このような差別をしている不正社会で、頭がおかしい、キチガイ社会なのだ。
本来、全ての物に値段が付いていないことなど分かりきっていることだ。
地球の一部である土地に本来は値段が付いていないし、商品やサービスにも元々、値段など付いていないのに、商売をやって金を取らないと生きていけなくて死活問題だから、
合法をいいことに値段を付けて、例外あれど商売が正しいと信じている人がたくさんいるのだ。例外は気に入らない仕事とか、気に入らない値段だと不満を持ち、悪質商法や、ぼったくりなどと言って悪評価して許さないのだ。

 

金でやっていく世の中で、税金や年金、罰金、損害賠償などで金を取るのも、商売で金を取るのも、物やサービスに値段を付けるのも不正で間違ったことをしていて、合法の詐欺、合法の泥棒をやっているのだ。
一般に詐欺や泥棒と言われているのは、刑法違反の方で、警察を呼ばれれば逮捕されるが、
合法の方は刑法違反ではないので警察を呼んでも逮捕にはならないし、大勢が金でやっていく世の中を正しいと信じているので、ほとんどの人は合法で詐欺、泥棒をやっていても悪く言われずに問題視されない場合が多いのだ。
刑法違反の方のスリや強盗、万引きをした人に金や物を取られたり、取られそうになった人が被害を受けてかわいそうだと思うのだろうが、スリや強盗、万引きをやった人を捕まえる警察の給料が税金から出ていて、その税金を払うことを正しいと思っていない人がいたり、
嫌がっている人がいるのを知っている人はたくさんいるだろうが、自分が持っている金を取られることを嫌がっているのはスリ、強盗、万引きで刑法違反された方も、
税金や年金や、値段ついているものに金を払えと言われている方も同じなのに、刑法違反した方だけ逮捕になったり、多くの人も刑法違反をした方を悪く言うようなズルい差別をしているのだ。
これらのことを普段、問題視したり、おかしいと思っている人はほとんどいないだろう。
逮捕された人をバカにして見下すようなことをする人はたくさんいても、ほとんどのことは問題視されにくく、みんな色んなことを泳がされていて、放置されて、ほったらかしにされて、
野放しにされている。逮捕の様に強制で捕まったりなどしないし、ほとんどのことに言葉で不満を言われたり、間違っていると言われたことがないから、自分達ほとんどの人は、全くか、ほとんど間違ったことをしていないと思っている人がたくさんいるのだろう。
値段がついているものに金を払わなかったりして刑法違反のことをした人のことは多くの人は悪く思いやすいが、合法で嫌がっている人から年金、税金を取ったり、客が嫌々、金を払っていたりしても、金を取っている方は泥棒とは言われにくいのだ。
金を払っている方も払わないことも出来るけど、大勢が払っているから正しいと信じて払っている人と、逮捕されたくないとか、人から嫌われたくないから、
払うことを正しいと信じていない人も払っているのだろう。
誰かが嫌がることをしても逮捕される人と逮捕されない人がいたり、誰でも不正をやっているのに逮捕される人と逮捕されない人がいるような、ズルい差別をしているのだ。




26.何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば誰でも怠け者だ

 

金が欲しいから給料を貰うことをやっている多くの人のことを、よほど気に入らないことをしていないかぎり、怠けていない、仕事をしている、働いているなどと多くの人は言うだろう。
そういう人たちは、ほとんどのことをやってはいないし、ほとんどのことを知ろうともせずに、みんなで助け合いをしようとはせずに、不正の金でやっていく世の中に加担して、無職、ニートなどと言われている人や窃盗、スリ、強盗などと言われていることをやった人達を
下に見たり、この人達が楽しているなどと勝手に決めつけてバカにしたりしている人もいる。

 

ほとんどのことや、ほとんどの人のことを、よく知りもせずに、全くか、ほとんど知ろうともしないというのは怠けているとも言えるが、給料を貰うようなことや、それ以外のごく一部のことをやっていることで怠けていないなどと言う人もいるだろう。
大勢と同じことをする人を褒め称えていて多数派に甘い人が多いだろうから、給料を貰うことをしている人を例外あれど良く言いやすいのだろう。
何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば、誰でも怠け者なところはあるのだ。みんな誰かがやっているほとんどのことはやっていない。

 

