BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

大学進学には

2022-05-10 | 思い遥か

思春期の出来事が交錯した。大学はとうにあきらめたと過ごした、はたらいていた、その毎日の後に不意にやってきた。
笛を作っていた。プラスチックのピリピリなどと呼ぶと懐かしく思い返される。呼子笛は金属製またはプラスチックでできている。その真鍮製の笛をいちはやく材質を変えて作り出そうとした。スポーツ競技などの合図に用いて、また警笛としての用途に用いる白のプラスチック製である。まだ誰も商品化していないころのこと、米国の方で試みがあった。それを作ろうとして、大きいピリピリはなんとかできていて、その小型になる、いわば空気道が成型一体となる。金型を起こして試しに実験するとコルクが回って金属音にない高い音を出す、とうまくいけばよいのだが、気流がコルクの回転をうまく作れないと微調整を繰り返す。製品では、検索して似たようなのを探すと、EKB211 プラ大エコーとか、モノタローエスコ60mm/13g ホイッスルなど商品名がある。それを販売スケジュールと製造の手配で製作に取り掛かったのだが、個人営業で限界があったのは製品設計で、スポーツ器具の卸売会社から期待されていたのがうまくいかない。材料もストックしたままに、型の製作を妥協して仕上げた。製品化はできたのであるが、そのときに襲ってきたのが工業についての知識がない、学文がないとの思いであった。
それから営業経験に転じて学歴社会の壁を見ることになる。





>呼子笛(よびこぶえ)とは次の2通りの意味
現在の物で、共鳴胴の中にコルクやストローでできた軽い玉を入れた笛。音はきわめて甲高く、単音の連続である「ピー」ではなく「ピリピリピリ…」と短いサイクルで音調が変化する性質を持つ。現在は「ホイッスル」と同じ意味で使われることが多い。

https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1966automarket/page03.html
>ホンダ営研の具体的な運営と特徴は次のようなものであった。
1. 末端販売の正しい実態を科学的に把握し、その結果を自動的に本田技研に送り込むシステムの会社である
2. 本田技研の思想、考え方、現状を正しく販売店に伝え、メーカーと販売店の話し合いの場とする
3. 従来のディーラー網の販売活動を促進する
4. ユーザーに対する直接販売は行わず、販売はあくまでも販売店を通じて行う
5. 原則として、管理職も設備も事務作業すら必要としない、セールスマンだけの会社である
6. 従って、給与もエキスパートに見合う独特の制度を採用する
1966年3月、『セールスマンを求めます』という、営研マン募集の新聞広告が掲載された。
1. 働きがいのある、全く新しい"セールスを科学する会社"である
2. 組織の鎖のない職場で、"考えるセールスマン"として、存分に腕を振るってほしい
3. 一人ひとりがHondaのスポーツカーで活動する
4. エキスパートを尊重する
>営研マンの仕事には、クルマの販売、自分のテリトリーの販売店調査(店の間口、修理力)等があった。毎日決まったオフィスに出勤するのではなく、現場へ直行し、仕事が終わったら直帰するというように自分の判断で動いていた。当時としては斬新な勤務形態であった。販売については、販売店の社長に同行し、お客さまとの商談を進める同行販売と、社長に代わって行う代行販売があった。


モーター屋のおやじ 追悼
2016-11-02 | 日記
永く世話になった方が亡くなった。思い起こせば、アコードハッチバック、シビックセダン、トルネオ、インテグラSJ、ストリーム、アコードハイブリッドと、乗り継いできたのは、その付き合いだが、始まりは何であったか。ホンダ車には営業のS600、N360、TN360、そして、ゼットがお気に入りで乗り始めた。店に通って、車種を乗り継ぎで買い求め、車の手入れ点検だけは欠かさずにおこなって、いつも車の談義をしていたことだった。そうすると、店には38年のことになるし、話し相手をしてくれたものだ。そのおやっさんには、セールスのころの果たせない思いを、ユーザーになって、あれこれと返し物をしたようなことになる。昨暮れの点検で会ったときに、ふっと、これで会うのは終わりになるかと予感をして、年明け早々にすっと言ってしまったようで、それからしばらく、ハイブリッドの車には点検いらずで過ごしてきたのが不覚であった。残念なことであるけれど、しあわせなことであったかと、自分を慰めるしかない。……


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