以前取り上げただめライフ愛好会も、当局公認(?)のところもあれば、さまざまに統制・妨害を受けている人たちもあるようですね。
80年代、原始的で初歩的な形態だったとはいえ、武装闘争に従事していた私としては、なぜ楽しく青春(!)、キャンパスライフ(死語?)を満喫しているにすぎないだめライフ愛好会が、当局の弾圧の対象になるのか、理解に苦しんできました。
「当局、特に私大には脅威でしょうね。だめライフといえば、留年問題は避けられません。しかし、彼らはこの問題についてどう考えているのでしょうか」
私がだめライフ愛好会を応援していることを知った大学関係者の方に、こんなお話を聞きました。
文部科学省は2023年度からの私立大学等経常費補助金の配分において、「入学定員超過率」による不交付措置を廃止し、「収容定員」による不交付措置に一本化することを決めたのだそうです。
今までは、収容定員8000人以上の大学の場合、現在、超過率1.07~1.09倍で3%減額のところ、2023年度からは6%減額になるそうです。現在、超過率1.25~1.28倍で22%減額ですが、2023年度からは1.24 ~1.29倍で50%減額、2024年度からは不交付となります。
これが何を意味するかというと……。
この話を聞いた私は、呻いてしまいました。
「なんですか、それは。留年を繰り返すだめライフなんて、私学の大学当局にとっては、経営の存亡に関わる許されない存在ということですね。でも、それって、学生運動潰し、予防反革命そのものじゃないですか」
「そのとおりです」
と、学生時代は某大学のノンセクトの活動家だったその方もうなずきました。
「だめライフの諸君がこの問題をどう乗り越えていくかに注目しています」
そんなアホな。二十歳を越えるか越えないかという若者たちに、そんな過酷なことを要求するのか。弾圧する側の当局も体制側も、その時分、そんな難しい問題に直面したことはなかっただろう。
16年の獄中闘争をたたかった元全学連委員長のKさんも、その後釜のSさんも、私がお目にかかったころは、もうアラサーでした。でも、あの方々もとりあえず大学に学籍はありました。
今後は、休学制度も活用しつつ、大学に学籍を置きつつ活動を続けようとするセクトあるいはノンセクトの活動家のみなさんは、大学当局、特に私学系の当局にとっては、無駄に「収容定員率」を増やし交付金を減らすファクターになる迷惑な存在なだけで、締め付けはさらに厳しくなることでしょう。
大学当局、特に私大系の当局が「だめライフ」にセンシティブに反応しているのは、大学の経営問題の根幹に関わる問題があるからではないかと思い、納得した次第です。
私立大学等経常費補助金を人質にとって、私学の締め付けを強化する自公政権に、私学系だめライフ愛好会が、どんなオルタナティブを挑んでいくのか…。
若きマルクス風に『ユダヤ人問題』を引用すれば……
だめライフを解放するためには、だめな人も含めた人間全体を解放することを第一に考えなければならない。そもそも競争原理が存在するということは、どこかに欠陥があるということだ。その欠陥の原因は国家の本質にある……という感じかな。
私は、あくまで実務家、実践家で、思想や理論は苦手なので、どうか若く頭がよく柔軟な感性を持った学生のみなさんが、マルクスや、ラファルグや、だめ連をアップデートしてくれることに期待しています。
働かないで生きていくには、どんな生き方があるのか。いろいろ考え「だめライフのためのハローワーク」という文章を書きかけました。
でも明日は援農だというのに、今日は昼酒を飲み、もういい気分になっています。この続きはまたいずれ。だめライフ独習指定文献の『怠ける権利』の書影を、アップしておきますね。おやすみなさい。
村上春樹も卒業まで8年間かかっていますね。
しかしその寄り道の8年で、図書館に通い映画のシナリオを読み漁ったことやジャズ喫茶を開店したことは大きかったろうと思います。
いまの大学では、今だけ金だけ自分だけの新自由主義に毒され、「役に立つ」ことしか教えようとしません。しかし学問って「いつか役に立つこと・もの」を発見することなんですよね。基礎研究ってそういうものではないでしょうか。