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 かんりにんのひとりごと

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応仁の乱の発端「御霊の森」

2023-10-10 | 観光・旅行・京都検定

 

この間、神社仏閣の話が多くなっています。

 

「京都歩き」を続けていて、いろいろと勉強になることが多く、帰ってから調べたこともあって、ノートに書く代わりに、ブログに書いています。

 

その方が、勉強したことが頭に残って、後から見返すこともできます。

 

そうそう、あれは土曜日のことでした。

 

同級生との同窓会があって、その前に相国寺へ行ったのでした。

 

相国寺を見終わって、ついでにどうしても行きたい場所がありました。

 

 

 

相国寺の北側にある、『上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)』です。

 

この場所は、室町時代に京都を舞台に起こった「応仁の乱」の戦乱が始まった場所と言われています。

 

 

 

「応仁の乱」については、私も詳しく知らないのですが、将軍の後継争いや有力大名の家督相続をめぐっての争いなど、複雑な要因が絡み合って、大変長く続いた内乱だったようです。

 

歴史の授業では、1467年・・・「人の世むなしく、応仁の乱」と覚えました。

 

最近では、応仁から文明にかけての戦争なので、「応仁・文明の乱」と言うそうです。

 

 

京都を舞台に、東軍と西軍に別れて、戦いが行われて、町中が火の海になったと言われています。

 

京都人の冗談で、「先の戦争」と言ったら、太平洋戦争ではなくて、「応仁の乱」のことだという話をよく聞きます。

 

京都人は、そういう話が好きですね。

 

 

 

 

「応仁の乱発端の地・御霊神社」という説明文がありました。

 

 

 

 

石碑の文字は、元総理の「細川護熙」さんらしいです。

 

 

この場所に、陣地をはっていた東軍の畠山政長のもとへ、西軍の畠山義就が襲撃したと書かれています。

 

以後、11年も続く戦乱が続いたというわけですね。

 

 

 

上御霊神社といえば、「早良親王」も書きたいところですが、長くなるので、またの機会にします。

 

桓武天皇の弟でした。。。

 

その「早良親王」のたたりを鎮めるために、作られたのだったと思います。

 

平安時代は、菅原道真もしかり、亡くなった人が、病気やわざわいを起こしていると考えられていたようです。

 

同窓会に遅れてはいけないので、大急ぎでお参りをして、帰りました。。。

 

【応仁の乱とは】簡単にわかりやすく解説!!反乱が起こった背景や結果・その後の影響など

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