狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

遅すぎることはない

2020年10月25日 | 聖書
プリシラは最近、読み書きを学びぶために、ケニアの “Ndalat“ にある学校に入学しました。 彼女はクラスメートのうちの何人かを知っています。 実は、クラスメートのうちの6人は、彼女のひ孫なのです。 プリシラは世界で最も高齢の学生になりました。 彼女は90歳です! さて、その動機は、何だったのでしょう? それは、“聖書を読みたい。 “ でした。

“ 聖書を調べなさい。 というのは、あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思っているからです。 その聖書は、わたしについて証しているものです。 “ (ヨハネ 5:39)

プリシラは神からのこの招待に応えたのです。
もしかすると、あなたの周りの多くの人が、聖書を読んだこともないのに聖書を批判するため、あなたは聖書を開いたことがなく、また、開こうとも思わないのでしょうか? 神の言葉を読むことを学ぶために学校に通うこの老婆の例は、あなたの心を動かしませんか?
神が私たちに言いたいことを聞くのに遅すぎることは決してありません。

“見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。“ (2コリント6:2)

確かに聖書は、神の人間への愛のメッセージが書かれた、唯一の本です。 ヨハネによる福音書の一節はこのメッセージを要約しています。

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 “ (ヨハネ3:16)

この「la buena semilla」の各メッセージには、“聖書を読むようにみなさんを招く。 “ という目標があります。 私たちの応答は、イエスへの弟子たちの応答と同じでしょうか?

“主よ、わたしたちはだれのところに行けるでしょうか。 あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。 “
(ヨハネ 6:6)

(La buena semilla より)



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