昭和46年夏、東京を出て大阪千里で後輩を拾い
能登半島へ出掛けた。
車社会が急激に進み、貨物は大型化が進んで居た時代
地方のインフラは付いて行けて無かった。
此の時も、後輩と、二人して能登の狭い道で立ち往生した
車列を、進める為に、車列の前へ行き、後ろへ走り
交通整理に大活躍、離合すら出来ない集落を幾つも抜けてやっと
羽咋の海岸に出た時は、海水を車が巻き上げる事も忘れて
千里浜を爆走?した。続く?
(写真は、能登、千里浜海岸)
能登半島へ出掛けた。
車社会が急激に進み、貨物は大型化が進んで居た時代
地方のインフラは付いて行けて無かった。
此の時も、後輩と、二人して能登の狭い道で立ち往生した
車列を、進める為に、車列の前へ行き、後ろへ走り
交通整理に大活躍、離合すら出来ない集落を幾つも抜けてやっと
羽咋の海岸に出た時は、海水を車が巻き上げる事も忘れて
千里浜を爆走?した。続く?
(写真は、能登、千里浜海岸)
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