新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

最初で最後の一ページ 太宰治とヴィヨン再び フランス流日本文学入門(11)

2021年02月15日 | 文学少女 五十鈴れんの冒険

[今回のテクスト]
『こう読めば面白い! フランス流日本文学 -子規から太宰まで-』柏木隆雄(阪大リーブル)
第11章『ヴィヨンの妻』の周辺

[登場人物]

綾野梨花
中学3年生。五十鈴れんの親友。ミーハーな趣向とはウラハラに、恋には一途で、秘めたる切ない想いに長年悩み続けている。裏表のない性格で、誰とでもすぐに打ち解けられるタイプ。れんに太宰を借り、激ハマりする。『名探偵コナン』が好きで、ミステリ好きな一面もある!らしい。


五十鈴れん
15歳の中学3年生。小さい頃から内気で、人と話すことが苦手。孤立し、生きあぐねていたときに、梨花に出会い救われ、梨花のたまり場「エミリーの相談所」の一員となる。カラフルな絵入りの日記をつけており、人助けができるたび、自分へのご褒美として文具店で色鉛筆を一本買う、という独自の習慣を持つ。ときどきゲームに詳しい。

五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日勤務の会社員。



(1)バレンタインその後に (女の子の食卓 少なくとも一日三回 人は幸せになれる)

梨花 はい、れんちゃん、これありがとう。長い間、借りっぱなしでごめんね。夏目漱石の『こころ』と、『女の子の食卓』、太宰っちの本。太宰っちは気に入って、自分でもそろえちゃった。

れん わざわざ、ありがと…。本は、ぃつでもよかったのに。梨花ちゃんが来てくれるだけで。

梨花 来たかったよー! やっぱりれんちゃん家は落ち着くなあ。マミちゃん家のお菓子教室、断っちゃってごめんね。あたし、昨日まで、いっぱいいっぱいだったから。
いつもメールや電話で相談乗ってくれて、ありがとね?

れん ぅん、良かった…ね。きのうは無事に彼女にチョコを渡せて、彼女からもチョコをもらえたんだよ…ね。

梨花 うん、今年も友チョコとしてね! 4年も好きだったんだから、今でもあきらめられるわけなんかないよ。でも、お姫さまは王子さまと結ばれた方が幸せ決まっている。あたしはあの子の幸せを祝福できる人間になりたい。幼なじみだし、親同士知り合いだし、あの子との関係はこれからも続いてくわけだから。

れん 梨花ちゃん…がんばりました!(ぎゅっ)


梨花 ありがと! れんちゃんといると、ほっとする! でもこの問題ばかりは、あたし一人で解決しないといけなかったんだ。
今年入ってからは、毎日ウジウジ、ウダウダ、いろいろ考えちゃって、ガラにもなく本なんか読んじゃってさー。
『こころ』はきつかったよー。お嬢さんを取られたくない先生の気持ちも、裏切られて死んじゃったKの気持ちも、すっごくよくわかる。「暗いものをじっと見詰めて、その中からあなたの参考になるものをおつかみなさい」と先生はいうけどさ、あたしには絶対無理無理無理マジ超無理。自分ん中から汚くてドロドロしたいやなものがジワジワ滲み出てあふれ出してどす黒く染まった気がして、マジ半端なかったわー。
太宰っちの作品にも、ダーク系の作品もあるけどさ、『新樹の言葉』とか『黄金風景』とか、最後は希望をもって終わる作品もあんじゃん? 『女の子の食卓』に似てんだよね。

れん 私、「苦くなったマーマレード」とか「グリーンピースごはんのおにぎり」が好き…あの作品を読んで、梨花ちゃんに会った日のこと思い出して、温かい気持ちになったよ…。

梨花 ありがと! 「少なくとも一日三回 人は幸せになれる」ってこの帯のことばもいいよね! でも、れんちゃん、私が1巻読んで、「この漫画好きっ!貸してっ!」ていったとき、「公園のベンチで食べた皮つきチキン」があるの知った上で、全巻貸してくれたんだよね?

れん ぅん、知ってた…ぉせっかいだったかも…ごめんね。ぁのぉ話読んで、梨花ちゃんの悲しみや辛さが、少しはわかる気がしたから…。

梨花 わかってくれたか! あれはマジ来たわー。めちゃめちゃ来たよ。親友のことずっとが大好だったあのお姉さん、まんまあたしのことしじゃん? 
あのお姉さん好きな人に命がけで告って、公園のベンチで、好きな人が返事聞かせに来てくれるの、待ってたんだよね。チキンサンドも用意して。でも、やっと来たと思ったら、女の人だったことに、恋バナにあこがれてた主人公の女の子、おどろいちゃって。さらに、好きな人に「冗談でしょ」「一緒にお風呂に入って、旅行にも行って、そういう目で見てたなんて」「気持ち悪い」っていわれてジ・エンド。
あのチキンサンドも、本当はあの人と一緒に食べたかったんだろうな。でも、主人公の女の子が、最後、お姉さんに寄り添って、一緒に黙々とチキンサンド食べて終わるところがいいよね。気持ち悪くて嫌いだったチキンの皮をはがさずに、そのままパクッと食べて。「気持ち悪い」なんて、お姉さんの前では絶対いいたくないって。
あのお姉さんかっこよすぎだよ。あたし、臆病だからあの子とまだ終わりたくないんだ。

れん 臆病なんかじゃないよ…。私は、梨花ちゃんのこと、かわいいな、素敵だな、かっこいいな、って、憧れてるし尊敬してる...よ?

梨花 うん、知ってる! 「調節できる辛いラーメン」もマジヤバだったわ。男二人に女一人で、男の子が好きな男の子の話で、私と真逆のパターンだけどさ、好きな男、女友達にとられちゃって、高校三年間、辛かったよね、激カラ、激ツラだすぎよ。うんうん、わかるぞって、わかりみしかなかった。

れん ぇっと…梨花ちゃんも、あの男の子みたいに、東京の大学に行くの?

梨花 行かないよ。あの子とは進路違うし、王子くんと絡むことはないからね。だからあの男の子と違って、私は無理に遠くに行く必要もない。あたし地元好きだし、れんちゃん、エミリー、みゃーこ先輩、相談所のみんなとつるむの大好きだから。
でも大人になったら、「皮つきチキン」のお姉さんのように、あの子に告って玉砕するのかもしれない。
いつかあたしも、開き直ってやるんだ。いいじゃん、気持ち悪くたって。人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。


(2)太宰治をディスるなんて、そんなのあたしが許さない!

