今日も勉強会のため、午後からオビエドに行きました。
今日はそのままオビエドの舅夫婦の家に泊めてもらいます。
考えてみると、こうやって勉強会のためだけにオビエドまでひょいっと行けるなんて、贅沢だよなー。行きたくても仕事があって参加できない人もいるだろうに。
それにしても、スペインでカトリック教会に行くと、圧倒的に中・高年の女性の割合が多いのに驚かされます。皆さんとても綺麗に着飾ってやってきます。それは教会に入ることへの礼儀から来るんだろうと思いますが、ちょっと大げさかな?とも思います。
うちの夫は日本のカトリック教会に2年ほど通って、そこでアクティブに行われていた様々な活動を目の当たりにして随分驚いていました。確かに、スペインの教会の一般的なイメージ=「ハイソな奥様方の集まるところ」とは違うよな。どちらの方が信仰深いとかそんなことは考えたくもありませんが。
さて、今日の勉強会でとても印象に残ったのは、ヨハネの福音の一節にある「福音が書かれたのは、イエスが神の子であると信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためである。(要約文)」のところです。
これって私にはまだまだ理解不足、というか分かりにくい点です。
私にとって聖書とは、なんだかんだいって人生を幸せに生きるためのハウツー本の域を出ていないんじゃないかな。

今日はそのままオビエドの舅夫婦の家に泊めてもらいます。
考えてみると、こうやって勉強会のためだけにオビエドまでひょいっと行けるなんて、贅沢だよなー。行きたくても仕事があって参加できない人もいるだろうに。
それにしても、スペインでカトリック教会に行くと、圧倒的に中・高年の女性の割合が多いのに驚かされます。皆さんとても綺麗に着飾ってやってきます。それは教会に入ることへの礼儀から来るんだろうと思いますが、ちょっと大げさかな?とも思います。
うちの夫は日本のカトリック教会に2年ほど通って、そこでアクティブに行われていた様々な活動を目の当たりにして随分驚いていました。確かに、スペインの教会の一般的なイメージ=「ハイソな奥様方の集まるところ」とは違うよな。どちらの方が信仰深いとかそんなことは考えたくもありませんが。
さて、今日の勉強会でとても印象に残ったのは、ヨハネの福音の一節にある「福音が書かれたのは、イエスが神の子であると信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためである。(要約文)」のところです。
これって私にはまだまだ理解不足、というか分かりにくい点です。
私にとって聖書とは、なんだかんだいって人生を幸せに生きるためのハウツー本の域を出ていないんじゃないかな。