狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

主の御名を呼び求める者は

2020年10月16日 | 聖書
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ10章13節)

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしととも
にパラダイスにいます。」(ルカ23章43節)


 人生の最後に悔い改めて、イエス様を救い主と信じ、永遠の地獄から救われることがあります。聖書には、まさに、死の直前ぎりぎりで救われた人の話がひとつ記されていて、そういったケースもあり得ることが証されています。ただし、聖書に記されているのは、たったひとつだけです。と、いうのは、こういうことは、まれであること、そして、この例が救いを受け入れることを先送りにする言い訳とされないためです。

 イエス様が十字架につけられた時に、ふたりの犯罪人が、イエス様の右と左にひとりずつ十字架につけられました。そのふたりの犯罪人は、最初は、見物人と一緒になって、イエス様を、ののしっていました。
「イエスと一緒に十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。」(マタイ27章44節)
  
 けれども、その後、そのうちのひとりが、イエス様を救い主と信じたのです。その変化は、とても早いものでしたが、と、同時に、深く、完全な変化でした。彼のことばの一言一言は人が本当の救いに至るまでの段階をよく表しています。

1) 神様に敬意を示す。
一緒に十字架にかかっていたもう一人の犯罪人がイエス様に悪口を言うのをたしなめた。

「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。・・」
(ルカ23章40節)


2) 自分の罪を認める。

「・・・われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。・・・」(ルカ23章41節)

3) イエス様は、無罪であることを断言し、完全に正しい方であることを認める。

「・・・だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(ルカ23章41節)

4) イエス様に助けを求め、信頼する。

「・・・私を思い出してください。」(ルカ23章42節)

5) イエス様こそが、復活し、再臨される主であることを信じる。

「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、・・・」(ルカ23章42節)

 
 イエス様の答えは、彼の希望をはるかに上回るものでした。

「・・・あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23章43節)

 彼は、未来の救いを求めたのですが、イエス様は、彼をその日にパラダイスに連れて行って下さると約束してくださったのです。このように、イエス様を、自分の罪の罰を受けて下さった救い主と信じて世を去るものは、罪を許され、天国に行くことができるのです。

(Buena semilla より)

        





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。