お父さん よう、梨花ちゃん、お久しぶり。

梨花 あ、れんちゃんパパ、こんちはー!

れん ぉ父さん、ぉ仕事終わったの?

お父さん 休憩。梨花ちゃんの声が聞こえたからご挨拶に来たよ。でも、梨花ちゃんは、人非人なんかじゃないぞ。

梨花 ふぎゃっ! 乙女の会話を盗み聞きするのは禁止でーす! セクハラでーす! 訴えますよー!

お父さん 謝罪します。どうかケーキで示談に持ち込めませんか? れんちゃん、冷蔵庫にケーキがあるから、二人で食べてね。

れん はーぃ!

梨花 ふふふ。

お父さん ご機嫌だね。ケーキ用意しといてよかった。

梨花 うん、ケーキも嬉しいけど、そのれんちゃん呼び。初めてお邪魔したとき、めちゃ渋い重低音ボイスで「れん」とカッコつけて呼び捨てにしてるから、笑いそうになっちゃったよ。れんちゃんに激アマで、ベロベロの親ばかのくせに。全部聞いて知ってんだからね。ほら、あたしにもやってみせてよ、ミッフィーちゃんのラブリーボイス!

れん だめー! もう、梨花ちゃん、それはぃわない約束だょ。むぅ。

お父さん 辛いことがあったらいつでも家においで。ミッフィーちゃんが慰めてくれるよ。

梨花 お願いしまーす!やったー!いちごのタルトー!私これ大好きー!れんちゃんパパも好きー!

お父さん 梨花ちゃんはいつも元気だなあ。

梨花 そんなことないよ? あたしだって落ち込むこと、あんだからね? 昨日は女子の一大イベントだったじゃん?もう、今年に入ってから、ずっといっぱいいっぱいだったんだ。あたしだって、乙女だかんね?

お父さん もちろん、存じあげております。『ヴィヨンの妻』は、面白かった? 


梨花 うん、めっちゃよかった!あの最後のセリフに、勇気をもらったよ。あの女性モノローグ体っていうやつ? 『皮膚の心』も、ニキビできちゃったときのゾワゾワいやな気分そのままで、わかりみしかなかったよー。でもさ、あの作品「女は汚い」とかしきりにいうし、作文の上手な子の『千代女』だっけ? 炬燵は眠り箱ってやつ超イケててあの子才能あんのに、いきなり「女ってだめね」とか、あれ今ならパリコレ的に問題じゃねーの?

れん 梨花ちゃんかりんちゃんと同じこといってる。ポリコレだよ、ポリティカル・コレクトネスの略。

梨花 ショック!あたし御園っちと同じか。ま、あいつおばかだけど、かわいいからいいか。そのポリコレね。あんなこと今書いたら、絶対炎上もんだよね。でもさ、わかるとこもあんだ。太宰は自分の罪悪感とか劣等感を、思春期の悩める女の子とか、大人になりたくない女の人に託したんだろうなって。

お父さん すごいなあ。梨花ちゃん、すっかり太宰文学通だ。これからは、ちゃんじゃなくて、「梨花さん」とさん付けにしないといけないね。

梨花 無理無理、さん付けなんてガラじゃないよ。でも、太宰っちに超ハマっちゃって。でもさ、あの死に方、あれれ、おかしーぞって思わない? いろいろネットで調べて、ネットDE真実にめざめちゃったよ!  時代が進めば進むほど、難事件は増えてくる。太宰が遂げた謎の情死、たった一つの真実見抜く、見た目はギャル、頭脳は大人。その名は、名探偵梨花だよ! 太宰は心中したんじゃなくて、絶対あの人に殺されたんだ。『如是我聞』という証拠があがってんだからね。あの志賀っておじいちゃんとか、イヒヒヒヒのイヤミの先生とか、まだまだフルボッコにしてやりたいやつらが太宰っちには大勢いたはずなんだ。

お父さん いまの無理心中説は、一時期、文壇で定説になっていたようだね。でも、そのフランス帰りのイヤミ先生の原文はね、「イヒヒ」で、ヒは二つしかなかったんだよ。渡辺一夫という有名な仏文学者だね。

梨花 数の問題じゃないの!あたしの太宰っちを馬鹿にした罪は、未来永劫許されませーん!

お父さん うむ。梨花ちゃんだけは敵に回さないように、こうべを低く垂れて生きていくよ。
私も初めて『如是我聞』を読んだときは、梨花ちゃんと同じように思ったな。しかし大人になって、自分も文章を書く仕事を始めたら、渡辺の批判なんて、専門家や常識家なら誰でもいいそうなことで、そんなものなんだ。本を書いたら、その分野の専門家に、慇懃無礼に「教えてほしんですけど」といわれたりね。知るかよ。だから太宰もあんなにムキになって怒る必要があったのかと考えるようになった。
柏木先生によれば、太宰が怒ったのは、自分の作品をパロディ扱いにされたことだったというんだね。

 「ヴィヨンという英仏百年戦争後の荒廃したフランスの地に登場した特異な詩人を、二十世紀、太平洋戦争に疲弊しきった敗戦日本に呼び起こして、日本の世相の中に新しいイメージで描き出そうとしたのではなかろうか。これは決してヴィヨンの『パロディ』といったものではなく、作者太宰が『小説家』として昭和十五年以来試みてきた手法の大成を帰したものであった。(中略) 『パロディ』であったなら、渡辺一夫の『フランソワ・ヴィヨンとは、かういふお方ではないやうに聞いてゐますが』の言葉を聞けば、むしろ手を打って笑いころげたに違いない。しかし彼は怒り心頭に発したのである。つまりヴィヨンをよく研究史、自分の文学的世界に招き入れて、新たな生き場所を見つけ得たと自信していた太宰によって、そんなパロディまがいに受け取られることは我慢がならなかったのだろう」

梨花 この本、いま商店街の相談所のギャルに話題の柏木っちの本じゃん!れんちゃん親子がリスペクトしている人でしょ! エミリーの相談所、いま超文学ブームなんだ!

