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くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

秋山郷へ

2007-10-03 23:13:21 | 四季おりおり
9月28日(金) 快晴 夕方から雨

じょんのび村 朝風呂に入りおいしい朝食を食べ→昨夜の荻の島環濠住宅へ再度訪問→高柳町から職員のガイド→朝日の荻野島の風景は昨夜とがらりと変わって村人も(高年齢みたい)田にでて働いている。
農機具も使って昔ながらの農業でもないみたい。水は山からではなく水道

塩沢の鈴木牧之記念館へ 1770年1月生まれ 父親の影響を受け幼少より学問や文芸の勉強をし、俳諧・書画もした。質素倹約を旨とし家業の質屋とちヾみの買付で塩沢でも屈指の地位となり、文筆活動では子孫への「夜職草(よなべぐさ)」秘境の秋山記行を40年の歳月をかけて「北越雪府(ほくえつせっぷ)」を書きました
館内は築19年を経てまだ木の香も残る建物で短冊や絵画、塩沢の絹織物、機織り機や民具ときれいに整理され展示してあります。


塩沢の街はいま保存地区となり盛んに改築が行われていて、その中の1軒 脇陣の高田家のご当主に改築中の家内を見せてもらいました。通用門は雪国らしくくぐり戸でせまく、えらい方々のために戸を3枚にし上にも持ち上げられるように(頭を下げさせない工夫)がなされ、蔵は4つ 1つの蔵には米が1000石積み上げられていたそうです。他の蔵には嫁入り道具や先祖代々が収集した品々、ただ家訓で手に入れたものは蔵から出さない、だから今でも何があるかわからないので、改築後の和室に展示するのだそうです。蔵と住居に囲まれた庭は江戸時代の庭と現代の庭がうまく調和して苔がきれいに手入れされています。

田圃と山に囲まれた農道を小型バスで走って津南町歴史民俗資料館へ
整った顔立ちの声のよく通る女性から、津南町の雪の中の生活用品なくてはならないヤマゾリやダイコンを保存する大きなツぐラ、植物繊維からより合わせた糸で編んだ編み衣(国重要文化財)驚かされたのは先の地震で大部分が壊れた縄文時代草創期後半の爪形文土器(焼け跡がのこっています)卯の木南遺跡出土、縄文時代中期中葉の東北の影響を受けた火焔型土器・道尻手遺跡出土、これらの土器が所狭しと並んでいます。この時代にここでは人々の生活がしのばれます。

この資料館の隣には220年前の茅葺民家が49年の状態で保存されています。
しかし日本民家集落博物館にある土間座での生活ではありません。板の間になっておりました。
昼食はおそばと小鉢にずいき・フキノトウ・大根・きゅうり・キノコ、野菜のてんぷら、紅マスの甘露煮、お茶はそば茶 おいしかったです。
(こういう食事のときは 一口のアルコールがほしいと思いながら・・・)

いよいよ待望の秋山郷の山里に入ります まずは見玉不動尊 近在のみならず遠方からも目を患った人たちがこのお堂で7日間の断食修業をし目を治すと今もお参りが絶えないそうです。山に入れば木々がうっそうと茂り、滝音も高く水が流れおち、深山幽谷の風情なので秋山の人々の心の支えの不動尊となっています。


そろそろ空模様があやしくなり大正時代には東洋1と言われた水力発電が見え始め途中から案内に参加してくれた民宿ひまわりの相澤さんの説明では、秋山郷でも発電所の仕事が入り村は潤ったそうです。
800メートルほど山に入り雨が降り始め、秋山郷総合センターとねんぼ着 この建物は小学校と診療所と郵便局と役場を兼ね備え、ひとりの女性が切り盛りしていました。小学生は6名で4年生・3年生・2年生だそうです。すぐ下に保存民家があり見学、やはり板の間の床でした。壁はこのあたりはすべて土壁にスギ板を張り巡らせたもの、雪国ならではのものです

急峻な山道を小型バスで100メートルほどのぼり今夜の宿 のよさの里につきました。雨は本格的に降り始め目の前に鳥兜山が見えるらしいのですが、なにもみえません。夕食はヤマメの串焼き、山菜、味噌汁、たけのこやうどの煮物やてんぷらとやはり盛りだくさん、宿主が酒を配ってくれ「今夜は露天風呂が故障で使えない」と平身低頭されました。雨も降っていることだし 酒もおいしいし温泉の風呂はありますから満足の夜となりました。

そういえば この旅では男性と女性とで4,5人づつの相部屋 私の部屋の女性はみんな酒を好みましたので、楽しい夜を2日とも過ごしましたのでテレビを1度も見ることなく、夜の更けるのも忘れて話に花が咲きました。

つづきは、また