三つあるうちの一つはじっさいに体験したことを詠う歌、もう一つはムササビの習性を知識として取りこんだ歌、これにたいして志貴皇子の二六七番歌はどういう状況の下で作られたのでしょうか。
すでに指摘しているように、ムササビは夜行性の動物です。昼間は木の穴に潜んでいて、夜になると餌をもとめて木から木へと飛びまわります。
そうだとすると、この歌は夜の歌ということになります。夜行性のムササビが、梢をもとめて行動を起こしているからです。夜が得意のムササビと、夜は視界が悪くなる人間の猟師の真夜中の対決です。ムササビが致命的な情況に陥るとは思えません。せいぜい、びっくりする程度でしょう。
ムササビと遇った猟師は、真夜中に何を求めて山をほっつき歩いていたのでしょうか。ムササビでしょうか、それ以外の動物、たとえば鹿を探していて偶然にムササビに出会ったのでしょうか。
一〇二八番歌で分かるように、ムササビは捕まえようとして捕まえられるものではないのです。だから珍しいのです。天皇に献上するに値する珍しい動物なのです。
志貴のムササビの歌はじっさいにあったことを詠っているようにはみえません。作者が机のうえで作った、観念的な歌のようです。そういう意味では、一三六七番歌も同じように、ムササビを観念的に詠っています。ムササビの習性を、知識として使っていますが、それはムササビの習性を、自分の恋い焦がれる思いを強調するためにもちだしているのです。
万葉集の歌で、珍しい動物の習性を、動物学的に描写して、それだけで歌が完結するということはありません。絶対とはいえないかもしれませんが、基本的にはありません。植物でも、動物でも、その習性、特性を描写するのは、そこから自分の思いを引きだすきっかけにするためだったり、思いを暗示させたり、思いを強調するためです。
一三六七番歌が自分の恋心を強調しているなら、二六七番歌は何のために持ちだされたのでしょうか。二六七番歌は、一見して、ムササビの行動の一部始終が描かれている感じです。梢をもとめて、その結果として猟師に遇ってしまった。これで終わっているからです。
しかし、これだけのことをいうために、歌人の志貴皇子がムササビを詠うでしょうか。やはり、何かを暗示させていると考えるほうが自然です。
猟師に遭遇するムササビが、同じような運命に遇った不運の人物を示唆していると考えていいでしょう。
それならムササビはだれか。これまで指摘されているように、大友皇子か大津皇子でしょう。あるいは両方をさしているかもしれません。直前が大友皇子と関係が深い近江京がさびれた様子を詠った歌で、直後がこれまた無念の死に見舞われた天武天皇の孫の歌だからです。
歌の解釈は、人によってじつに様々です。絶対に正しい鑑賞の仕方があるわけではありません。歌に解説があっても、それが一〇〇%正しいわけではありません。
それなら、より深く感じ入ることができる解釈のほうがいいと思います。不運にも猟師に遇ったムササビの歌と思って解釈するよりも、不運なムササビを人々の共感を誘った主人公と重ね合わせたほうが、より楽しく鑑賞できるはずです。
◆悲劇の大津皇子と山部皇女
志貴皇子のムササビの歌は、通説ではたんにムササビを詠ったとされています。しかし、以前には大友皇子、大津皇子の悲劇を示唆する寓意が込められていると考えられたようです。
やはり、この歌はたんにムササビを詠ったのでもなく、大友皇子の壬申の乱の敗戦を詠ったのでもなさそうです。大津皇子の悲劇を詠っているのです。といっても、大津に同情しているわけではありません。大津の無防備さを、自戒を込めて詠っているのです。
これはたんなる想像だけではありません。それを裏づける歌が万葉集にあります。これからみますが、歌だけになんとでも解釈が可能です。皆さんはどう判断されるでしょうか。