無職と言われている人が家事、掃除、洗濯や畑作業や、園芸をして花の種を蒔いたり、苗を植えたり、日記を書いたり、本や漫画などを読んだり、テレビや映画を見ているのも、
作品を作るのも、ブログやSNSに文章や写真や動画を出すのも、過去のことを振り返ったりなどして自分の内面と向き合う内観をしたり、犬の散歩したり、運動したり、歩いたり、写真撮ったりなどして、何かをしているが、無職、ニートと言われている人を見下している人は、この人たちのことを全くか、ほとんど知らないし、知る気もない人の方が多いだろうに、給料や印税という形で金を貰っていな人を例外あれど、バカにして、見下して、悪い意味で差別しているから、
この人たちが何かしていたり、存在しているだけで家族や友人などの役に立って好かれていても、給料や印税という形で金を貰っていないことが気に入らなかったり、間違った生き方をしていると思っているから、ダメ人間などと見下したり、怠けているなどと思う人もいるのだ。

 

人が何をやっているのかをほとんど知らないし、何をやっているのかをほとんど知る気がない、何を思っているのかをほとんど知る気もないような、人のことをほとんど知ろうとすることをしない怠けている人が、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていることで、この人たちのことを怠けていない人と思う人もいるのだからバカげた差別をしている。
給料や印税という形で金を貰うことをやっていない人も何かをやっているが、無職やニートと言われている人の中には給料や印税という形で金を貰っている人よりも、心身苦しんでいる人もいるだろう。
給料や印税という形で金を貰っていない人を楽して何もしていないと思っている人の中には、自分たち給料や印税という形で金を貰っている人の方が頑張っていて、立派だと思っている人もいるだろう。

 

給料や印税という形で金を貰っている人の中には、自分や好きな人を褒め称えて、自分達は頑張っているけど、あの人たちは頑張っていないと思ったりしている人もいるだろう。
給料や印税という形で金を貰っている人の誰かのことを、少しだけしか頑張っていない人だと思われていたり、色んなことでバカにされていることがあることに気づいていない人もいるのだ。

 

金でやっていく世の中を辞めようとしなかったり、不正なのに金でやっていく世の中を正当化させて、
スリ、強盗、窃盗などと言われている人のことは逮捕して泥棒と呼ぶのに、自分達のことは悪く言わずに、給料を貰っていることも、税金、年金などを取るのも不正なのに泥棒とは言わない。差別をすることを頑張っているとか、不正の金社会を維持していこうとして金非信者も巻き込むことをすることを頑張っているとは言わないのだ。

 

家の家事、掃除、洗濯などをやっていても、それを価値が高いとか、価値があるとは思っていない人もたくさんいるだろう。
だから無職やニートと言われている人が、これらのことをしていることを知っても素晴らしいとも思わないし、何かをやっていても見下してバカにしている人もいるのだ。

 

トイレの便器の汚れに「さぼったリング」と言われているものがある。
ほとんどの決まりを守らない人が、別の決まりを守ることをさぼっているとは言わないが、
トイレの便器のさぼったリングと呼ばれているものは、その汚れをなくすために掃除をしていないから、さぼっていると言いたい人もいるのだろうが、
トイレ掃除をしていないのは、人によって理由が違うだろうが、さぼったリングなどの汚れが付いたままなのを、さぼったとか、ずぼらとか、ちゃんとしていないと思う人も、その汚れを取っていない人の体調や心理などを考慮していなかったりする人もいるだろうから、
掃除していない人の理由を知ることを、さぼっている人とも言えるのだ。

 

私の住んでいる近所ではない他の住宅街に立っている一軒の家の前の狭い庭や表札の前の狭い土があるところに雑草がボーボーにたくさん生えていて、別の時に行った時にも同じように雑草がたくさん生えていたのだが、家の前に車があったり、洗濯物が干してあったので、
人は住んでいる感じだった。ある日、その家の前に止めてある車の後ろ側に障害者マークが付いているのを見た。
その家には身体障害がある人が一人暮らしをしていて、体が不自由だから雑草が取れないか、
身体障害がある人と健常者の人が複数で住んでいて、健常者の人も身体障害の人の世話をするのに忙しかったり、それ以外にも給料を貰いに行くようなことをやっていて、
これらのことで忙しいから、雑草を取ることをやりたくても後回しになっていて出来ていないのかもしれないと思った。
人によっては、雑草が生えたままだと、見た目がよくないのに雑草を取らないのは大雑把な人だとか、変わっている人とか、ズボラや、さぼっているなどと思うのだろう。
でも、同じものを見ても他の人なら「今、雑草を取る余裕がないんだろうね」と思う人もいるだろう。
みんなが同じことなど思わないのだ。



