さて、『ビブリア古書堂』シリーズ新作の感想など。
これは購入当日の日記。
さて、『ビブリア』シリーズは、栞子編7作、その娘の扉子編4作で、これで11作め。
扉子の両親の栞子と大輔が出会ったのは、大輔の亡くなった祖母の遺した漱石全集の『それから』がきっかけでした。
この岩波書店の漱石全集は戦後の刊行なのに、なぜか「夏目漱石」という署名があるのです。一体だれが何のために? 祖母が遺したこの本は、大輔が「活字恐怖症」となり、本を読めなくなってしまったトラウマの元凶でもありました。本にはさまれた紙片から、大輔の卒業した高校の近所にあるビブリア古書堂で購入したらしきことがわかります。この本について調査を現在の店主である篠川栞子に依頼したことから、この本に秘められた祖母の秘密が明らかになります。そして本のことになると話が止まらなくなる篠川栞子と、ほんとうは本を読みたいのに活字を受け付けない五浦大輔という、凸凹古書探偵コンビが爆誕するのです。
篠川栞子は、黒髪ロングに眼鏡、巨乳でスタイル抜群、でもいわゆるコミュ障と、男性オタクの「萌え」要素を詰め合わせたようなキャラクター造形でした。しかし、『ビブリア』シリーズのファンの七割は女性だということです。
大輔は大学を卒業したものの就職に失敗してしまい、ビブリア古書堂のアルバイトとして働き出します。柔道で鍛え上げた大輔は、ときに犯罪も辞さない古書マニアの有象無象から、姫を守り抜くナイトそのままです。姫からの見返りは、自分では読むことのできない、姫の愛してやまない本のはなしを聞かせてもらうこと。
この「ナイト」の部分もさることながら、「女の人のはなしを無条件に喜んで聞く」という大輔のキャラクター設定が、女性読者に受けたのではないでしょうか。私も反省しきりですが、男って自分のはなしばかりで、女の人のはなしをじっと聴こうとする人は少ないからですね。ホストなんかが商売として成立してしまうわけです。
ある意味、漱石はビブリアの原点ですが、新作はこの原点回帰ともいうべき作品でした。
本作は、敗戦直後、鎌倉文士たちが戦後の荒廃から文芸復興するために立ち上げた貸本屋の「鎌倉文庫」の漱石コレクションに関する物語です。扉子が主人公の令和篇は、『坊ちゃん』と『二百十日』と『草枕』を収録した『鶉籠』(うずらかご)、祖母の千恵子が主人公の昭和編は『道草』、母の栞子が主人公の平成編は『吾輩ハ猫デアル』です。これらの本は、もともと漱石自身の蔵書だったものが、鎌倉文庫に提供され、鎌倉文庫のその他の千冊の古書とともに行方不明になっているものだということです。
鎌倉文庫は、貸本屋から始まり、出版事業も始めたようですが、「武士の商法」だったのか、結局長続きせず立ち消えに終わったようです。
鎌倉文庫についてはもちろん、漱石についても初めて知ることばかりでした。漱石も読んでいるつもりでちゃんと読んでいなかったようです。漱石好き、古書好きの人には、本作もたまらない一冊でしょう。
栞子さんの両親の篠川登・千恵子夫妻の出会いを描いた昭和編のチキンラーメン(作中ではインスタントラーメン)のエピソードもおもしろかったです。いつもビブリア古書堂に通ってくれるお得意さんの女子高校生が、昼飯用に作ったラーメンのにおいに反応しているのに気付いた登くんが、「もう一杯作れますよ」と声をかけるのです。その申し出をいぶしかみながら、結局、その申し出を受ける千恵子さんがいいですね。彼女は昼食代もすべて古書に注ぎ込む本の虫で、いつもおなかを空かせていたのです。
「わたしも家でよく作りますが、こんな風に白身がきれいに固まりません」
チキンラーメンをおいしそうに食べる千恵子さんのこのセリフには、そう、それなんだよ!と思ってしまいました。椎名誠がカヌーの上で作るチキンラーメンが本当にうまそうだったんですが、あんなふうに白身がきれいに固まり、黄身だけは半熟とはいかない。このセリフで、「黒栞子」ともいうべき、古書のためなら犯罪まがいのことも辞さない魔女的存在だった千恵子さんが、一気に親しみやすいキャラクターになりました。
登くんいわく、卵を冷蔵庫から出して常温に戻しておくのがポイントだそうです。
この物語世界は1973年です。冷蔵庫もほぼ普及していて、冷蔵庫の扉には卵ホルダーができていた時代なのでしょうか。
高野山に行ったとき、山の上の喫茶店で、卵が常温のまま、ザルの中に大量に保存されていたのは、ちょっとしたカルチャーショックでした。卵は冷蔵庫に入れるものだと思いこんでいましたから。しかし、生食しないのなら、卵は常温で長期保存も可能なのですね。
物心ついたころには自宅には冷蔵庫がありましたが、祖父母の家にはまだ冷蔵庫がなかったことを思い出します。祖父母の家の隣りにあったスーパーでは、卵はおがくずのなかに並べられていたものでした。
しかし登くんのライフハックは、あの椎名誠のCMが流れていた1980年代、90年代ならありかもしれませんが、1973年にはまだ早すぎるような気もします(ほんとうにどうでもいいことだね)。本筋からは離れてしまいましたが、そんなディテールに思いを巡らすのも楽しい一冊でした。