れん 柏木っち……。

梨花 ごめん、あたし敬語知らないし! でも敬語は知らないけど、いまの話聞いて、超リスペクトした!
太宰っちマジ命かけて書いてんだよ。いつだって真剣だよ。我慢ならないよ! 筋子に味の素の雪きらきら降らせ、納豆に、青のり、と、からし、添えて在れば、他には何も不足ない無欲で純粋な男なんだ! 柏木っちはちゃんとわかってくれてるよ!

お父さん そうだね、そのとおりだ。しかし柏木先生のいうことは、 わかりやすくて、むかしファミコン、いまスマホのだめおやじのゲーム脳にも、スーッと入ってくるなあ。「ヴィヨンという英仏百年戦争後の荒廃したフランスの地に登場した特異な詩人を、二十世紀、太平洋戦争に疲弊しきった敗戦日本に呼び起こして」って、これは完全に『Fate』シリーズの英霊召還そのままだよ。英雄ヴィヨンを召喚した魔術師太宰も、死後は英霊ダザイとして、今度は『文スト』に召喚されてしまったわけだが。
太宰の目的は、ヴィヨンを換骨奪胎して、新しい時代の新しいロマンを創り出すことにあった。だから、ネタにマジレスしした渡辺にマジ切れしたんだね。

れん 「ネタにマジレス」って、『Fate』でいうと、美少女化された英霊の北斎ちゃんを見て、「北斎という方は女の子とは聞いてぉりませんが…」と、運営さんにお問い合わせメール送るようなもの…と考えたらぃいのでしょうか?

お父さん そうそう。でもその手の苦情や質問が来ることもあるから、北斎ちゃんが美少女なのは娘の応為のからだを借りているだけなんだYO、北斎の本体はパートナーのタコの「とと様」なのでーす!ということにしてあるんだろうね。

梨花 なに、いまのイミフメな会話。でも初めて見たわー、この柏木っちの本。最近LINEばっかで、相談所行くの昨日のチョコ交換会までご無沙汰だったし。ねーねー、あたしにもこの本貸してくんない? 柏木っちってどんな人?あ、おじいちゃんより年上だ。 えっ、大阪大学名誉教授? 無理無理無理、阪大超無理。ん、大手前の学長さんだったの? 大手前ならあたしも頑張れば入れっかなー?

れん あのね、神戸女学院も、柏木先生が昔教えていて、図書館のバルザックコレクションが、世界トップクラスなんだって。梨花ちゃん、神戸好きだよ…ね? 一緒に受けてみなぃ?

梨花 うーん。れんちゃんと一緒は楽しいけど、女学院はあたしのキャラとは違うかなー。

お父さん 大学受験まで三年あるけれど、将来の進路もそろそろ視野に入れる時期だね。
魯迅を取り上げた『惜別』は成功したとはいえないが、『ヴィヨンの妻』は成功したと思うし、太宰も自信があったろう。だからパロディ扱いされて激怒した。それは自分の痛いところ、自分のコンプレックスにクリティカルヒットするものでもあったんじゃないかなと思うようになったよ。太宰は頑張ったが、谷崎潤一郎にはなれなかった。


(3)谷崎と太宰 太宰文学の魅力と弱点

梨花 えーっ。谷崎? 女が鼻をかんで捨てたちり紙拾ってペロペロ舐める変態のアレでしょ。あたし谷崎が好きな男だけは絶対やめろってママにいわれてんの。

お父さん 梨花ちゃんママ、やけにマニアックな作品知っているね。

梨花 元カレが谷崎ファンだったんだって。これ以上はママのプライバシーだからいえない。

お父さん 何があったかわからないが、別れて正解の人だったんだろうね。

梨花 パパさん、でもさ、太宰っち谷崎なんかリスペクトしてたんだ?

お父さん あのエッセイ集に、井伏鱒二選集の後書きが入っていたの、読んだ?

梨花 読んだ! 井伏っちが釣竿をかついで、伊豆の旅館に行ったら、もう予約入れてもらってんのに、おかみさんに「今日は井伏鱒二というえらい先生が来るんです」って断られたら、「はいそうですか」と、本人なのに怒りもしないで、また何時間もかけて東京に帰った人でしょ。

お父さん そうそう。「青ヶ島大概記」の解説は覚えているかな?「日本の作家に天才を実感させられたのは、あとにも先にも、たったこの一度だけであった」と、太宰は井伏を絶賛していたね。しかし太宰が絶賛した火山の噴火の描写は、原典があって、それをただ自分は引用しただけだって、井伏は書いているんだ。あれは自分へのイヤミだったんだろう、と。
井伏も原典の原文どおり引用していたわけでなく、読みやすく臨場感ある文章に書き直しているわけだけれど、あの程度なら太宰も余裕で書けただろう。
太宰は、あの作品を読んで、「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない」と友人に語ったことになっているが、言いたいことは逆だ。太宰は、旅行の達人、すなわち人生の達人の井伏ではなくて、釣りの達人、すなわち文学の達人だった谷崎が目標だったんだろうと思う。だから、谷崎が「青ヶ島」を評価したと聞いて、太宰は面白くなかった。谷崎は師である佐藤春夫の親友であり、太宰が憧れた仏文学者の辰野隆の府立一中以来の友人であり、敬愛する芥川のライバルだったのに、あの作品を認めますか、と。
太宰は『ヴィヨンの妻』を書いたことで、自分も谷崎のような「文学の達人」になった、傑作をものにした、と手応えを感じたはずだと思うんだよね。しかし、そういう風には思ってもらえなかったどころか、パロディ扱いされたことに、深くプライドを傷つけられたはずだよ。

梨花 あのさ、谷崎のことはいいから、太宰っちの話をしようよ?
あたしさ、お小遣いとお年玉で、太宰っちの本揃えたもん。激ハマり。れんちゃんおすすめの『ろまん燈篭』も『お伽草子』も超よかったよー!

