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チェリーボーイだったあの熱い夏の夜

2016-02-24 22:33:00 | インポート

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二十歳の夏のことやった。

 

彼女もおらず金もなく暇だらけの毎日だった。

 

既に多くの友人たちはバイトで買った中古の車に乗っており、

その一年前に免許だけは取っていた俺はとにかく軽トラでも何でも運転したい頃。

友人たちの車を時々運転させてもらって近場をちょろちょろ走ったものでした。

 

何故なのかよく思い出せないのは特別仲が良かった訳でもない

近所の同級生のKと夜に暴走族狩りにちょくちょく出かけたことだ。

「狩り」と言っても喧嘩をしに行く訳じゃない。

 

Kは元々それほど運動能力が目立つ程でもないどちらかと言うと大人しい

普通の男なんだが大学で自動車部に入って何かに目覚めたように

車に夢中になって競技にも出たりしているようやった。

 

所謂ヤンキーの類はカッコだけの車でシャコタン(車高短)に太いタイヤ、

マフラーのサイレンサーを外して騒音を巻き散らかすようなのが多く、

集団で徒党を組んで走るやつらが殆どでツッパリとか喧嘩は別として

純粋な運転技量は未熟な者も沢山いたように思う。

 

夜になるとそれらと楽しく遊ぶのよ。

彼の車は日産初のFF車チェリーで年式は昭和46年~48年製だったろうか。

 

それも親のお下がりのGL、4ドアセダンで普通のカローラ的な大衆車。

エンジンだけは当時軽量車にはFRのサニーで定評のA12。

 

 

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一見すると完全ノーマルなその車は実はラリー仕様に改造されていて

エンジンは同じチェリーのスポーツタイプX―1Rと同じ代物なのだった。

解体屋で見つけて自分で積み替えるくらいの猛者で、

SU(スキニナーユニオン)ツインキャブレターのクウォ~ンて響くサウンドは何とも魅力的だった。

今のインジェクションしか知らない世代にはどんな音に聞こえるだろうか。

足廻りもダートやラリー用に固めて車高を上げた物なのでサスは確か東京堂だったかな?

 

丸型2灯式のヘッドランプはマーシャルのW反射という

これまた競技で定番の物に換装されていた。

軽量化の為、床の絨毯や防音材も取り払われて鉄板がそのまま剥き身だったし、

競技に時に外すリアシートもボルト2本のシンプルな物だった。

 

こんな車でも当時はエンジン形式が同じであれば合法的に車検も通る

古き良き時代だったね。

 

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スカイラインの代名詞に使われたまさに「羊の皮を被った狼」仕様の車で

夜の六甲辺りに出かけると葱しょった鴨が必ずどこかに走っている。

それを見つけたらまず後ろから煽る。

 

決まったように最初は懸命にスピードを出してぶっちぎろうとするのよ。

競技をしている者と単にアクセルを踏むだけの者との違いは歴然で、

腕といえばそれまでの話、まるで大人と子供の喧嘩みたいだった。

彼らは反対車線も使ってセンターラインを越えて

コーナーを曲がっていくのに対しKは決してラインを跨ぐことは無かったな。

 

考えてみりゃ当然だが反対車線から車が来れば自殺行為に他ならないし、

限られた範囲で車をどうトレースするのかの方が無駄の無い走りが出来るのも

Kから説明されてよく判った話だ。

 

スポーツ走行に不向きと言われるFF車それも地味なセダンに後ろを煽られ、

必死に走る暴走族をからかうのは痛快な遊びやったなあ。

 

自分ではそこまで出せないくらいに結構な速度なはずなのに

Kの運転は全く不安の感じないゆったりドライブ気分やった。

 

散々走って引き離せないと判ると次はこれもお決まりで一旦道を譲るパターン。

今度は逆に煽ってやろうって事なのさ。

それが今度はドンドン引き離されていく訳さ。

 

で最後はぶっちぎって後ろが来なくなったのを見計らって

ゆっくり帰るという感じだったかな。

 

一見無鉄砲みたいなことをするKに恐る恐る聞いてみると無闇矢鱈としているのでは無いらしい。

聞くと高速道路や集団を相手にしないとか諸々の条件があるらしく。

高速では絶対的な馬力の高い大きな排気量車には勝てないが、

山岳路では腕の差でカバー出来るとも話していたように思う。

 

当時のツッパリ君たちは自慢の改造車でチェリーのGLに走って負けた

なんてカッコ悪くて他には言わなかったのもあるだろうな。

 

その車が車検切れになる時に次の車の足しにしたいと

Kから10万円で購入したのが俺の最初の愛車なんだ。

 

今ほどハイグリップでも無いタイヤは1速ですぐに踊る(空転する)し、

コーナーではアンダーステアでタックインするような癖もキツかったけど、

よく走り本当に楽しい車だったね。

AMラジオだけで物足りなくなってラジカセを後席に持ち込んで

カーステ代わりにカーモノを鳴らしていたのも懐かしい思い出だ。

 

面白い車だったけど何と言ってもとにかく騒がしい車内と

クラッチのシンクロがへたって来て減速するのに3速から2速に

入りにくくなったのもあって、

半年程してKとは全く面識の無い友人に12万で売っちゃいました。

 

誤解があるといけませんが2万儲けたなんて思わないようにね。

記憶では検査受けに別途10万以上掛かってますから。

 

それが俺の初めて購入した思い出の車なんだ。

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