BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

そうそう

2020-10-26 | 日々新た

倉庫の片づけをしなければならない。そう思って3年たち、4年にしてCOVID-19 に遭い、関係ないが、台風のこなかった、来たけれど、この夏の熱暑に、5年で処分する思いは進まない。気づくと体力がなくなってきた。右腕に自由が利かなくなりそう。人差し指はマウスのホイールをカタカタとやりすぎたか、肩の炎症が影響したか、リウマチように、朝起きての指の動きががたがたならぬ、カックンカックンである。週明けの月曜日は7000歩ほど歩く。きょうは47773歩に、疲労を感じる。午睡を軽くして、いまは25時を過ぎているから、夜更かしがまだできるようなことで、不健康には極まりない。最低気温が、一けたになる予報が出ている。週末にも、紅葉の色月つきが映えるということである。

10年前の記録

ふかまる季節感編集する
2010年10月26日06:46

気温が20℃前後になった、日中の日長も短くなる                 
雲の行方は、雲の切れた空に明るさが覗く
寒気が入る予報がある、明日以降だから
今日は良い天気に向かって

冷え込みと台風と日本上空はにぎやかなことだ
週末あたりに接近してあくる日曜日に東海に
湿った暖かいのと凍った冷たいのが押し合うから
行く先はどこへやら

2週間続けての学会に試験が重なって休日がなくなったから
しんどいなと感じたようなのだが、じつはちがっていて
夏に出張して帰ってから老けたと言われたので
そこに遡って体調コントロールをしているはずだから

ずっと学会出張ぐらいではへこたれないと強気で
8月からの心労があってこれで3ヶ月になる
乗り越えるか、乗り越えられないか
意志が続けば、事切れることなく

ニーチェの言葉を噛み砕くコラムに、これをよく叫んだものだと
青春のひとコマを思い出す、西洋思想が辿りえない東洋思想の輪廻を
高校生時代の仏教思想への自らの傾倒を経て見出したのは
哲学ならぬ、哲学思想であった

カントではダメだと思ったから哲学史をまさぐって
哲学の歴史を語るニーチェに西洋の思想の限界を、神は死んだ、だったか、神々は、だったか
読み取りをして、またそこで、ニーチェ自身もゾロアスターの原理を捉えた
人間の知恵は進んでも社会文明の変化には所詮、火を崇める本脳がある

そこに人間の本源がある、日ならぬ火、すなわちエネルギーを手にしたのだ
この偶然は宿命づけられたものかどうか、
神が心の声ならば
火は命の本だ

次代の名言より
>「ああ、人間は永劫(えいごう)(永遠)に回帰する!」(ニーチェ『ツァラトストラかく語りき』)
 《この作品(『ツァラトストラかく語りき』)の基本概念-永劫回帰の思想、到達しうる限り最高の肯定の公式-は、1881(明治14)年の夏に得られた》
 ニーチェはそう回想している。
 《永劫回帰。(中略)仏教のヨーロッパ的かたち。知と力のエネルギーが、そのような信仰を余儀なくしたのだ。(中略)「すべてが完全で神的、永遠」という考えもまた、永劫回帰への信仰を余儀なくする》(『力への意志』)
 前回、ギリシャ神話のディオニュソス(バッカス)神を説明した。ニーチェと彼が創造したツァラトストラが自己を投影したこの「生の酒神」が象徴する「永遠の再生」もまた、永劫回帰である。この思想は、世紀末の欧州を覆おうとしていた“否定の公式”、ペシミズム(厭世(えんせい)主義)やニヒリズム(虚無主義)、社会主義に対する宣戦布告でもあった。
 そして、『ツァラトストラ』の終幕の次の一節は、幾百万の民の喜びを前に「瞬間(とき)よ、とまれ! お前はかくも美しい」と口にして天に召されたゲーテの「ファウスト」への回帰を思わせる。
 《「幸福、刹那(せつな)、瞬間-おれはお前たちが好きだ」と言ったならば、すべてが回帰することを欲したのだ!-すべてが新しく、すべてが永遠に、そしてすべてが鎖と糸と愛によってつながるのだ。この世をそれほど、愛しているということなのだ》(文化部編集委員 関厚夫)



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