ほんとうに長らくのお休みになってしまいました。ようやく、ブログを再開できそうです。
前回の万葉集は「蘇我王朝」を取りあげましたが、少々間があいておなじテーマでは間抜けな感じです。それで、しばらくはテーマをかえて、万葉集の「常識のウソ」について考えてみたいとおもいます。週に一回は更新するつもりです。
万葉集は学問としても、文学としても長い歴史があります。その間に、権威といわれる人たちがそれぞれの立場から万葉集全般にわたって、解釈や考えを学説して提唱してきました。それが広く流布していきました。いわゆる通説、定説といわれるものです。わたしたちは先学の研究の成果をもとに、難解な万葉集を理解したり、鑑賞することができます。
だからといって、権威がとなえる説だから、それがすべて正しいわけではありません。定説といわれるものも、時代とともに役目を終えるものです。いつまでも舞台を占領していたら、ほかの役者がこまります。たしかに、一つの学説が永久に正しいままというのは、学問としてもおかしいのではないでしょうか。
◇権威の落とし穴
それなのに、万葉集のように古くからつづく学問は、先学の威光が強すぎるようです。提唱された江戸時代は納得できる説だったとしても、それが二十一世紀のいまに通用するとはかぎりません。時代の違いだけでなく、視点をかえただけでも見えてくるものがちがってきます。ちがってみえるのに、権威の説だからと、それをそのままうけいれる。歴史ある学問ではありがちですが、これでは「裸の王様」とおなじです。
具体的にあげます。万葉集には多数の固有名詞がでてきます。多くは有名人だったり、有名な場所です。ある程度の知識があれば、それが誰か、どこか、特定できます。事前に知識がなくても、万葉集そのものが教えてくれたりもします。しかし、どんなにしらべても、まったくわからない固有名詞も少なくありません。万葉集にだけしかでてこなくて、ほかの文献にただの一度も登場しないケースです。それでも何とか、誰もが知っている人物や土地に比定する努力がなされてきました。
これはこれで正しい態度かもしれませんが、このために途轍もないほどの想像力をはたらかせてきました。広い知識と同時に、無から有を生む発想力が必要としてきました。じっさい、先学たちはおどろくべき想像力をはたらかせて、あいまいな固有名詞の正体をつぎつぎとつきとめていきました。そのおかげで、わたしたちは複雑な万葉集の歌を理解できた気分になることがでできました。ただし、文字どおり「理解できた気分」になっているだけかもしれません。
先学の想像力の裏づけは、純粋に知識にもとづくものではなさそうです。先入観、偏見など、ご都合主義とでもいいたくなる前提が起点になっているケースがままあります。自分の思いつきから生まれた説を正当化するために、論理は右へ左へとびまわります。あまりの飛躍に、読者はついて行けないまま納得させられてしまいます。
まさか、とおもわれるかもしれませんが、そんな通説、定説が確実に存在します。次回からの異説万葉集では、地名に関する通説、定説の矛盾をとりあげて行きます。
対象は「大島」「磐瀬の社」「毛無の岳」です。
これらは通説ではすべて畿内倭(やまと)の地名とされます。しかし「毛無の岳」をのぞけば、畿内倭とは関係ありません。「天智東征」を主張する異説万葉集の視点にたてば、天智天皇が詠う「大島」と鏡王女と志貴皇子が詠う「磐瀬の社」を解説する通説はまちがっています。通説の場所比定の論理展開の矛盾をみていきます。
次回の「万葉集の権威の落とし穴」は、天智天皇と鏡王女の贈答歌にでる「大島」をとりあげます。「大島」はほとんどのテキストが「畿内倭国の平群郡にある」としていますが、これがいかに根拠のない説かを、検証します。(2012/11/15)
前回の万葉集は「蘇我王朝」を取りあげましたが、少々間があいておなじテーマでは間抜けな感じです。それで、しばらくはテーマをかえて、万葉集の「常識のウソ」について考えてみたいとおもいます。週に一回は更新するつもりです。
万葉集は学問としても、文学としても長い歴史があります。その間に、権威といわれる人たちがそれぞれの立場から万葉集全般にわたって、解釈や考えを学説して提唱してきました。それが広く流布していきました。いわゆる通説、定説といわれるものです。わたしたちは先学の研究の成果をもとに、難解な万葉集を理解したり、鑑賞することができます。
だからといって、権威がとなえる説だから、それがすべて正しいわけではありません。定説といわれるものも、時代とともに役目を終えるものです。いつまでも舞台を占領していたら、ほかの役者がこまります。たしかに、一つの学説が永久に正しいままというのは、学問としてもおかしいのではないでしょうか。
◇権威の落とし穴
それなのに、万葉集のように古くからつづく学問は、先学の威光が強すぎるようです。提唱された江戸時代は納得できる説だったとしても、それが二十一世紀のいまに通用するとはかぎりません。時代の違いだけでなく、視点をかえただけでも見えてくるものがちがってきます。ちがってみえるのに、権威の説だからと、それをそのままうけいれる。歴史ある学問ではありがちですが、これでは「裸の王様」とおなじです。
具体的にあげます。万葉集には多数の固有名詞がでてきます。多くは有名人だったり、有名な場所です。ある程度の知識があれば、それが誰か、どこか、特定できます。事前に知識がなくても、万葉集そのものが教えてくれたりもします。しかし、どんなにしらべても、まったくわからない固有名詞も少なくありません。万葉集にだけしかでてこなくて、ほかの文献にただの一度も登場しないケースです。それでも何とか、誰もが知っている人物や土地に比定する努力がなされてきました。
これはこれで正しい態度かもしれませんが、このために途轍もないほどの想像力をはたらかせてきました。広い知識と同時に、無から有を生む発想力が必要としてきました。じっさい、先学たちはおどろくべき想像力をはたらかせて、あいまいな固有名詞の正体をつぎつぎとつきとめていきました。そのおかげで、わたしたちは複雑な万葉集の歌を理解できた気分になることがでできました。ただし、文字どおり「理解できた気分」になっているだけかもしれません。
先学の想像力の裏づけは、純粋に知識にもとづくものではなさそうです。先入観、偏見など、ご都合主義とでもいいたくなる前提が起点になっているケースがままあります。自分の思いつきから生まれた説を正当化するために、論理は右へ左へとびまわります。あまりの飛躍に、読者はついて行けないまま納得させられてしまいます。
まさか、とおもわれるかもしれませんが、そんな通説、定説が確実に存在します。次回からの異説万葉集では、地名に関する通説、定説の矛盾をとりあげて行きます。
対象は「大島」「磐瀬の社」「毛無の岳」です。
これらは通説ではすべて畿内倭(やまと)の地名とされます。しかし「毛無の岳」をのぞけば、畿内倭とは関係ありません。「天智東征」を主張する異説万葉集の視点にたてば、天智天皇が詠う「大島」と鏡王女と志貴皇子が詠う「磐瀬の社」を解説する通説はまちがっています。通説の場所比定の論理展開の矛盾をみていきます。
次回の「万葉集の権威の落とし穴」は、天智天皇と鏡王女の贈答歌にでる「大島」をとりあげます。「大島」はほとんどのテキストが「畿内倭国の平群郡にある」としていますが、これがいかに根拠のない説かを、検証します。(2012/11/15)
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