お父さん いまのは中期太宰の傑作だね。あの頃の作品に代表される太宰作品の魅力は、ここで柏木先生が書いているとおりだね。

「夏目漱石や芥川龍之介の作品には、あるいは菊池寛のものなどには、ある意味でそれとわからぬような、いわゆる『ネタ本』が指摘できるが、太宰治の場合、はっきりとまずネタをばらし、さてそれから思いも掛けないような、その原作から触発された新しい世界を幻出させるところに、その本質がある。それもまた彼の読者に対するサービス精神の表れであるのだろう」

梨花 すごくよくわかる! みんなが知ってる『カチカチ山』のタヌキとウサギを、いやらしいセクハラ中年男と、氷の美少女に置き換えて。あたしもタヌキかわいそうと思っていたけど、あれならあたしもタヌキは沈めるね。あのウサギ、ツンデレというか、ツンしかないというか、殺しちゃうからツンテロか。
柏木っち、いい人じゃん! 文庫の解説書いてる奥野っちもいい人ぽいけど、「マイナスの十字架」とか、なんか中二病ぽいんだよねー。こんなふうにさ、きちんと読んで、わかってくれる人がいたら、太宰っち喜ぶだろうな。

れん こくこくこくこく。

お父さん そうだね、太宰も喜ぶだろうね。「おいしい」といわれるだけでも作り手はありがたいものだが、どんな風に料理したのか、材料は何で産地はどこなのか、火加減塩加減はどうとか、調味料はどうとか、こんな隠し味隠し包丁があると、懇切丁寧に読み解いてもらえたら、作家冥利に尽きるだろうなあ。
柏木先生にこういわれてみると、太宰の面白さは、倒叙もののミステリに通じるものがあるね。『刑事コロンボシリーズ』が有名だけれど、『デスノート』とかね。最初から犯人がわかっていて、それを探偵がどうトリックを見出し、犯人を見つけるのかを楽しむ「逆さまのミステリ」が倒叙型ミステリだけれど、太宰治の面白さもそこだ。
『カチカチ山』も、犯人はタヌキで被害者はおばあさん、おじいさんとウサギがいて、最後にタヌキが泥船で沈む結末は変えられないというルール縛りで、そこまでの話の持っていき方、見せ方を競う、犯人と探偵ならぬ、作家と読者の知恵比べだね。
しかしこれは裏返せば、原典、元ネタがなければ独創性を発揮できない太宰の弱点でもあった。「魚服記」のようにネタをネタと気づかせない成功事例もないではないけれどね。
そこでまた谷崎の話に戻ってしまうんだけれど、純粋に小説の技術だけを見れば、谷崎の方が上で、玄人受けするんだろうと思うよ? 谷崎のやり方は、漱石や芥川とも、太宰とも違う。テキストの織物を完全にパラパラに解きほぐして、完全に別の偽書を編み出してしまう。『潤一郎訳源氏物語』も、原典の忠実な訳であると同時に、谷崎のオリジナルな創作作品でもあるという、「不可能犯罪」ならぬ「不可能文学」だった。

梨花 えー! 谷崎をほめるなんて、れんちゃんパパの裏切り者ー!

お父さん まあまあ、落ち着いて。『春琴抄』という作品は、「鵙屋春琴伝」という一冊の書物を手にした「私」が、春琴と佐助の墓のお参りに行くところから始まるんだけれど、そんな書物は存在しない。谷崎の生み出した架空の書物なんだね。名作の『少将滋幹の母』の滋幹の日記と称するものも、谷崎の創作だった。
『源氏物語』の仕事も、首尾は上々、用意周到だった。国文学の最高権威の山田孝雄に校閲を頼み、第二版も玉上琢弥ら気鋭の国文学者らに補助を依頼し、脇を固めて隙が無い。堅牢なセキュリティ体制を整えた上で、誰にも邪魔されない自分の王国を築きあげている。
それに比べると、太宰の創作スタンスは隙だらけだし、リスキーだ。

梨花 いまの話聞いて、ますます谷崎のヤバさがわかった。そのセキュリティ体制って、絶海の孤島にある12体のネイティブアメリカン人形が並ぶ怪しい洋館みたいな感じなんでしょ? 天井裏から常に監視されてて、私は「梨花」だから、海に頭から沈められて水面から両足が逆さにニョキッと伸びて、「雁」の見立て殺人が成功しちゃうんだ。
太宰っちが隙だらけというのは、何となくわかる。

お父さん 梨花ちゃんの考える谷崎文学の世界は、クリスティと乱歩と横溝が混じって、なかなか独創的だね。
過去の名作の換骨奪胎を得意とした太宰の創作スタンスは、ボーイズラヴの世界でいう、「ナマモノ」すなわち実在の人物を取り扱うときに似たリスクを伴わずにいられないような気がするんだね。『女の決闘』も、森鴎外が生きていたら、さすがの太宰もやらなかっただろう。

梨花 ふぎゃっ。男の人からボーイズラブの話聞くの初めてだわ。

お父さん 世の中にはいろいろなニーズや嗜好があるようで、私が機動隊や公安にあんなことやこんなことをされちゃう本もあったそうだ。

梨花 けらけらけら。れんちゃんパパが受けかー。あたしもそれ読んでみたーい! ねー、れんちゃん?

れん (-_-;)llllll. Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

お父さん 私もうわさに聞いただけで、実物は見たことはない。ナマモノには、本人や関係者の目には絶対入らないようにするという掟があるんだそうだよ。私のことはどうでもいいが、アイドルなら本人や事務所や一般のファンに見られたりしたら一大事だね。
BLの「ナマモノ」は故人や歴史上の人物は含まれないようだけれど、ヴィヨンのように有名詩人なら、研究者もいて読者もいるわけだから、その意味では「生きて」いる。
ヴィヨンがアイドルだとしたら、研究者の渡辺は事務所関係者のようなものだ。自分のところの「商品」を勝手に使ってくれた上に、その素人の自分勝手な解釈の二次創作が、コツコツ積み重ねてきた自分の研究より注目され賞賛されているとなれば、おもしろくなかっただろう。
太宰は太宰で、自分の自信作をパロディ扱いにするあの渡辺の発言を読んで、泣き所を突かれたのではないかと思うんだ。谷崎のようにフィクションに徹しきれない、原典、元ネタの改変でしか独創性を発揮し得ない弱点だね。

梨花 えー。太宰っち、かわいそうじゃん。あたしたちは、「ほめて伸ばす」ほめられ世代なの。ほめて、ほめて!