27.金非信者や、給料や印税という形で金を貰っていないニート、無職、引きこもりと言われている人は辛抱する仕事、我慢する仕事をやっているとも言える

 

金でやっていく世の中を正当化させて、このウソの金社会をまかり通らせている大勢の金信者の人達。
無職やニートと言われている人の多くは、この金やっていく世の中で苦しんでいるだろう。
行きたいところに行くのにも金が要るし、欲しいものを買うのにも金が要る、生活費にも金が要る、
無職やニートと言われている人で、特に金非信者は金信者の信仰に巻き込まれているが、
金非信者は金でやっていく世の中が正しいと信じていないのに、金でやっていく世の中に合わせている人もいれば、人によっては合わせないところがあり、値段ついているものに金を払わなかったり、年金や税金を払わなかったりしている人は、金でやっていく世の中で自分が信じていないことを押し付けられていても辛抱したり、我慢しているとも言えるのだ。
金を払わないことで逮捕されて、牢屋に入れられて辛抱して、我慢している。

 

何かをやっていることを仕事、働いているという言葉で言い表すならば、金非信者やニート、無職、引きこもりと言われている人は、金でやっていく世の中や、それ以外のことでも色々なことで苦しんでいたり、迷惑していたり、嫌がっていることがあるだろうが、それらについて不満があっても、一部の人にだけ言っているだけだったり、誰にも言っていなかったりして、色んなことを辛抱して、我慢している。
金非信者やニート、無職、引きこもりと言われている人は「辛抱する仕事をしている」「我慢する仕事をしている」とも言えるし、「辛抱するということをして働いている」「我慢するということをして働いている」「給料や印税という形で金を貰っていないだけで無給の仕事をしている」、
「無給で働いている」とも言える。

 

働いていない、仕事をしていないと言われている人を例外あれど、バカにしたり、見下す人や死んでほしがる人の多くは、無職やニートと言われて給料や印税という形で金を貰っていない人が苦しんでいなくて、楽していると思っていたり、何もしていないと勝手に決めつけているから不満を持ったり、
下に見ている人が多いと思うが、金でやっていく世の中で金非信者も金信者も大勢の人が苦しんでいるが、給料や印税という形で金を貰う仕事をしている人が、その仕事が嫌でやりたくなかったり、苦しいことがあっても、仕事を辞めなかったら、辛抱、我慢して仕事して働いていると良く言う人がいるだろうが、給料や印税という形で金を貰っていない人は給料や印税という形で金を貰っている人が加担している金でやっていく世の中で苦しんで我慢、辛抱しているところがあるのだが、給料や印税という形で金を貰っていない人を見下したり、バカにしている人の多くは、無職やニートと言われている人が金でやっていく世の中で苦しんでいるのは自分達に問題はなく、関係ないと思っているのだろう。

 

親や祖父母の給料や印税から無職と言われている人が金を貰っていても大した金など貰っていない人の方が多いだろうし、親や祖父母の給料や年金から貰った金で自分がやりたいことや、ほしいものを買うのに払う金としては足りない人もたくさんいるだろう。
多数派で給料という形で金を貰っている人が正しいとされている間違っていて不正な金でやっていく世の中の天下が今後もずっと続いていくことはない。
存在しているだけでも誰かの役に立っていても、何かをやっていても給料や印税という形で金を貰える人と貰えない人がいたりして、えこひいき差別をしている金でやっていく世の中が今後も続いていくわけがない。金でやっていく世の中という不正な社会は今後はなくなるのだ。




28.擬態生物の人間達

一般に擬態生物というと人間ではなくて、昆虫とか魚などの生物が擬態生物と思っている人もいるだろう。人間も擬態生物だ。
人間の擬態も、自分や家族などが嫌われたり、バカにされたり、見下されたり、逮捕されないために、
税金Gメンに差し押さえされないために、殺されないためや、嫌われて身体暴力をされたり、影から嫌がらせされたりして攻撃をされないための自己防衛や家族の防衛のためにとか、人から褒められたりして良く思われたいとか、大勢と同じ人間だと思われたいなどの理由で、
自分以外の誰かの服装、髪型、髪の色、入れ墨(タトゥー)とかの外見を真似したり、自分以外の誰かの言動を真似したり、大勢と同じことをしたりしている。

具体例で言えば、本当は金でやっていく世の中が正しいと信じていないし、金を払いたくないけど、逮捕されたり、税金Gメンに差し押さえされないために、逮捕や差し押さえをされることで自分や家族が他人から見下されないために、攻撃を回避させるために金を払うという演技をして、擬態をしている。

