BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

連体詞

2021-06-11 | #日本語教育

品詞分類、日本語にある特徴的なネーミングは、連体詞。
国語文法から日本語教育の品詞分類にも見える。
さて、その品詞特性は?


東 真希

株式会社Remedies 執行役員CXO。欧米学問のテクニカルライティングに基づいた執筆技法で、プロダクトライティングや、専門性が高い記事の執筆を行う。PR会社を経て、ソフトウェアメーカーにおいてマーケティングに従事。その後、スタートアップ立ち上げ期にプロダクトライティングやコンテンツストラテジーを担い、成長に貢献する。その後、Remediesを起業。高品質のライティングに向けた情報を提供するために、upwriteの記事執筆・編集を行う。

https://upwrite.jp/grammar/pre-noun_adjectival
最終更新日 : 2021年04月13日

この、その、あの、どの、わが、大きな、小さな、おかしな、いろんな、たいした、とんだ、ある、あらゆる、いわゆる、きたる

「た・だ・の・る・な」で終わる言葉は連体詞

「〜の」型 この、その、あの、どの
「〜が」型 わが
「〜な」型 大きな、小さな、おかしな、いろんな
「〜た(だ)」型 たいした、とんだ
「〜る」型 ある、あらゆる、いわゆる、きたる

本解説は、文部科学省(平成29年度告示)中学校学習指導要領に準拠した中学校国語教科書をはじめとする国語文法をわかりやすい観点で解説することを目的に作成されております。参考文献の詳細はページ末尾をご覧ください。
『国語1』『国語2』『国語3』光村図書(中学校国語教科書)
『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説』文部科学省
『国語教師が知っておきたい日本語文法』山田敏弘 くろしお出版
『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』[監修] 松岡弘 [著] 庵功雄 高梨信乃 中西久実子 山田敏弘 [出版] スリーエーネットワーク
『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』[監修] 白川博之 [著] 庵功雄 高梨信乃 中西久実子 山田敏弘 [出版] スリーエーネットワーク
『助詞・助動詞の辞典』森田良行 東京堂出版
『日本人のための日本語文法入門』原沢伊都夫 講談社現代新書
『基礎日本語文法 —改訂版—』益岡隆志 田窪行則 くろしお出版


7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
体言 (Maria)
2021-06-12 00:29:14
> さて、その品詞特性は?
まぁ、「連体詞」というのだから「体言に係る」ので、あまり用言には係りづらい、という特性はあると思います(笑)。
用言(=述語)にかかる体言は、基本的に述語から要求された文法格を担っています。例外的に「場所(位置)」「時刻」といった「相」に関する表現はありますが。「上越は」「上は」「夏は」みたいな感じです。
そうした、「用言にかかる、文法格を持った体言」について、情報を盛込むための語、というのが「連体詞」であるように思います。
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「とりたて詞」という概念 (Maria)
2021-06-18 21:16:59
「は」や「が」が、「格助詞」ではなく「とりたて詞」であると考えたきっかけが、「が」の用法です。
たしか、大野晋先生が『日本語の文法を考える』で「『ハ』と『ガ』」について論じていらっしゃったのですが、いまひとつ腑に落ちなかったので、「は」「が」というのは、「もう、自明なんだから明示する必要はないんじゃねぇの?」という態度の表れなのではないだろうか、という「甘えの構造」(by 土居健郎)に基づいているのではないか、と考えています。
> たとえば、関ケ原、霞が関、おらがくに…などを、どう説明するか。
「関の原」「霞の関」「おらのくに」の「関」「霞」「おら」がとりたてられた結果として、「が」が使われたと考えます。「おらが春」の「が」も同様ですし、方言では「私の」が「我(わ)ば」という用法があります。
「は」「が」「ば」は、「とりたて詞」であって、格助詞や連用修飾詞をオーバーライト(上書き)するのではないか、と考えていますが、今のところ判例が見つからないので、「うちらのチェックが甘いのではないか?」と悩んでいます。
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取り立て詞 (ksky)
2021-06-19 11:06:12
底辺の日記ブログに、取り立て詞がありました。
https://reader-in-dawn.hatenablog.com/entry/2018/04/01/120642
2018-04-01
日本語のとりたて詞について