お父さん ふむ。これはむずかしいぞ。ほめたいんだが、ほめる言葉が見つからないんだよ。「パロディ」でないなら、この「ヴィヨンの妻」の方法を、どう表現したらいいんだろう。柏木先生が引用する研究者の「魂の深い情況」や「自己の文学的世界の測量」は、いいたいことはわかるけれど、抽象的にすぎる。うん、柏木先生のいう「ヴィヨンという文学的イマージュに喚起された新しい小説の創造」ということに尽きる。しかし、あまり物事を単純化してはいけないんだが、太宰がやっていることを一言で説明できる文学用語はないんだろうか。
あ、『女の子の食卓』があるね? そうか。今となっては、太宰がやっていることは当たり前だし常識なんだな。太宰がやろうとしたことは、「カップ焼きそば現象」だ。


(4)「ヴィヨンの妻現象」として太宰文学

梨花 なんだ、それ?

れん ぅん、たしかにこの漫画、カップ焼きそばも出てきた…けど?

梨花 「将棋道場のカップ焼きそば」でしょ。家ではカップめん禁止の女の子が、従兄のおにーさんと、将棋道場でお母さんに作ってもらったお弁当と、おにーさんが食べるカップ焼きそばを取り替えっこするって話だよね。それがどったの?

お父さん あの子の家の食卓にも、お野菜たっぷりの焼きそばはメニューに出ただろう。バーベキューでも、屋台でも海の家でも食べたかもしれない。カップ焼きそばは禁止でも、普通の焼きそばならOKなんだね。この二つは全く別の食品だ。カップ焼きそばは、焼きそばの模造品としてスタートしたけれど、現在では別ジャンル、別カテゴリの食品としてのステータスを築いているし、食べるシチュエーションも異なっている。これをネットスラングで「カップ焼きそば現象」というんだよ。がんもどきととり肉、マーガリンとバターもそうだし、「からあげクン」が「かりあげクン」のパロディだったことを知っている人は、今や商品企画やマーケの関係者くらいだろうね。これも「カップ焼きそば現象」だということだ。ピクシブ百科事典に、学術論文並みに詳しい解説があるから、ひまなときに読んでみるといいよ。

梨花 カップ焼きそばかー。うちもインスタント禁止だから、禁断の味に憧れるあの子の気持ちわかるな。れんちゃん家も、キャンプのときのカレーめん以外は禁止なんだよね。『深夜食堂』中国版、インスタントラーメンから始まんだけど、あれが超うまそーなの。ね、れんちゃん、大学入ったらルームシェアしてさ、カップめんとか袋めん食べまくろうね!

お父さん うちの娘を悪の道に引きずりこむのはやめてほしいかなあ。しかしルームシェアはいいね。大手前も女学院もいいけれど、京都におすすめのミッション系女子大があるんだ。二人で受験してみないか?

梨花 ふぎゃっ。れんちゃんパパから「ミッション系」なんて単語聞くと、ヤバみしか感じないわ。
でも、カップ焼きそば現象ね。覚えたよ。渡辺はがんもどきのこと知らなくて、「肉ちゃうやん、わしは肉が食いたいやんけ!」と怒って泣いてる気の毒なおっちゃんだったってことだね。

お父さん あー、それを聞いたら、渡辺も悪い奴じゃないような気がしてきたよ。東京の労働者街のめしやで、カレーを注文して、「肉入ってないやんけ!」って怒り狂っていた関西弁のおっちゃん思い出してしまった。あのあと移り住んだ大阪の労働者街のめしやでは、一皿200円のカレーにも肉がひとかけ入っていたからね。東京は180円のかわりに、肉はオプションで50円なんだ。
しかし、「カップ焼きそば現象」だと、『みなみけ』を知らない人には通じないねえ。普通の焼きそばよりカップ焼きそばが格落ちするように思う人もいるかもしれない。じゃあ、太宰と柏木先生と『みなみけ』に敬意を表して、「ヴィヨンの妻現象」と呼ぶことにしようか。
太宰も自分が死んで半世紀後に、『“文学少女"シリーズ』でモデルにされたり、『文豪ストレイドッグス』で元マフィアの武装探偵にされちゃうとは、まさか思いもよらなかったろうな。眉をひそめる人もいるかもしれないが、そうした自由な物語の創造が可能になったことに対しても、太宰文学が果たした功績は大きいと思うよ。

れん  『“文学少女”と死にたがりの道化』は、『ヴィヨンの妻』現象そのものだよ…ね。太宰さんの『人間失格』を読んだ若者たちが紡ぐ物語です…はぃ。
文芸部所属の元覆面美少女天才作家の心葉(このは)くんが、ラブレターの代筆を頼まれるんだけれど、宛先人は、十年前に死んでいた先輩なんだ…よ

梨花 えっ、何それ、面白そう!

お父さん あのシリーズ、続編の方は元ネタに寄せ過ぎて、人が死にすぎたり壊れすぎたりさせててしまったねえ。『挿話集』はよかったけどね。
『文スト』になると、もはや名前と代表作名しか太宰と一致することがなくて、私はもうついていけない。

梨花 あーあ。しかし太宰っち死んでほしくなかったなあ。『グッド・バイ』の話、続きがめっちゃ気になる。これからってところで、終わっちゃったのが、悔しい!



(5)『グッド・バイ』と『人間失格』其の一 逆ドンファンの光と影 

お父さん 1948年6月21日、太宰の死後発表された絶筆の『グッド・バイ』は、完成していたら、時代の転換期を捉えた不朽の名作になったろうね。
闇市で人気商品は酒とタバコだけれど、タバコは前年の1947年、酒は1949年にキップによる配給が廃止になり、闇価格で儲けることができなくなった。『グッド・バイ』が連載開始した1948年は、闇商売でぼろ儲けしていた人たちも、足を洗ってカタギの仕事に戻る時期だったんだ。

梨花 へー、そうなんだ。太宰っち、共産主義苦手だったし、あたしと一緒で社会科不得意かと思ったけれど、経済のこともちゃんと調べていたんだね。そーいえば、西鶴の話も書いてたか! それなのに、所得税のことは奥さんに押しつけて、自分は愛人の金で飲み歩いて貯金全部使い果たしちゃうって、どういうことよ!

れん ぁ、ネットで調べたらね、『グッド・バイ』の続きを書いた人がいるみたい。読んだ方がいいとぉ父さんは思ぅ?

お父さん いつか読んでみたいね。しかし太宰本人は、この作品を完結できたかだろうか。

梨花 えー、また太宰っちディスんだ?

