『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』 鈴木大介
¥820+税 新潮社(新潮選書) 2018/2/20発行
ISBN978-4-10-610754-2
『脳が壊れた』に続く、脳梗塞発症後の回復記。
つくづく思うけど、鈴木のような、自分に起きたことを客観視して言語化して発表できる人の存在は大変貴重だ。いままでにも脳梗塞を発症して同じように障害に苦しんだ人は星の数ほどいたはず。けれどその人たちの苦しみは医療関係者たちに共有されず、治療のハウツーが確立されてきていない。そして鈴木が指摘するように、脳梗塞後の高次脳機能障害は発達障害等を含む精神科医療対象者と共通する症状で、治療にも共通するメソッドが有効であるということが理解されていないということ。
万万が一、将来私が脳梗塞を発症して、後遺症に悩まされて、症状をうまく説明できないときにはこの本を周りの人に読ませたい。ていうか、今すぐにでも読ませたいんだけどね! でもたいていの人は必要でもないのにこういう本は読まないんだよね。役に立つと思うんだけどなー。役立たなくても単純に面白い。面白いというと語弊があるかもしれないけど、えーと、カッコいい言い方をするなら知的好奇心がくすぐられるというか。
私は昔から脳関係の本が好きで、好んで読んできてるのだけど、その理由はたぶんこれまた何度も言ってきてるように自分自身の脳の働きがあまりよろしくないからだと思う。
本書の中で、鈴木は脱抑制について書いている。感情をコントロールできないという症状で、涙もろいとかそういうレベルを超えて、とにかくフルパワーで感情が爆発する。
> 病後の僕は、本当にこれが僕なのかと思うほどに、不安や怒りや苛立ちといったマイナスの感情を自力で払拭することができなくなってしまった。(135頁)
あの人嫌いあの人嫌い嫌い嫌い嫌いとずっと思い続けてしまう。いやなことがあってもスパッと切り替えて引きずらない性格であったはずなのに。
脳梗塞を発症した人が、「人が変わったようだ」といわれることがあるのはたぶんこういう症状なのだと思う。これは病気なんだ、回復したら元に戻るんだと思って周囲が支えてやることができれば、本人はどれだけ助かるかしれない。それなのに現実は、「嫌な人になっちゃったなあ」と離れていったり、本人を責めたりして、追い込んでいく。それでは回復しない。負のスパイラル。
回復して、マイナスの感情に振り回されなくなった鈴木は、振り返って思う。
> 自らの不機嫌や不快な感情を自力で払拭できないことは、こんなにも「つらい」ことなのだ。[…]「不機嫌な人」と「つらい人」がイコールで繋がる存在だということを、僕は当事者となって初めて知った。(148頁)
私は昔からとにかく怒りっぽく、なにかっていうとすぐにイライライラーっとなって、その原因になった人に対して顔も見たくないというくらいにいつまでも怒り続けた。おこる理由は些細なことかもしれないけれど私にとっては怒って当然と思えるもので、周囲の誰もが怒って然るべきなのになぜか私一人しか怒っていないということも多く、そんなとき私は自分が怒りやすいのではなく、周囲の皆が結託して私をわざと怒らせ、孤立させようとしているのではないかと考えた。
………こんなのが二十代の後半くらいまで続いてましたね。多分に軽度の発達障害だったのかもしれませんね。年齢を重ねてなんとか感情のコントロールもできるようになりましたが、だからといってあの頃の自分に何を言ったところで、どうにもならなかっただろうな、とも思う。怒ろうと思って怒っていたわけじゃないんだもん、あのころだって。なんでみんな怒らないの!? おかしいでしょう!? 一緒に怒ってよ!! いつもそう思ってた。なんで? なんで? なんで? 一緒に怒ってくれる人がいないことでさらに怒りがヒートアップして、もういい! とコミュニケーションを自ら断ち切って、孤立する。
鈴木の言うとおり、不機嫌で苦しかった。
そりゃもう、誰だって機嫌よく過ごしたい。笑って一日過ごせるならそれに越したことはない。それができないのは本人のせいだと言われても、好きで不機嫌なんじゃない。
今でも改善されたといえるほどでもなくて、あのころと比べればマシだけどやはり周りの人たちと比べて怒りっぽい。
それでも脳は少しずつ変わってくらしい。私がほんの少しだけ怒りを抑制できるようになったように。願わくば、老境に入った時に再び怒り爆発になりませんように。