新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

祈られて

2019年10月07日 | 日記
 日曜日はわが労組の人民農園(!)の収穫祭だった。

 来賓の方々は、耕作放棄地1ヘクタールを再開墾したスケールの大きさに驚かれていた。人生にとって必要なことは、すべて三里塚で学んだ。

 しかし、スタッフの予定変更で、大阪までの足がなくなってしまった。ローカル線の最寄り駅まで送ってもらい、電車を待ち、約3時間かけて帰宅した。

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の夕方回には、充分間に合う時間だったが、お宝を詰めたクーラーボックスは、20キロは優に越えていた。なんばや梅田でコインロッカーを探すのも大変だし、人混みの中、大荷物かついで帰ってくるのも辛い。いったん自宅に帰った。

 最終のレイトショーまで、まだ時間はある。近所にお住まいの永年のご支援者に、「今日か明日か、おすそ分けをお届けしますよ」と電話すると、「今からがいい」とご自宅に招かれた。

 ご自宅には共産党のポスターを貼り、元新左翼の私にも何かとご支援ご協力いただいた方である。しかし、ご病気をしてから、現在の信仰とのご縁があったらしい。私が今年二回も入院したことが心配でならないと、お祈りのようなことをしていただいた。「日本のため、あなたに死んでもらっては困ります」といわれ、お気持をありがたくお受けした。

 何かを唱えるということもなく、無言の行である。時間にして5分か10分くらいだろうか。神事の祝詞奏上の間、頭を下げている時間よりは、長かった。儀式が終わった後、お茶をいただき、世間話をして帰ってきた。

 自宅に戻ると、日も暮れていた、しかし出発にはまだ時間がある。洗濯機のスイッチを入れ、パック詰めにしてもらったバーベキューの余りものと、冷蔵庫の余りもので、洗濯が終わるまで、軽く晩酌をした。

 忘れていたが、信仰をお持ちだったことは知っていた。しかし、考えていたより、「ガチ」だったようだ。

 最近お目にかかったとき、病気の話をしたのは、軽率だったかもれしれない。しかし、これまでの付き合いを考えたら、病気のことを全く話さないのもおかしい。心配してくれたお気持ちも本物だろう。別れ際、笑顔で挨拶しながら、「今後は、一定の距離を置かねばならない」と考えるのは、さびしくもあった。その方と初めて知り合ったときは、今の私よりも年下だったことを思い出す。信仰のことはわからないが、長生きできるように努めたい。


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