霞ヶ浦南岸を、土浦から潮来方面に向かって走ると、古渡入という広大な入り江化した
小野川河口があります。
霞ヶ浦は元々、海水が流入する汽水湖で、現在でも、海として管理されています。
霞ヶ浦湖岸の入り江は港町として栄え、古渡もそうした港湾の一つでした。
現在は多くの入り江が埋め立てられた中で、古渡入はまだ往時の面影を残しています。
この古渡入り西岸に古渡城という城跡があります。
調査日は2018年08月05日です。
旧古渡橋を西岸を渡り浮島方面に入ると、すぐに智福院というお寺があります。
そのわき道を入り道なりに直進すると、智福院裏に下のような解説板が現れます。

とてもこんなところに城があったなんて想像もできませんが、丹羽長重の居城だったそうです。
恐らく海上交通を押さえるためのものだったのでしょう。1603~1622年までというわずかの間です。
城跡には土塁と空堀があると書いてありますが・・・。
まず、水郷らしく弁財天がお祀りされています。その背後に土塁が残されています。

お祀りものに不思議なものがあります。



されている
このタマゴ型の御神体は何なんでしょうか?
錘りのようにもみえますが・・・・。
さて、弁財天周囲の土塁です。








現況の大部分は耕地になっています。
智福院内にも土塁の一部が残されています。


下が境内内の土塁です。

事前情報がだいぶ少ない状態で行ったので、しつこく歩き回ることはできませんでしたが、
ここも時間ができた時に、追加調査をしたいと思います。
小野川河口があります。
霞ヶ浦は元々、海水が流入する汽水湖で、現在でも、海として管理されています。
霞ヶ浦湖岸の入り江は港町として栄え、古渡もそうした港湾の一つでした。
現在は多くの入り江が埋め立てられた中で、古渡入はまだ往時の面影を残しています。
この古渡入り西岸に古渡城という城跡があります。
調査日は2018年08月05日です。
旧古渡橋を西岸を渡り浮島方面に入ると、すぐに智福院というお寺があります。
そのわき道を入り道なりに直進すると、智福院裏に下のような解説板が現れます。

とてもこんなところに城があったなんて想像もできませんが、丹羽長重の居城だったそうです。
恐らく海上交通を押さえるためのものだったのでしょう。1603~1622年までというわずかの間です。
城跡には土塁と空堀があると書いてありますが・・・。
まず、水郷らしく弁財天がお祀りされています。その背後に土塁が残されています。

お祀りものに不思議なものがあります。




このタマゴ型の御神体は何なんでしょうか?
錘りのようにもみえますが・・・・。
さて、弁財天周囲の土塁です。








現況の大部分は耕地になっています。
智福院内にも土塁の一部が残されています。


下が境内内の土塁です。

事前情報がだいぶ少ない状態で行ったので、しつこく歩き回ることはできませんでしたが、
ここも時間ができた時に、追加調査をしたいと思います。