歌をみます。
巻十の秋雑歌の、鹿が鳴く鹿鳴を詠った歌です。ここには十六首が採られています。そのなかの二首です。
ご覧になってわかるように、二一四七、二一四九番歌は「猟夫(さつお)」がでてきます。この二首以外に「猟夫」がでてくるのが、ここで取りあげている志貴皇子のムササビの歌だけです。万葉集には「猟夫(さつお」がでてくる歌は三首だけです。
その三首が、どうも同じ背景のもとで詠われています。関連しているようです。関連性については、歌をみてから取りあげます。
[参考]巻十の二一四七ー二一四九番歌=猟夫の歌
秋雑歌
鹿鳴を詠む
○山の邊にい行く猟夫は多かれど 山にも野にもさを鹿鳴くも(巻十 2147)
やまのべに いいくさつをはおほかれど
やまにものにも さをしかなくも
「山に分け入る猟師は多いのに、身の危険も
知らずに山にも野にも牡鹿が鳴いていることだ」
◎山辺には猟夫のねらひ恐けど牡鹿鳴くなり妻の目を欲り(巻十 2149)
やまべにはさつをのねらひかしこけど
をじかなくなりつまのめをほり
「山の辺りでは猟師が弓矢で狙いを定めて
いるかも知れないので恐ろしいだろうに、
牡鹿が盛んに妻を求めて鳴くことだ。
それほどまでに妻の目を恋しがって」
この歌は、秋雑歌の部立ての「鹿鳴を詠む」というグループに入っています。
はじめの歌です。「山の邊」は、山の辺と訓みますが、原文万葉かなでは「山辺(やまべ)」とあります。意味としては、文字どおり「やまのあたり」です。
「い行く猟夫は多かれど」、山に入りこんでいる猟師は多いというのに、
「山にも野にもさを鹿鳴くも」山にも、さらに人が多い野にも、牡鹿がないている、というのが直訳です。
つぎの二一四九番歌です。
ここにも「山辺には」がでてきますが、ここは「やまべ」と訓ませています。
「猟夫のねらひ恐けど」、猟師の狙いはおそろしいけれど、「牡鹿鳴くなり妻の目を欲り」牡鹿は妻の目を見たいために…。逢いたいばかりに…。
歌全体の訳です。
万葉集に三首しかない猟夫(さつお)の歌の二首が同じ歌群にでてきて、その歌の発句がともに「山辺」です。偶然だろうと思うかもしれませんが、どうもそうではなさそうです。
[日本書紀]持統称制前紀朱鳥一年(六八六)十月
冬十月戊(つちのえ)辰(たつ)の朔己(つちのと)巳(み)(二日)、皇子大津の謀反、發覚す。
…略…卅餘人を捕ふ。
庚午の日、譯(を)語(さ)田(だ)舎で皇子大津に死を賜ふ。時に年廿四。
妃の皇女山邊、被(ひ)髪(はつ)徒(と)跣(せん)(ひはつとせん)して奔赴して殉ず。
見る者皆な歔(きよ)欷(き)(きょき=すすりなく)す。
大津が死を賜ったとき、妃の山辺皇女が殉死したときの記事です。狂ったように泣きまわった山辺の姿が周囲の涙を誘ったとあります。山辺です。
志貴皇子が、猟夫(さつお)に出会ったムササビを詠った歌だけでは、作歌、歌を作った背景ははっきりしません。しかし、鹿を狙う猟夫が出向く猟場、猟をする場所が「山邊」です。偶然でしょうか。
猟夫が獲物を狙う猟場は、「山邊」です。学者は偶然というでしょうが、そうではないでしょう。
巻十の秋雑歌の「猟夫(さつお)」の歌二首は、発句、第一句がともに「山邊」です。これを大津の妃の山邊皇女と無関係とするのは、相当に鈍感な歌の鑑賞ではないでしょうか。「猟夫」で関連づけられた歌は、明確に大津を指し示しているととっていいようです。
季節も大津皇子と山辺皇女を指しています。猟夫が鹿を狙う「鹿鳴を詠む」歌群は、巻十の秋雑歌です。大津が亡くなったのも、山辺皇女が殉死したのも十月です。しかし、巻十の秋雑歌の歌では、鳴く鹿に仮託された人物はまだ死んでいません。不用意にも妻をもとめて鳴いています。これが大津なら、天武天皇が亡くなった直後ということで、歌の鹿は九月時点の大津皇子を詠っていることになります。九月は秋です。(2013/01/25 つづく)
