熊谷氏館跡は、旧荒川河道の湾曲が作った崖の上にあります。
下の図の黒いラインは、旧荒川河道の作り上げた崖線を表しています。
弓のような曲線の内側が、旧河道側になります。
旧河道の最深部には、熊谷宿本陣14代目当主、竹井澹如の作庭した星渓園という名園があり、一般に公開されています。
また、この星渓園には湧水があり、そこを源とする星川が成田氏館付近を通過して利根川に注いでおります。
訪問日は休園でした。
低地側から、熊谷氏館跡方面を遠望します。
この崖線上には、様々な神社仏閣、小祠があります。
まず、鎌倉町の愛宕八坂神社周辺を見て見ましょう。熊谷うちわ祭りは、この愛宕八坂神社の御祭りです。
ご存じの方も多いと思いますが、八坂神社は疫病神で、分祀する際には、川の上流から流した御神体を
川下で迎えて、その近くに祀るという儀式があります。ですから川沿いにあるのが普通なのだそうです。
もっとも、この愛宕八坂神社は空襲で失われたので、正一位宇佐稲荷神社の境内に遷座したのです。
元の神社は、現在の八木橋デパート前、つまり、熊谷氏館跡付近にありました。
社殿も戦後再建されたものなので新しいです。
愛宕八坂神社は崖線上にあるので、周囲の道路は大きな坂です。平地にある熊谷の町の中では非常に目立つ坂です。
さて、道路を挟んで向かい側には正一位宇佐稲荷神社があります。
この宇佐稲荷神社は、正一位の大変格式の高い稲荷社です。
この宇佐稲荷神社裏には、祠があります。これは、崖線上にある石上寺持ちの不動尊です。
わたしが中学校時代の塾帰り、この周囲は飲食店の多い繁華街で、この不動尊も、参拝者が多かったようで、
灯明があがり、明るかったのを覚えています。
この不動尊の背後にあるのが、石上寺です。
不動尊裏は、こんなに急な坂になっています。
石上寺は、崖線の斜面をうまく利用して建てられております。
参道には、石仏などが集められていました。
下の図の黒いラインは、旧荒川河道の作り上げた崖線を表しています。
弓のような曲線の内側が、旧河道側になります。
旧河道の最深部には、熊谷宿本陣14代目当主、竹井澹如の作庭した星渓園という名園があり、一般に公開されています。
また、この星渓園には湧水があり、そこを源とする星川が成田氏館付近を通過して利根川に注いでおります。
訪問日は休園でした。
低地側から、熊谷氏館跡方面を遠望します。
この崖線上には、様々な神社仏閣、小祠があります。
まず、鎌倉町の愛宕八坂神社周辺を見て見ましょう。熊谷うちわ祭りは、この愛宕八坂神社の御祭りです。
ご存じの方も多いと思いますが、八坂神社は疫病神で、分祀する際には、川の上流から流した御神体を
川下で迎えて、その近くに祀るという儀式があります。ですから川沿いにあるのが普通なのだそうです。
もっとも、この愛宕八坂神社は空襲で失われたので、正一位宇佐稲荷神社の境内に遷座したのです。
元の神社は、現在の八木橋デパート前、つまり、熊谷氏館跡付近にありました。
社殿も戦後再建されたものなので新しいです。
愛宕八坂神社は崖線上にあるので、周囲の道路は大きな坂です。平地にある熊谷の町の中では非常に目立つ坂です。
さて、道路を挟んで向かい側には正一位宇佐稲荷神社があります。
この宇佐稲荷神社は、正一位の大変格式の高い稲荷社です。
この宇佐稲荷神社裏には、祠があります。これは、崖線上にある石上寺持ちの不動尊です。
わたしが中学校時代の塾帰り、この周囲は飲食店の多い繁華街で、この不動尊も、参拝者が多かったようで、
灯明があがり、明るかったのを覚えています。
この不動尊の背後にあるのが、石上寺です。
不動尊裏は、こんなに急な坂になっています。
石上寺は、崖線の斜面をうまく利用して建てられております。
参道には、石仏などが集められていました。
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