BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

語と単語

2020-10-08 | 日本語学2020

語の概念に単語、詞がある。単語も、詞も概念を有する。抽象映像でもやもやとした塊を連想する。概念のひとつ、ひとつで大きさがあるわけではない。その塊の周辺はぼやけていて縁となる。その周辺をなかへと、周縁となる部分とわけていくような、そのなかにコアがある。核心となる部分で、ここはいわば、周縁に対する本質である。そのぼやけた塊は、いつか私たちに形成されている。さて語の概念に、言語現象に見るという説明を与えて、語を口から出た音声でまとまりのある意味を伝えるとすれば、そのまま語ること、言うことになって、音のまとまりをどうつけているかで、語の単位となる。語とだけ言えば、その単位の一つを取り出せば、わかりやすく、一つの語、単語となる。したがって、単語という概念は語を核心として、周縁部に単語という部分を持つ、ぼやっとした塊である。その周縁の単語は実は、話す言葉の切れ目の一つ一つに名づけされたものとなる。そうであるから、核心には語、その周辺には名づけされた語が居並ぶ。いくつ並ぶか、それは単位として整理すれば、用いるところの辞書、または、メモリ―というところでかくのうされるように、数量的な把握となて、ことばの現象による。そして、そのひとつ、ひとつに、詞という呼称を与えて、分類する。詞の概念は、分析された手法で、文法であれば名詞、動詞、形容詞などにわけられるが、詞という概念の周縁にあるので、また、その詞を取り出して名詞の概念、動詞の概念、形容詞の概念の説明ができる。詞はことばであって、ことばは口から出て、その連続には、詞が連なることで意味のまとまりをさらに表現する。歌詞、詞章、誓詞などなど。


字通
<ジャパンナレッジより>


言語と連称し、言は立誓による攻撃的な言語、語は防禦的な言語。
言語はもと呪的な応対の語であったが、のち一般の語をいう。
訓義
[1] かたる、呪語をのべて霊をしずめる、ことば。
[2] ことわざ、おしえ。
[3] はなし、ものがたり。
[4] ときさとす、つげる、いう。
[5] かたる、かたらう。
[6] 国語、仲間とする。
古辞書の訓
〔名義抄〕語 コト・コトバ・カタラフ・カタル・モノガタリ・モノイフ・ウワサ・サヅク・イフ・トフ・カタラク・アフ・サヘヅル 〔字鏡集〕語 サヘタツリ・カタル・モノユフ・モノガタリ・イイカタラフ・トク・サヅク・コトワザ・カタラフ・コトバ・トフ・イフ・ネゴト・コト
語系
語ngia、言ngianは双声で相対する語。(中略)諺はいわゆる「風俗の諺」で、わが国では地霊にはたらきかけるときの呪的言語をいう。序詞・枕詞などはその諺に起源する語である。



〔説文〕九上に「意、内にして、言、外なり」とし、字を会意とする。〔説文〕は司を「臣にして事を外に司るなり」としており、詞を臣が言を外に宣べる意としたのであろうが、司・詞は伺・覗とともに、もとみな祝禱に関する語である。
訓義
[1] ことば、いのることば、つげる、つげ訴える。
[2] ねがう、ちかう。
[3] いう、はなす。
古辞書の訓
〔名義抄〕詞 コトバ・マツリ


2 コメント

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語と詞 (Maria)
2020-10-08 23:01:19
たびたびお邪魔して申し訳ございません m(_ _)m。自然言語処理分野では迷惑者扱いされている Maria でございます。
「語」といった場合、とりあえず形容詞や動詞も含めて、用言の「活用形」の根幹である、いわゆる「語幹」の部分を指すのではないかとうちらは考えています。
それに対して、「詞」は「コトバ」(発声上であったり表記上だったりはするのですが)だと解釈しています。
「嗅ぐ(kag-u)」の「kag」は「語」ですが、「嗅いだ」「嗅いで」は「ka(g)i・d-a」「ka(g)i・d-e」だったりするわけで、こちらは「コトバ」としての「詞」であると考えます。
「書く(kak-u)」は「書いた」「書いて」のように「ka(k)i・t-a」「ka(k)i・t-e」になるわけですから、「た・て」「だ・で」は同一の「語」(形態素レベルの話なので、ちょっと違和感はあろうかと思いますが)ではあるのですが、「詞」は(「コトバ」としては)別扱い、ということになろうかと思います。
橋本進吉先生の「文節」という概念に立ち戻りますが、「形態素レベル」で考えると「語」、「活用形レベル」(あるいは文節レベル)で考えると「詞」ではないかと考えています。

我々はシステム関係からのアプローチゆえ、本職の国語国文学の分野の方々から見ると、浅学ではあります。ご専門の方々には、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします m(_ _)m。

こういうコトを言っちゃうから嫌われるんだよね (^_^;)。「それは挑発なのか? 挑戦状なのか?」とか思った方、リプ(レス)待ってます。
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文節のすごさ (ksk_ym)
2020-10-09 11:21:31
語であり、詞である、そういう言葉ですね。
御説御尤も、理解のためにーー
語=形態素 → 詞=形態 ⇔ 句=その機能

語は国文法では、自立語、付属語に分けるので、形態素レベルにして、音韻挿入、なびき、語尾、接辞、変容とするもの、この扱いが異なってきます。

詞は、同様に、品詞分解でカテゴライズしますが、その語の形態となりますから、さきに2大分類は、自立形式、結合形式をふくめてとらえる、そしていわば文中の、文法機能となるのですが、ここまでですね。

「句」と書いたのは中国語現代文法では、「句子」となって、外国語文法との対象では、「文」と翻訳しています。

こうしてみると、文節の単位は分節に沿うもので、橋本文法の便宜、有用性がわかります。
学校文法をわからないとは、国語教師、日本語教師、言語理論家たちに起因するものがあり、とりわけ、日本語教育にあった教授の便法を、基礎日本語文法とする三上一派はなにをわかってのことでしょう。

ごっちゃにする、ごちゃまぜ、ごた混ぜ、混ぜ物をした飯、紛糅、ジュウゼンとしているようです。
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