今、北条は退かず(上)近衛龍春
角川文庫1200円プラス税
を読んでいます
ちなみに、わたしは
北条は退かず(中)御館の乱と天下騒乱
北条は退かず(下)小田原合戦
北条は退かず(上)激闘、三増峠の戦い
の順に読むという
相変わらずの邪道読みをしているために、
上巻を読んでいる時は、なんかこの子が
あの北条氏邦になるんやと思いながら
ニヤニヤしながら読んでいる状況。
タイムマシーンに乗って来ましたって感じになるので
思わず笑ってしまいます。
ネタばれになるので
ちょい離します。
北条は退かず(中)御館の乱と天下騒乱
のみどころ。
上杉景勝は春日山城を取り奮戦。
樋口兼続(のちの直江兼続)策もよく当たり
なかなか奮戦するものの、苦戦は免れず。
三郎景虎の陣営は前関東管領の上杉憲政とか
血族である北条氏や、その同盟者である武田氏、奥羽からは同じく北条家と同盟関係にあった伊達氏に加え、
葦名氏・大宝寺武藤氏が加担している。
このことから、景虎の支援に実家である北条家の力が大きく働いていたことがうかがえ・・・・
ただ、この本では北条本家の動きが鈍く、
北条氏邦は苦労しています。
武田軍との戦い。
正直、長篠の戦で、武田軍かなり弱体化してるのですが、
その武田軍相手でも、北条軍は勝てない。
信長さん、死す。
1ページしかなかったような。
ナレ死である。
滝川一益が信長の仇を討つ前に、
後顧の憂いを断つために行った戦い。
もち、北条軍の方が軍勢が多くて優勢なのだが、
わたしが思っていたようなあっけない戦いでは
なくて、最初の方は滝川軍も大健闘したそうだ。
と言うか、この本では全体的に北条軍は
数は多いのだが、なんか物凄く弱くて・・・・。
同19日、滝川一益は、倉賀野城を経て厩橋城に退却し、
城下の長昌寺において戦死者の供養を行った
(中略)
一益は太刀、長刀、金銀、秘蔵の懸物等を上州勢に与え、
深夜に箕輪城を旅立った。
と、敗者なのだが、かなり悠然と退いているような
感じさえ受ける感じで、
滝川さんのイメージが変わった本であった。
こてくんが、よくてんしょうぎゅうごの乱と言ってしまう戦い
北条家と徳川家が甲斐でにらみ合いをすることでも、
そこそこ有名。
真田昌幸が寝返って、北条の補給路が断たれてほぼ万事休す・・・・。
この戦いも北条本家の動きは鈍かったという・・・・。
そして、やはり弱い北条軍・・・・ぉぃぉぃっ。
北条は退かず(下)小田原合戦
のみどころ。
名胡桃城に拘る北条本家。
氏政は豊臣軍など来ない。はったりだと
うそぶいていましたが・・・・・。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐を前にして小田原城で行われた評定の席において、
小田原城に籠もることに反対し、駿河国に進出しての大規模な野戦を主張したが
他の北条閣僚らに容れられず、小田原城を退去して居城の鉢形城に籠城し、単独で抗戦した。
北条氏邦は、小田原合戦の時に鉢形城に立てこもり
1か月にわたり奮戦。
前田・上杉のメンツ。本多勢の参加。
真田の忍者軍団などが交差する妙な戦いとして
書かれています。
さて、
北条は退かず(上)激闘、三増峠の戦い
の気になる所です。
藤田氏の養子として、派遣されてきた乙千代丸(後の北条氏邦)
養父はこの時点で、藤田右衛門助重利となった。
藤田家は遣隋使小野妹子を祖とする家柄である。
読んでいけばわかるのだが、
乙千代丸の嫁さんはこの養父の娘。
於福である。
ただ、於福は、藤田家を乗っ取られたと
思っているので、乙千代丸の事は嫌いであった。
ちな、この父親は野心家であった。
北条氏に属しているものの、
後に武田氏を利用して、大きくなろうとしていたのだが・・・・・。
第一章の43ページで用土と名前を変えさせられ
(まあ自ら変えたことにはなってるのだが・・・・・)
142ページで・・・・・
うっ、うううっ。
なので、
154ページの初夜では、
於福との初夜はかなり異質な初夜であった・・・・。
まあ・・・・なんというか・・・・。
父の仇みたいなもので、藤田氏乗っ取りの旦那さんですので
・・・・。
と、いうわけで、まだ三増峠の戦いの辺は
読んでおりませんのじゃ。
本当に申し訳ないです。
ただ。スカッとする勝ち戦を読みたいのでしたら、
この本はダメです。
よく負けます。とことん負けます。
そして、勢力が拡大します。
(なんでやねん・笑)
ではではっ。
追記・この本、『地図』がありません。
そのことだけが、重ね重ね残念であります。
おまけ・
多分中巻から
北条氏邦安房守
VS
真田昌幸安房守
も、見られます。