大勢と同じように金を払っているという行動はしているけれど、本当は金払うことを正しいとは信じていない。
本当は金を払いたくないのに嫌々払って、自分の気持ちに正直ではない。
大勢と同じことをする人を良く言う人は、大勢と同じことをする人のことを
普通の人、普通の感覚を持っている、常識的、常識人などと言い高評価したりするだろうが、
人がなんで大勢と同じ言動を取っているのかの本心はあまり分かっていないだろう。

自分の本当に信じていることを隠して、他の人から不満を言われたり、嫌がらせや逮捕をされないために、攻撃を避けるために信仰を隠したり、本音を言わずに表面的に演技をして擬態をしているところがたくさんあっても、周りの人はそれに気づいていない場合が多いのだろう。




29.日本人はあまり人の気持ちや、他人の信仰心とか、世の中のことを分かっていないと思う

人の気持ちが全部わかる人などいるわけがない。多くの人は、ほとんどの人に興味がないだろうが、
人のことを2種類(2タイプ)に分けて、「あいさつができる人とあいさつが出来ない人」とか「日本人は人の気持ちが分かる人と、人の気持ちが分かわからない人がいる」とか「普通の人と変わってる人」とか「悪人と善人」など、どちらかにしか当てはまらなく、
2種類(2タイプ)のどちらかに分けようとするところがある人もいる。
大雑把に2種類に分けても、人のことなどあまり分からないだろう。

この金でやっていく世の中で、金がなくても豊かでいい気持ちになれるなど言っている日本人がいたのだが、金を使わなくてもいい気持ちになれるというのは、好きな子と両思いでうれしいとか、
自然の景色を見ていい気持ちなったとか、風俗店とかの金払ってセックスをすること以外でセックスしていい気持ちになったとか、お金では買えないことで、いい気持ちになることが出来るんだと何か誤魔化しているが、本来全てのものに値段はついていないのに、値段を付けるようなことをして、合法の詐欺や泥棒をやっているだけで、金でやっていく世の中、金社会という不正で間違ったことをやっている。
家に住んだり、生活していくのに、家賃、土地税、電気代、水道代、ガス代などがいるが、それを自分が払うか他の人が払うかの違いで、誰かが金を払っているのであって、金がなくても豊かとか言ってるのもなんか陳腐で変でおかしい。

「日本人の子どもは給料や印税という形で金を貰っていなくてもやっていけてるのです」と言っているようなもので、親や祖父母などが、子どもの色んなことに金払っているわけで、金がなくてもやっていけているのではなくて、自分が給料や印税という形で金を貰っていないだけで、他の人に金を払ってもらえなければ生活していけなかったり、食べれなかったり、服やゲームなども手に入らないのだ。
本当に全てのことで豊かなのだったら、生活費、家賃、土地税、電気代、水道代、ガス代、趣味代、
スマホ代など払わなくてもやっていけてないとおかしい。
商売している人の中に「お金のためではなくて、お客様のため」と言っている人がいても、金がないとやっていけないから金を取っているのだ。

金でやっていくこの世の中、社会とは不正で間違っていて、イカレていて、頭がおかしくて、キチガイなウソの世の中、社会だが、本来値段が付いていないものに値段を付けて、大勢が金でやっていく世の中を正しいと信じて、自分の信仰心をまかり通らせているだけで、
本当のことを知ろうとする人はあまりいないのだろう。
正しいと信じていることが、本当に正しいことになっているのが、金でやっていく世の中や、常識、社会のルールなどと言われているものなのだ。
人の信仰心や本当のことを知ろうとはせずに、自分が感じたことが正しいと信じて、自分の信じていることをまかり通らせたいのだ。

ガンで亡くなった人と言われている人が、がんで亡くなったのではなくて、がん治療の方で亡くなっていると言っている人がいるが、それを知っても、みんなが同じことなど思わないだろう。
ほとんどの病気は薬を辞めたら治ると言っている人がいるが、日本人の薬信仰と言われているように、
薬を飲んだから体の状態が良くなったと信じている人が日本人には多いだろう。
薬が体にいいと信じているのは信仰心なのだ。
体が不調になっている原因が体に溜まっている毒が出ていて、それを病気と呼んでいて、その不調を薬を使うことで抑え込むことを治ったと思う人がいて、薬を飲んで不調がなくなったり、緩和されたら、その薬は良いものあると信じる人もいるが、不調を一時的に薬で抑え込んでいるだけで、不調の根本的な解決にはなっていないので、対症療法と言われているのだ。


 



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