すでに指摘しているように、ムササビは夜行性の動物です。昼間は木の穴に潜んでいて、夜になると餌をもとめて木から木へと飛びまわります。
そうだとすると、この歌は夜の歌ということになります。夜行性のムササビが、梢をもとめて行動を起こしているからです。夜が得意のムササビと、夜は視界が悪くなる人間の猟師の真夜中の対決です。ムササビが致命的な情況に陥るとは思えません。せいぜい、びっくりする程度でしょう。
ムササビと遇った猟師は、真夜中に何を求めて山をほっつき歩いていたのでしょうか。ムササビでしょうか、それ以外の動物、たとえば鹿を探していて偶然にムササビに出会ったのでしょうか。
一〇二八番歌で分かるように、ムササビは捕まえようとして捕まえられるものではないのです。だから珍しいのです。天皇に献上するに値する珍しい動物なのです。
志貴のムササビの歌はじっさいにあったことを詠っているようにはみえません。作者が机のうえで作った、観念的な歌のようです。そういう意味では、一三六七番歌も同じように、ムササビを観念的に詠っています。ムササビの習性を、知識として使っていますが、それはムササビの習性を、自分の恋い焦がれる思いを強調するためにもちだしているのです。
万葉集の歌で、珍しい動物の習性を、動物学的に描写して、それだけで歌が完結するということはありません。絶対とはいえないかもしれませんが、基本的にはありません。植物でも、動物でも、その習性、特性を描写するのは、そこから自分の思いを引きだすきっかけにするためだったり、思いを暗示させたり、思いを強調するためです。
一三六七番歌が自分の恋心を強調しているなら、二六七番歌は何のために持ちだされたのでしょうか。二六七番歌は、一見して、ムササビの行動の一部始終が描かれている感じです。梢をもとめて、その結果として猟師に遇ってしまった。これで終わっているからです。
しかし、これだけのことをいうために、歌人の志貴皇子がムササビを詠うでしょうか。やはり、何かを暗示させていると考えるほうが自然です。
猟師に遭遇するムササビが、同じような運命に遇った不運の人物を示唆していると考えていいでしょう。
それならムササビはだれか。これまで指摘されているように、大友皇子か大津皇子でしょう。あるいは両方をさしているかもしれません。直前が大友皇子と関係が深い近江京がさびれた様子を詠った歌で、直後がこれまた無念の死に見舞われた天武天皇の孫の歌だからです。
歌の解釈は、人によってじつに様々です。絶対に正しい鑑賞の仕方があるわけではありません。歌に解説があっても、それが一〇〇%正しいわけではありません。
それなら、より深く感じ入ることができる解釈のほうがいいと思います。不運にも猟師に遇ったムササビの歌と思って解釈するよりも、不運なムササビを人々の共感を誘った主人公と重ね合わせたほうが、より楽しく鑑賞できるはずです。
◆悲劇の大津皇子と山部皇女
志貴皇子のムササビの歌は、通説ではたんにムササビを詠ったとされています。しかし、以前には大友皇子、大津皇子の悲劇を示唆する寓意が込められていると考えられたようです。
やはり、この歌はたんにムササビを詠ったのでもなく、大友皇子の壬申の乱の敗戦を詠ったのでもなさそうです。大津皇子の悲劇を詠っているのです。といっても、大津に同情しているわけではありません。大津の無防備さを、自戒を込めて詠っているのです。
これはたんなる想像だけではありません。それを裏づける歌が万葉集にあります。これからみますが、歌だけになんとでも解釈が可能です。皆さんはどう判断されるでしょうか。
歌をみます。
巻十の秋雑歌の、鹿が鳴く鹿鳴を詠った歌です。ここには十六首が採られています。そのなかの二首です。
