とにかく時間がなかった。アルバイトをかけもって学費と生活費を稼いだような日々であった。毎朝3時半前後に起きて3時間を作り出した。4年の間、3年は毎日の生活のリズムに年間を通して正月と盆の2日だけもまたが朝は休みだった。そこに夏冬の休暇期間は日中の時間も働いた。つまりこれはあさの3時から暑さ寒さのひどいときによくも続いた。家業だからできたのだろう。またふだんに2年はしたこと、家庭教師のバイトをしたときは週に2日の、それも2軒を回って、学業との両立などというものでもない。日中に学校に出る工夫だけだった。そういう事情があった。当初は寝る時間と睡眠の質を確保するので精いっぱいだったから、スキ暇があるとコロンと目を閉じていた。たとえば90分の授業に空きができるとそれで1コマ分は教室に突っ伏していた。いつもそうしていると仲間がいることに気づいて彼もまた眠い目をこすっていた。聞くと夜半から明け方までの時間を稼いでいた。なにかしら似た境遇だったか、その違いが大きかったが、教室での学習環境を求めての気持ちは同じだったから4年間の、となるところ、彼のスケジュールでは倍の8年間の友人となった。大学院に進んで時期を同じくして就活があった。もっともそれを彼は成功しわたしはしくじった。まだ5年課程の1年が残っていたので彼は一足早く卒業していった。思い出せば彼はその後も自分が目指す道を歩いて行った。わたしもそうであったのだが、随分と互いに励んだものである。
とにかく時間がなかった。アルバイトをかけもって学費と生活費を稼いだような日々であった。毎朝3時半前後に起きて3時間を作り出した。4年の間、3年は毎日の生活のリズムに年間を通して正月と盆の2日だけもまたが朝は休みだった。そこに夏冬の休暇期間は日中の時間も働いた。つまりこれはあさの3時から暑さ寒さのひどいときによくも続いた。家業だからできたのだろう。またふだんに2年はしたこと、家庭教師のバイトをしたときは週に2日の、それも2軒を回って、学業との両立などというものでもない。日中に学校に出る工夫だけだった。そういう事情があった。当初は寝る時間と睡眠の質を確保するので精いっぱいだったから、スキ暇があるとコロンと目を閉じていた。たとえば90分の授業に空きができるとそれで1コマ分は教室に突っ伏していた。いつもそうしていると仲間がいることに気づいて彼もまた眠い目をこすっていた。聞くと夜半から明け方までの時間を稼いでいた。なにかしら似た境遇だったか、その違いが大きかったが、教室での学習環境を求めての気持ちは同じだったから4年間の、となるところ、彼のスケジュールでは倍の8年間の友人となった。大学院に進んで時期を同じくして就活があった。もっともそれを彼は成功しわたしはしくじった。まだ5年課程の1年が残っていたので彼は一足早く卒業していった。思い出せば彼はその後も自分が目指す道を歩いて行った。わたしもそうであったのだが、随分と互いに励んだものである。