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渡辺京二『逝きし世の面影』

2023年06月12日 | 読書
『逝きし世の面影』渡辺京二(平凡社)

ある場所で、「ぜひあなたに読んでほしい」と、ある元経営者にご推薦いただいた本。

私より20年以上年長の学園闘争世代。通った大学は早稲田で、私が若いころに属したC派の天敵である、K派のもと活動家。ただし、川口虐殺、海老原虐殺以前の、両派の対立が非和解的になる以前の世代で、三里塚にも行ったことがあるそうです。


個人的には、困った人でした。
勤務先の会社のオーナーに向かって、

「こいつ、人殺しの過激派でっせ。とっとと首にしなはれ」

と、けしかける、困った人ではあったのですが……。

K派頭目の黒田某の晩年の「日本回帰」には、この人もつくづく失望したようです。

しかし、帝国主義打倒、スターリン主義打倒、天皇制打倒の立場を堅持しながら、源氏物語や浮世絵に関するテクストを書き連ね、瀬戸内寂聴さんともお友達になってしまう私は、「さすがC派だ!」とこのご先輩にもご評価いただいたようで…(こいつはやはりケルンパだ、理論や理屈じゃねえ!と呆れただけかな)。

昨年、わが人民農園にご案内しました。

ほんとうに喜んでもらえて。

帰りの車の中で、いろいろな話を聞かせてくれました。

K派の講演会には、中野重治も来てくれたようです。マジ? それはうらやましいなあ。

この大先輩にご紹介いただいた本書は、幕末から明治かけて日本を訪れた欧米人たちの残した書簡・エッセイ・論文、あまたの文献を渉猟し、近代の日本が失ってしまったものの意味を問う大作です。

本書に引用される欧米人たちは、いま私が解読に取り組む『名所江戸百景』の広重と同時代を生きた人びとであり、広重と同じ風景を見ています。

広重が描いた119の江戸名所(広重死後は二代広重が補作)は、現在はそのほとんどが失われています。

『鬼平犯科帳』を全巻読破してみたり、『江戸名所図会』や金子光晴校訂の『武江年表』などとにらめっこしてみたり、往時を想像するしかなかった私にとって、本書は格好の江戸ガイドブックになっています。

本書の著者・渡辺京二氏に、近代以前の土地に根付いたヴァナキュラー文化に思想の根拠をおいて、現代産業文明社会を根底的に批判した、思想家イバン・イリイチの著作の共訳書があることを知って、納得しました。

イリッチと渡辺氏、二人に共通するのは、「近代」に対する嫌悪(イリイチの場合は憎悪といったほうが適切ですが)です。渡辺氏も、「江戸時代に生まれて長唄の師匠の二階に転がりこんだり、あるいは村里の寺子屋の先生をしたりして一生を過ごした方が、自分は人間として今よりまともであれただろう」と、あとがきに書いています。

本書を読んで思い出したのは、久米邦武『特命全権大使 米欧回覧実記』でした。岩倉使節団の記録係だった久米は、イギリスに行って、長時間労働に従事し、スラムで動物のような暮らしを送る底辺労働者をみて、イギリスは産業文明国でありながら後進国の日本より未開の野蛮国のようだといった趣旨のことを書き残しています。

自国の悲惨な現実を当然知っていたであろう欧米人たちの目から見たら、当時の日本が、

「素朴で絵のように美しい国(ウェストン/「日本アルプス」を命名した登山家)
「妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国」(チェンバレン/『古事記』を英訳した言語学者)

と、ユートピアのように見えたとしても、そう不思議なことではありません。

戦後日本のインテリは、こうした欧米人による日本見聞記を、美化された幻影として退けようとしてきました。しかし十九世紀の欧米人にとって、貧しくとも、明るく素朴で清潔好きで……そして、児童虐待の存在しない「子どもの楽園」である日本が、「楽しき国」「美しき土地」と見えたのは、欧米社会の現実との差があまりに大きかったからだったと渡辺さんは指摘します。

そのことを立証するために、自分を批判する左派インテリへの嫌味なのか、わざわざエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』を引用して解き明かしていくのがおもしろいですね。

しかしこの「美しい国」「不思議の国」が滅びる運命にあることは、他ならぬ欧米人たちが誰よりも知っていました。

「滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らねばならない」

この冒頭の言葉には、うなずく点が多かったです。

私も自分の生まれた新潟が、岸辺に柳が揺れる掘割の街だったことを、本書にも度々引用されるイザベラ・バードの『日本奥地紀行』によって初めて知りました。バートと通訳兼ガイドの伊藤鶴吉は、東京から日光経由で会津街道に出て、阿賀野川で新潟に出て、そこから東北に向かい、北海道をめざしたのでした。

近代以前の日本に興味のある方々にお薦めの一冊。まだ「逝」く前の日本の面影を克明に記録したバードの探検記もぜひ。


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2 コメント

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Unknown (angeloprotettoretoru)
2023-06-12 23:45:19
私も広重が好きです。
幕末の風景を写した古写真も、それから古地図も好きです。
近代化以前の日本は、さすがにユートピアなどではなかったと思いますが、同時代の英国などよりは、まだましな社会だった気はします。
最初のところでせっかく「K派」などと書いていらっしゃるのに、すぐにバラしてしまっているので笑ってしまいました。ごめんなさい🙏
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Unknown (kuro_mac)
2023-06-13 10:22:34
コメントありがとうございます。
ご指摘の部分は直しました。あほでした……。
荷風の評価を借りると、北斎は動、広重な静になるのでしょうか。
太田美術館で広重のおじさん展をやっていましたが、荷風も広重の描く人物の剽味について語っています。以下、「江戸芸術論」より。

 北斎は山水を把(と)りてこれを描くに当り山水それのみには飽き足らず常に奇抜なる意匠を設けて人を驚かせり。これに反して広重の態度は終始依然として冷静なるが故にやや単調に傾き変化に乏しき観なきに非(あら)ず。暴風電光急流を以て山水を活動せしむるは北斎の喜んでなす処。雨と雪と月光とまた爛々たる星斗(せいと)の光によりて唯(ただ)さへ淋しき夜景に一層の閑寂(かんじゃく)を添へしむるは広重の最も得意とする処なり。北斎の山水中に見出さるる人物は皆孜々(しし)として労役す。然らざれば殊更ことさらに風景を指さして嘆賞し若しくは甚しく驚愕(きょうがく)するが如きさまをなせり。然るに広重が画図(がと)中には猪牙(ちょき)を漕(こ)ぐ船頭も行先を急がぬらしく、馬上に笠を戴く旅人は疲れて眠れるが如し。江戸繁華の街衢(がいく)を行くものもまた路傍の犬と共に長き日を暮らしかぬるが如き態度を示せり。両家の作品が示す両様の傾向によりて吾人はまたこの二大山水画家の性情の全く相反せる事を知るに難かたからず。
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