お父さん 『グッド・バイ』の最後は、疎開先から呼び寄せるつもりだった本妻に、主人公が「グッド・バイ」されて捨てられるという結末だけは決まっていたようだね。
しかしそこに至るまでの展開だね。
話さずに黙っていれば「すごい美人」のキヌ子を、妻と偽って愛人のところを回って関係解消するわけだが、最初の美容師のように、あっさり何もいわずに引き下がってくれる聞き分けのいい人ばかりで、話が成り立つだろうか?
愛人が十人、残り九人。健康なときならともかく、当時の健康状態、精神状態を考えたら、かなり厳しかったんじゃないかな。
作品でいちばん最初に別れを告げるのが、あの人と同じ美容師だね。実際、五月ごろには太宰とあの人の関係にも変化が起きているらしい。
太宰も死の前日、埼玉の大宮から筑摩書房主人の吉田晁を訪ねていったときに、会えなくて、かわりに『人間失格』の最終パートを書くのにお世話になった家の方を訪ね、『グッド・バイ』に行き詰まっていると語っていたそうだ。『グッド・バイ』もこの家で書く予定でいたようで、「空けておいてくれ」と頼んでいたんだよ。この時点では、死ぬつもりはなかったようだね。

梨花 私もその資料読んだ! ねーねー、その前のさ、6月8日から11日までの4日間、奥さんも、友人や知り合いも、出版社の人たちも、誰も太宰っちに会ってなくて、「空白の四日間」といわれてるよね? 仕事部屋に外泊して帰らないこともあったそうだけれど、太宰っち基本的には自宅には帰っていたのに、だよ? 飲みにも行ってないの、変だと思わない?
あの人の部屋にはいたらしいじゃん。10日に友人が訪ねてきたとき、太宰っちがいるその目の前で、あの人、「新聞に出るかも」と心中ほのめかしたとか、こわすぎだよ! 午後に親戚や友人回って、ついでに『道化の華』のモデルになったあの人のお墓、わざわざ鎌倉までお参りして、死ぬ気満々だね。
ハンマーで足の骨砕いたわけじゃなさそうだけど、あれってあの人に軟禁状態だったんじゃない? こわすぎだよ。ほとんど『ミザリー』じゃね?

お父さん 『ミザリー』かあ。原作はハンマーじゃなくて斧だよ。あの人も捨てられる恐怖から、スランプではあったが死ぬ気はなかった太宰を追い詰めてしまったんだろう。
しかし、『人間失格』も、書いた後にすぐ太宰が死んだから「遺書」だといわれ、そのように受け取られてきたけれど、あれは遺書じゃない。いや、そもそも遺書は生前書くもので、遺書を書いたからってすぐ死ぬとは限らないわけだろ?  太宰自身はまだ生きる気満々だった。目の前にやばい女がいて、先行きに不安はあったようだけれどね。遺書を書いたからって、すぐに死ぬつもりはなかった、そういう風に読んだ方が面白いんじゃないかな。

れん ぇ、そうなの?「人間、失格」でしょ?一切は過ぎ去っていくじゃない…の? 私、その部分だけネットでみて、怖くなって、まだ、読んでぃないんだ。

梨花 あたしもそう思う。太宰っち死ぬ気なんかなかったはず。少なくとも『如是我聞』最終回の口述筆記を終えた6月5日時点では絶対死ぬもんかって思ってたはすだよ。だってこういってんじゃん。

 「太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。」

お父さん 太宰作品には、同じようなテーマ、同じような設定でありながら、光と影、ポジとネガで、対になるような作品があるね。信頼と裏切りでは『走れメロス』と『駆込み訴え』、芸術家とその妻では『皮膚と心』と『きりぎりす』という風に。『グッド・バイ』は、「逆ドンファン物語」として、『人間失格』とワンセットの作品として構想されたのではないか。死の準備ができたから、遺書のつもりで『人間失格』を書いたんじゃない。まだまだ太宰は書くつもりだった。

れん ぉ母さんとも、太宰さんが生きてぃたら、という話をしてたんだよね?

梨花 あ、あたしその話聞きたい!



(6)『グッド・バイ』と『人間失格』其の二 「人間失格」その意味は

お父さん 太宰と一緒に入水したあの人が遺した遺書は読んだことはあるかな? 青空文庫のここにある。「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません」という書き出しで、「御家庭を持っていらっしゃるお方で私も考えましたけれど、女として生き女として死にとうございます。あの世へ行ったら太宰さんの御両親様にも御あいさつしてきっと信じて頂くつもりです。愛して愛して治さんを幸せにしてみせます。せめてもう一、二年生きていようと思ったのですが、妻は夫と共にどこ迄も歩みとうございますもの。ただ御両親のお悲しみと今後が気掛りです」と文章を結んでいる。今生では結ばれることはかなわなかったけれど、来世ではこの人と添い遂げてみせるという、人生には負けたけれど恋には勝ったという、勝利感に溢れる、幸せそのものの文章だね。
この「遺書」は死の前年の8月の日付になっている。この遺書は、あの二人の蜜月時代に書かれたのであろう『改造』の同年10月号発表の『おさん』の成立に、関わる文書なんじゃないかな。あの人が「妻は夫と共にどこ迄も歩みとうございますもの」と、あくまで「妻」は自分だと主張しているところがポイントだね。しかし太宰はどう思っていたと思う?

梨花 太宰っちとスタコラミザリーの両方と知り合いだった安吾っち、「太宰がミザリーに惚れているように見えなかった」とか書いてんでしょ。残った遺書を見ると、やっぱり、奥さん愛していたんだと思う。だったらさ、なんでミザリーなんかと付き合っちゃうんですか、それだけでもひどいのに、なぜ死んじゃうんですかって話なんですけど。「皆、子供はあまり出来ないやうですけど 陽気に育てて下さい」「あなたを きらひになったから死ぬのでは無いのです 小説を書くのがいやになったからです」「井伏さんは悪人です」とか。
井伏っちが「悪人」というのも、こんな素敵な奥さんとお見合い結婚させてくれて、でも奥さんと子どもを遺して死ななけりゃならなくて、なんて罪作りなことしてくれたんだって、という意味でしょ? これも奥さんと子どもたち愛していたから出てきたことばだと思う。ほんとダメなやつだよ太宰っち。