レポートをまとめたとか、よく整理しています。
すこし、考察がわかりよいだけに・・・

ここに、「は」「が」「ば」が入る、範疇が同じという議論ですね⁉
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再掲 (ksky)
2021-06-19 11:08:21
品詞特性 (ksky)
2021-06-17 23:43:00
連体詞は形容詞の類です。
ただし、限定修飾という属性はありません。
語形が変化しないので、品詞範疇に別建てをすることになります。
古語の残存、語構成に分解、形容性の修飾形などによるもの。
したがって、語のそれぞれに語誌として説明がつきますが、慣用的なこともあって、ひとまとめの限られた語を上げることになります。
たとえば、関ケ原、霞が関、おらがくに・・・などを、どう説明するか。
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限定修飾 (Maria)
2021-06-19 20:28:49
「底辺の日記ブログ」、読みました。
分析としては鋭さを感じたのですが、「うん、そのあたりは、うちらが通り過ぎた地点なんだよね」という残念感があります。
10の階乗(「10!」と書きます)は、約百万通りくらいなのですが、「さえ」「まで」あたりを含めると、結構な数になります。組合せの数が多いので。
それに対して、うちらはザハリッヒ(即物的)かつラジカル(根源的)なアプローチをしました。つまり、「全ての組合せを生成して、文法的なのか非・文法的なのかを人間が判断する」ということを行なったわけです。
その結果、「は」「が」は「とりたて詞」であり、「さえ」「すら」「まで」「だけ」「のみ」は、「限定詞」(あるいは「限量詞」)として「とりたて詞」とは別扱いしたほうがよくはないか、と判断しました。
連体修飾詞は、「対象から、その部分集合である対象を切りとる」という役割を担っているのではないか、とうちらは考えています。
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地平 (ksky)
2021-06-20 05:37:09
通り過ぎちゃった?ならしかたない(笑)
地平から見るということも大事なんだけれど、
概レポートにもある問題点は、さきのコメントにある、
>「は」「が」は「とりたて詞」
という、(>「は」「が」「ば」は、「とりたて詞」? 先、先のコメントにある、議論を揺らすなぁ・・・)を
この資格は同列でないにかかわらず、
機能の解説がないところ、なにをもって同じ範疇?
>「全ての組合せを生成して、文法的なのか非・文法的なのかを人間が判断する」ということを行なったわけです。
とあって、ちょっと見には、100万通りを超えた組み合わせを見て、どうもこれは言葉を見たんでないね、ふるいにかけただけかなぁ、それでカテゴライズしたような説明は児童が聞いても分からないということでしょう。
取り立て詞を開発したとする研究者たちのは、ある前提を持っているらしいので、そこを言わないから議論じゃない、解釈百出する、100どころではない、終わることがないね、100万通りだっけ、それぐらいまでね。
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Re:地平 (Maria)
2021-06-20 15:51:17
Maria です。
とりあえず、昨今のパソコンは百万通りくらいの組合せを生成するのには、一秒もかかりません。200ミリ秒もかからないので、まさに「瞬間」「瞬時」です。
「さえ」「すら」「まで」「だけ」「のみ」に関していうと、「がさえ」「はすら」「がまで」「はのみ」はハネちゃっていいと思います。
そうなると、「さえも」「さえもが」「すらも」「すらが」「までも」「までは」「までもが」「のみが」「のみは」みたいな例が焦点になってきます。
そこで、そういった例を集めて統計的に篩って多変量解析を行なって「何が利いているのか?」というヒントを得て、あらためてデータと向かい合って「データをして語らしめる」というのが理工学屋のやり口なのでございます m(_ _)m。
ふと気がつくと、うちらの書いた日本語関係の文書のバイト数は、軽く一メガバイトを越えていました(つーても文字コードによってもデータサイズは変わってくるのですが)。と、いうことは、それだけのコーパスデータが存在するということです。
「何をもって規範とするか」は、「日本語はどのように使われていて、そこにどのような規則があるか」との「{相対|そうつい}」的な関係があると、思っているっちゅーか考えているっちゅーか主張しているわけです。
文法学は「科学」であり、日本語処理は「実学」を目指しています。その意味では、文法学と日本語処理は「手を携えて歩む」のが望ましいと考えています。
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