吉村 虎太郎(よしむら とらたろう) の銅像を訪ねる
津野町の役場の裏に吉村虎太郎の銅像があることは、以前から通るたびに見ていたが、上がって行ったのは初めてでした。
生涯
土佐国高岡郡芳生野村(高知県高岡郡津野町)の里正(庄屋)吉村太平の長男として生まれる。12歳で父の跡を継いで北川村庄屋となった。後に須崎郷浦庄屋となり、転村の庄屋広田家の娘お明と結婚。同地で郡役人の間崎哲馬に学問を、また城下に出て武市半平太に剣術を学び尊攘思想に傾倒するようになった。
文久元年(1861年)武市半平太が土佐勤王党を結成するとこれに加盟。同2年(1862年)2月、武市の命で長州へ赴き久坂玄瑞に武市の手紙を渡した。それから九州へ渡って筑前国の平野国臣と出会い、平野から薩摩藩国父島津久光の率兵上京とこれに合わせた浪士たちによる挙兵計画(伏見義挙)を聞く。吉村は急ぎ土佐へ戻り、土佐勤王党も脱藩して参加することを説くが、武市の考えは挙藩勤王であり、これを許さなかった。やむなく、吉村は少数の同志を説いて脱藩を決行。この時、藩境の誰何が厳重であったために、吉村は武具を調えて馬に乗り、薩摩への使者であると偽って堂々と関所を押し通ったという。吉村と同時期に坂本龍馬、宮地宜蔵ら6人が脱藩している。
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文久元年(1861年)武市半平太が土佐勤王党を結成するとこれに加盟。同2年(1862年)2月、武市の命で長州へ赴き久坂玄瑞に武市の手紙を渡した。それから九州へ渡って筑前国の平野国臣と出会い、平野から薩摩藩国父島津久光の率兵上京とこれに合わせた浪士たちによる挙兵計画(伏見義挙)を聞く。吉村は急ぎ土佐へ戻り、土佐勤王党も脱藩して参加することを説くが、武市の考えは挙藩勤王であり、これを許さなかった。やむなく、吉村は少数の同志を説いて脱藩を決行。この時、藩境の誰何が厳重であったために、吉村は武具を調えて馬に乗り、薩摩への使者であると偽って堂々と関所を押し通ったという。吉村と同時期に坂本龍馬、宮地宜蔵ら6人が脱藩している。
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