お父さん さすが名探偵梨花ちゃん。嘘つき太宰のトリックなんかお見通しだね。他にもトリックが仕掛けてあって、「あなたを きらひになったから死ぬのでは無いのです」は、「この女を すきになったから死ぬのでは無いのです」という意味だと思わない? ミザリーの監視下で書かれたこの遺書は、何を書いているかより、何を書いていないかを考えるのがポイントだと思うよ。だれが嫌いでないのはわかったけれど、誰が好きなんだよってことだね。太宰も非合法活動に多少は関わり、偽名で獄中の友人に手紙を書いたりしたこともあった。ミザリーの検閲をすり抜けて、相手だけに真意が伝わる文章のテクニックは当然持っていただろう。
『人間失格』のラストに登場する、主人公と一緒に暮らす「老女中」は、過去に誰かそういう人がいたのかしれないが、熱海や大宮で、この作品の執筆活動を献身的に支えてくれたあの人のことじゃないのかな。あの老女中との関係は、「夫婦」の真似事でなくて、「夫婦喧嘩」の真似事なんだ。それを当人の目の前で書き、当人に原稿整理させる。太宰はそういう男だ。太宰にとってあの人はあくまでも「女中」に過ぎず、あの人の夢みt「妻」ではなかったのだろう。お気の毒に、本当にひどい男もいたものだ。

梨花 たしかに『人間失格』を書き上げて、大宮から帰ってきてからだね、別れ話切り出したの。女子大生の恋人がいるとか。『グッド・バイ』でいちばん最初に別れるのも、あの人と同じ美容師だし。あの人ヤバくなったの、アレ読んでからみたい。

れん ぁの…、二人とも、どうしてぁの人の名前をちゃんと呼んであげないの?

梨花 名前を声に出すのも、おぞましいよ! だって、太宰っち殺したんだよ!

お父さん 私も、太宰があの人と付き合ってさえいなければ、死なずに済んだだろうという気持ちはあるけれど、今は梨花ちゃんに合わせている感じだね。しかし、梨花ちゃんのいうとおりとしても、自業自得、自分が招いた結果だと思うよ。実際、うどん屋で声をかけ、口説いてきたのは太宰なんだからね。いまはあの人がほんとうに気の毒でならない。資料にいろいろ目を通して、改めて太宰は最低最悪の屑野郎なんだって思ったよ。

梨花・れん えーっ!

お父さん 『走れメロス』は、宿代がなくて旅館に檀一雄を人質に残して、解放された檀が太宰を訪ねたら、のんきに井伏鱒二と将棋さしてて、怒る檀に「待たせる方も辛いんだ」と開き直ったという話がモデルという話は、きみたちなら知っているね。
太宰は他人を裏切ったり、迷惑をかけたりしておきながら、美しい友情と信頼の物語に仕立ててあげてしまうという、そういう、人してどうなの、という「人間失格」なところがあるんだよ。

れん ぉ父さんにはがっかり…だ…よ!…はぃ! 「太宰は人間の屑は屑でも吉野葛」じゃなかった…の!

お父さん へ?

梨花 えっ? れんちゃん?

れん 裏切りだ…よ! 太宰さんは「人間失格」なんかじゃ、ぁりません!…はぃ。
だめなところもいやなところも弱いところも、たくさんあったけど、井上ひさしさんがいうとおり、「人間合格」なんだ…よ! 
あのね、「人間失格」なんていったら絶対ダメなんだ…よ? ぉ父さんが教えてくれたじゃなぃ…! 
戦争のとき、ぉ父さんのぉじいちゃん、ぉばあちゃんたちは、アメリカやイギリスの人たちは鬼畜だ、けだものだ、人間じゃないっていいながら、竹槍で突き刺す訓練してぃたんだ…よね? ナチスの人たちは、障がい者の人たちは生きている価値がない、遺伝子をのこすなって、殺しちゃったんでしょ? そんなの絶対おかしい…よ! 人間失格とか、あの人たちは人間じゃないなんて、勝手に決めるなんて、絶対に!許されない!ことなんだ…よ!

梨花 れんちゃん激オコ……

お父さん きみは清く正しく優しく、親の理想どおり育ってくれたね。これからは親を乗り越えていかねばならない。もう私にきみに教えてられることはあまりないが、いま懐かしい名前が出たから、井上ひさしさんの話をしようか。『ブンとフン』は子どもの頃大好きで、何度読んだかわからない。二度ほどお目にかかったこともある。心から戦争を憎しみ、平和を願い、人間を愛し、文学を愛する、本当に優しい方だった。君が読んだ本も、太宰について徹底的に調べ上げ、本当に勉強になった。しかし「人間合格」という題名だけはいただけないな。井上さんの最初の夫人との離婚理由が、ドメスティックバイオレンスだったことはよく知られている。文学と人間の問題は別だ。しかし太宰の『人間失格』を、『人間合格』と単純に裏返して太宰治を肯定することは、太宰を正しく評価することにもならず、井上さんの過ちや誤りからも目を背けさせ、免罪することにしかならないだろう。太宰は少なくとも自分は「人間失格」であると、罪は自覚し、直視しようとはしていた。こわくてすぐに酒に溺れたけれどね。

れん でも!

お父さん でも?

れん わかんないけど、でもなの! ぉ父さんずるい…よ! ともかく、太宰さんは、人間失格じゃ…ない!の!

梨花 れんちゃん…(ぎゅっ)。

お父さん いいじゃないの、人間失格でも? 太宰が人間失格なら、私も人間失格でいいよ。れんちゃんさえいればね。

梨花 あ、甘やかしモード発動! ふふふ、れんちゃんに嫌われたら、れんちゃんパパ生きていけないもんねー。

れん むぅ… o( ̄^ ̄o))ぷぃ !!

お父さん よし、じゃあ、この「人間失格」ということばにが、どのように生まれてきたのか、考えてみようか。
この言葉は、『HUMAN LOST』以来のもので、太宰のライフワークだったようだ。この作品でも、精神病院に入れられたのが、「人間失格」の烙印を決定付ける総仕上げだね。当時は今よりもさらに精神病への差別や偏見はひどかった。この「人間失格」は、「嘘つき」「人格破産者」「社会不適応者」「転向者」、さまざまな受け取りや読み方が可能だし、『言葉と物』で「人間の消滅」を唱えた『言葉と物』に先立つこと18年、近代以降成立した「人間」という概念にラジカルな問いを投げかけた先駆的な作品だったのかもしれない。
この「人間失格」というフレーズは、多義的で多様な解釈が可能で、いま君の感情を激しく動かしたように、70年以上たった今も、人のこころを揺さぶる衝撃力を持ち続けている。

れん  o( ̄^ ̄o))ぷぃ !!

