暦の上では春になる3月下旬の土曜日の夜21時半。
一時期よりはかなりましになってきたとは言え
薄手のジャンパーだけではまだ肌寒い名神高速Sサービスエリア。
2号の月例オフ会にやってきた。
日が完全確定するのは大体早くて前日、下手すりゃ当日という
少ない人数だからこその関西地区ソアラ会。
それは運転手では無く乗っている車の都合で決まるからで、
雨天や積雪、凍結の恐れがある際には中止(若しくは延期)になるのだ。
そのどれもが30年選手だから仕方のない話だろう。
人間ならとっくに後期高齢者の齢だけに
オーナーの誰もが事故や故障、錆などに出来るだけ遭いたくはないからな。
年末年始は飲み会に重なったりして出席率も良くない私だが、
行けそうな時には参加して彼らの薀蓄話や情報を仕入れるのは楽しみでもある。
また滅多に乗ることがない2号で出かかる口実、モチベーションでもある訳だ。
自宅で晩御飯を食べると酒を飲むことは流石に出来ないし、
することが無いのもあって今日は早めに集合場所にやってきた。
S.A.の売店から離れた1番奥が集合場所の定位置である。
いつも空いていて関係ない車両に邪魔されないように駐車できるからだ。
他のメンバーはまだ誰も到着していない。
ヒーターの効いた車内で時間つぶしでもするか。
スマホのメールチェックやネットサーフィンをしている時だった。
突然「ボッボ、ボ、」重低音のエンジン音が耳に入ってきた。
ふと1台分を空けた隣を見れば私世代には懐かしい車が止まった。
C110型の日産スカイライン、通称ケンメリである。
昭和40年代後半に若者に爆発的に売れた車で
CM中の若いカップルの名前がケンとメリーとされていたからである。
走りは勿論当時の若者からすれば憧れのデートカーでもあった。
私の時代、お金持の息子でない限り新車なんて到底夢のまた夢。
精々中古でこの一世代前のスカイラインC10型、
通称「ハコスカ」(箱型スカイラインの略称)に乗る奴が羨ましかったくらいさ。
で隣を良く見ればエンジン音だけでなくオーバーフェンダーが装着され、
履いているタイヤも低扁平の極太タイヤだ。
ひょっとしてGT-Rなのか。
スカイラインの中でもGT-Rはもう全く別の車といっても良いだろう。
日産に合併される前のプリンス自動車の技術者が開発したDOHCエンジンを積む
車で31万台売れたハコスカでも2000台弱、ケンメリに到っては
67万台中200台程度しか生産されなかった超レアな車種である。
モータースポーツでも活躍し当時の「技術の日産」代表する車なのだ。
今ではトヨタ2000GTと並んで程度の良いケンメリGT-Rなら
おそらく5000万、いや1億はするのではないだろうか。
運転手はまだ20代かと見えるような若者だ。
車が車だけにボンボンかも知れないが車好きには違いないだろう。
2号から降りるとケンメリボーイも同じように出てきた。
ポツンと離れた場所に停まった2台となれば会話をするのも
自然な流れだった。
聞けばGT-RではなくGTの公認改造車だという。
何だやっぱり「なんちゃってGT-Rかよ。」と思ったアナタ。
舐めちゃいけませんぜ、この年式で状態の良いGTですら500万以上、
1000万でもざらにあるような高級車なのだ。
下世話なのは承知の上でお幾らかと尋ねたら
笑いながら「実は中古のフェラーリくらい買えました。」と答える。
大阪の友人宅に行くついでに時間があったのでS.A.に入ったら
奥に懐かしい車が停まっていたので誘われましたと言う。
エンジンや足回り等かなりの部分をレストアされているが、
御代の諭吉千人も頷けた。
そうこうしている内に20仲間達も集結してきて、
彼等からも古い車のメンテ情報やショップの紹介もされていた。
29歳独身で社会人の彼、お金持ちではなく家を買うつもりで
子供の頃からの夢の車をローン組んで買ったらしい。
これからローン地獄の日々ですよと話す彼の笑顔を見ていると
若者の車離れが言われる時代だがこちらも微笑ましくて
頑張れよと思わず言いたくなるような男だった。