異説万葉集 万葉史観を読む

日本書紀の歴史に異議申し立てをする万葉集のメッセージを読み解きます。このメッセージが万葉史観です。

中川哲舟の万葉スーパー読解術

2012-04-22 | 中川哲舟の原万葉史観
 万葉史観を読まれて、どうしても胡散臭い感じがぬぐえないでしょうか。でも、万葉史観にはお手本があるのです。中川哲舟の『万葉集の謎』(新和出版社)です。文献上はまったくの別人である長皇子(ながのみこ)と麻績王(おみのおおきみ)が同一人物であることをあきらかにします。これを証明するために万葉集をつかっているのですが、万葉集の読みかたが徹底しています。



 万葉集を読んでいると、そのままうけいれると歴史の常識にあわない編集に出会わします。それが一つや二つなら編集上のミスですませますが、これでもか、これでもか、というくらいにでてくるのです。しかも、だれもが知っている歴史的事実にあわないのです。それが訂正されることなく、いまにひきつがれているのです。

 これまでは、これを編集者のケアレスミス、写本時の間違いとしてきました。自分の意見にあわないものは、錯誤だとして無視する。切り捨て御免です。たんなる怠け者なのに、自分の知識を過信して、さらなる探求を放棄しているのです。これでは、真実は永遠に迷路のなかです。

 中川哲舟の万葉集の読みかたはちがいます。万葉集のあるがままをうけいれます。一見おかしいと思える編集の意図を追究します。どんな立派な歌の解釈でも、それに盲従することはしません。常識、通説にたよった夢はみません。予断、偏見はいっさい排除します。あくまでも科学的な解釈に徹します。

 その結果ーー長皇子と麻績王がピタリとかさなります。

 通説では、長皇子と麻績王はどんなプロフィルでしょうか。

 長皇子は天武(てんむ)天皇の息子です。母親は天智(てんじ)天皇の娘大江皇女(おおえのひめみこ)です。天武には十人の皇子がいますが、継承順位では草壁(くさかべ)、大津(おおつ)、高市(たけち)につぐ第四位とさられます。まさにサラブレッドです。

 いっぽう、麻績王はどうでしょうか。日本書紀の天武紀天武天皇四年四月に「三位麻績王、罪あり。因幡(いなば)に流す」とあり、因幡へ配流された罪人であることがわかります。

 天武の皇子と、王ながら罪人がどうつながるのでしょうか。長皇子も麻績王も、日本書紀にでてきます。万葉集にもでてきます。長皇子は五首、麻績王は一首がのこっています。中川は、これら万葉歌と、筑波風土記、伊勢風土記逸文などを動員して、長皇子が罪をえて、筑波へながされたことを解明します。その道筋が、麻績王とかさなることまであきらかにします。

 中川の証明は、とても合理的です。想像を極力排して論をすすめます。通説を論破する文献操作はみごとです。基本的に異論をはさむ余地はなさそうです。中川が『万葉集の謎』でしめした万葉理解は、だれにとっても魅力的なはずです。中川の万葉読解術を理解すれば、万葉史観の展開に違和感はないと思います。異説万葉集を読む上でも、大いに役だつはずです。万葉ファンにぜひ、知ってほしい万葉本です。いってみれば、『万葉集の謎』は「先行万葉史観」です。原万葉史観です。

『万葉集の謎』は、昭和五十二年の発行です。かなりの時間が経過していますが、内容的にとても説得力があります。不定期になりますが、中川の万葉の謎を紹介していきます。(つづく)