梨花 嫌われちゃったねー。でも、すねるれんちゃんもかわいい!

お父さん どうしよう。今夜のメニューはれんちゃんの好きなホワイトシチューにしようかな?

れん  (←_←) ちら!はっ! o( ̄^ ̄o)) 

お父さん ところで、いい歌も俳句も、目の前にあるもの、目の前で起きていること、感じていることをありのままの言葉に置き換えるとき、瞬間冷凍したお魚やエビのように、いつまでも鮮度やみずみずしさを保ち続けていくんだろうと思うよ。
『人間失格』という小説の構想も、タイトルも、あの人に会う以前からあったのだろう。しかしこの言葉が今もインパクトがあるのは、『走れメロス』のときと一緒で、悪事を美談に仕立てる、太宰一流のやり方だ。
私はね、この『人間失格』のタイトルに、いま原稿を書いている自分の目の前にいる、もう飽きていやになった用済みの女を捨てて逃げ去って行く自分を「人間失格」だとあざ笑う、黒い笑い、暗い喜びを感じるよ。
もし太宰があの人と別れることに成功し、生き続けていたら、『人間失格』はどう読まれ、どう受け取られただろうか? 『ヴィヨンの妻』とテーマは変わっていないじゃないんじゃないのかな。いいじゃないの、人間失格でも、ということさ。私は『人間失格』の最後の手記に、ニーチェの哄笑、あの能動的ニヒリズムに通じるものを感じないでもない。太宰文学のココロは、懐メロ風にいえば「生きると思うな、思えば死ぬよ 死んでもともと」なんだからね。

梨花 ふぎゃ! ひっど! 太宰っちもひどいけれど、れんちゃんパパも、どうしてそういうひねくれた読み方方ができるかなあ?

お父さん 「非人間的なもので私に無縁なものは何ひとつない」ということに尽きるかなあ。
「僕は、女のいないところに行くんだ」ということばが出てくるね。「女のいないところ」は、この小説では精神病院だ。柏木先生のテクストにあるとおり、太宰のデビュー前の習作の「ねこ」以来の、女性恐怖のテーマが、いままさにクライマックス、極北に達した部分だね。文学的意義、文学的達成としてはそういうことなんだけど、太宰はまず、手っ取り早く女、すなわちあの人のいないところへ行きたかったんだろうと思うよ

梨花 でもさ、太宰っち、四日間軟禁されて、きっと怖くなって、大宮まで一人で吉田っちに会いに行ったんでしょ? きっと大事な相談があったに違いないよ、あの人と死ぬのがこわくて……! あー、なんで吉田っち、出かけていたかなー! もう少しで『ミザリー』脱出計画、うまくいったかもしんないじゃん!

お父さん そうだね、御坂峠に行けたとしても、結局『グッド・バイ』は『火の鳥』のときのように挫折したかもしれないが、しかし健康を取り戻し、やがては第二の『富嶽百景』を生み出し、太宰文学の新しい境地が開かれただろうと考えるのは楽しい夢だね。不謹慎なことをいえば、あの人も生き残って、新日本婦人の会あたりに入って、「手記 私を捨てた人民の敵婦人の敵太宰治」とか暴露本書いて、ミヤケンプレゼンツ打倒太宰・民主文学キャンペーンの急先鋒として大活躍して、面白い見世物……ではなく、歴史に名を残すフェミニストになったかもしれないね。

梨花 いやいやいや、最後のはいいから。ミヤケンは、太宰っちディスった人ね。あたし、選挙権持っても、絶対に共産党にだけは入れないんだ。いいじゃないの、人民の敵でも女の敵でも。太宰っちは生きてさえすればいいのよ。

お父さん しかし死んでしまったものはよみがえらない。太宰がいなくなったことで、その場所が空いて、デビューできたり活躍できた人たちがいたのも事実だ。第二次戦後派や第三の新人がそうだね。北杜夫や遠藤周作や三島由紀夫も良質なユーモア小説を数多く手がけているけれど、これは『グッド・バイ』の系譜に連なるものだと私は思う。
『グッド・バイ』は、太宰にとっては最後の作品になってしまったが、戦後文学の貴重な第一歩だった。そう、まさに、「最初で最後の一ページ」だ。

れん (前に読んでもらった詩のタイトル、覚えてぃてくれたんだ…。あの夜、ぉ父さん酔っ払ってぃたから、ぃまなら大丈夫、朝には忘れてるって思って見せたのに…褒めてくれて嬉しかったけど…覚えてぃるなんて…恥ずかしぃ…!)

梨花 えっ、なにそれ? なんでれんちゃん、真っ赤になってゆでだこみたいなの!

お父さん あ、話したら悪かったかな。いまも覚えているよ。「この世界には、まだ知らない美しいものがたくさんある」だったね。素晴らしい。親ばかだが、将来が楽しみで仕方ない。

梨花 何それ、私も読みたい! ねえ、れんちゃん、あたしにも見せて!

れん えー、恥ずかしぃ…よ。(「君」としか書かなかったけど、梨花ちゃんに初めて出会って救われた日に書いた、梨花ちゃんに捧げた詩なんて、絶対本人には見せられなぃ…)

梨花 パパには見せて、親友のあたしに見せないって、どーいうこと? あたしより、パパを選ぶんだ? あのさ、まさかのまさかだけど、れんちゃん今でもパパと一緒にお風呂入ったりしてないでしょうね?

れん ・.゜(ノД`)ノ☆(((’д’)))バシバシ

お父さん はは、梨花とれん、仲良く喧嘩しな、だね。では、あとはお若いお二人で。仕事に戻りますか。
(終わり)



商店街で梨花ちゃんとクリスマスのお手伝いしたときの写真です…はぃ。
最後に、柏木先生ならびにファンの皆さま、まじめなご本を父がぉもちゃにしてしまって、ほんとに申し訳ぁりませんでした…はぃ。


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1 コメント

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Unknown (れん父(著者))
2021-03-08 19:16:43
「カップ焼きそば現象」に拍手コメントありがとうございます!
柏木先生のテクストで、ジュネならとにかく、太宰とヴィヨンはあまり結びつかないなあと思っていた謎が氷解しました。
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