ご覧になってわかるように、二一四七、二一四九番歌は「猟夫(さつお)」がでてきます。この二首以外に「猟夫」がでてくるのが、ここで取りあげている志貴皇子のムササビの歌だけです。万葉集には「猟夫(さつお」がでてくる歌は三首だけです。
その三首が、どうも同じ背景のもとで詠われています。関連しているようです。関連性については、歌をみてから取りあげます。
[参考]巻十の二一四七ー二一四九番歌=猟夫の歌
秋雑歌
鹿鳴を詠む
○山の邊にい行く猟夫は多かれど 山にも野にもさを鹿鳴くも(巻十 2147)
やまのべに いいくさつをはおほかれど
やまにものにも さをしかなくも
「山に分け入る猟師は多いのに、身の危険も
知らずに山にも野にも牡鹿が鳴いていることだ」
◎山辺には猟夫のねらひ恐けど牡鹿鳴くなり妻の目を欲り(巻十 2149)
やまべにはさつをのねらひかしこけど
をじかなくなりつまのめをほり
「山の辺りでは猟師が弓矢で狙いを定めて
いるかも知れないので恐ろしいだろうに、
牡鹿が盛んに妻を求めて鳴くことだ。
それほどまでに妻の目を恋しがって」
この歌は、秋雑歌の部立ての「鹿鳴を詠む」というグループに入っています。
はじめの歌です。「山の邊」は、山の辺と訓みますが、原文万葉かなでは「山辺(やまべ)」とあります。意味としては、文字どおり「やまのあたり」です。
「い行く猟夫は多かれど」、山に入りこんでいる猟師は多いというのに、
「山にも野にもさを鹿鳴くも」山にも、さらに人が多い野にも、牡鹿がないている、というのが直訳です。
つぎの二一四九番歌です。
ここにも「山辺には」がでてきますが、ここは「やまべ」と訓ませています。
「猟夫のねらひ恐けど」、猟師の狙いはおそろしいけれど、「牡鹿鳴くなり妻の目を欲り」牡鹿は妻の目を見たいために…。逢いたいばかりに…。
歌全体の訳です。
万葉集に三首しかない猟夫(さつお)の歌の二首が同じ歌群にでてきて、その歌の発句がともに「山辺」です。偶然だろうと思うかもしれませんが、どうもそうではなさそうです。
[日本書紀]持統称制前紀朱鳥一年(六八六)十月
冬十月戊(つちのえ)辰(たつ)の朔己(つちのと)巳(み)(二日)、皇子大津の謀反、發覚す。
…略…卅餘人を捕ふ。
庚午の日、譯(を)語(さ)田(だ)舎で皇子大津に死を賜ふ。時に年廿四。
妃の皇女山邊、被(ひ)髪(はつ)徒(と)跣(せん)(ひはつとせん)して奔赴して殉ず。
見る者皆な歔(きよ)欷(き)(きょき=すすりなく)す。
大津が死を賜ったとき、妃の山辺皇女が殉死したときの記事です。狂ったように泣きまわった山辺の姿が周囲の涙を誘ったとあります。山辺です。
志貴皇子が、猟夫(さつお)に出会ったムササビを詠った歌だけでは、作歌、歌を作った背景ははっきりしません。しかし、鹿を狙う猟夫が出向く猟場、猟をする場所が「山邊」です。偶然でしょうか。
猟夫が獲物を狙う猟場は、「山邊」です。学者は偶然というでしょうが、そうではないでしょう。
巻十の秋雑歌の「猟夫(さつお)」の歌二首は、発句、第一句がともに「山邊」です。これを大津の妃の山邊皇女と無関係とするのは、相当に鈍感な歌の鑑賞ではないでしょうか。「猟夫」で関連づけられた歌は、明確に大津を指し示しているととっていいようです。
季節も大津皇子と山辺皇女を指しています。猟夫が鹿を狙う「鹿鳴を詠む」歌群は、巻十の秋雑歌です。大津が亡くなったのも、山辺皇女が殉死したのも十月です。しかし、巻十の秋雑歌の歌では、鳴く鹿に仮託された人物はまだ死んでいません。不用意にも妻をもとめて鳴いています。これが大津なら、天武天皇が亡くなった直後ということで、歌の鹿は九月時点の大津皇子を詠っていることになります。九月は秋です。(2013/01/25 つづく)