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韓国生活あれこれ

2008 ヨーロッパ旅行記(4) S P A R T A !

2008-08-17 21:46:53 | ヨーロッパ旅行記


8月4日(月)

プラハには何度も来たことがあるため、丸一日のプラハ観光は実はこの日だけ。まあT氏とO氏は初めてなので、ちょっと申し訳ないような気もしますが、プラハリピーター率50%のパーティなんだから仕方がない(笑)。ということで、駆け足でプラハを歩き回ってきました。

まず訪れたのがペトシーン公園。ここはリピーターのT夫人も僕も初めて。ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」にも登場する公園ですが、プラハの街が一望できるということもあって、とりあえずケーブルカーで登ってみることにしました。

公園には天文台やエッフェル塔を模したタワー、それに飢えの壁といったところが見どころ。時間の関係もあって、天文台は通り過ぎるだけでしたが、何はともあれプラハの街は眺めておこう、ということで、「プラハのエッフェル塔」に上りました。

塔からの眺めは、とてもよかったです。プラハ城も見えるし、旧市街も見える。そして、はるか向こうにはテレビ塔も見えました。「百塔の街」とも呼ばれるプラハですが、こうして市内を一望してみると、本当に美しい街ですね。

塔の下には、「飢えの壁」というのがあります。これは、カレル4世が貧困に苦しむ市民を救済するために作ったものだそうです。ということは、これは「チェコ版ニューディール政策」といったところか?いや、こちらの方が先だから、ルーズベルトが「アメリカのカレル4世」か???

といったつまらない話はさておき、そこからさらにプラハ城の方へ歩いて行くと、左手にストラホフ修道院というのがあります。プラハ訪問3回目にして、この修道院が建物の内部に入る初めての歴史的建築物だったんですが(恥)、ここの「神学の間」「哲学の間」は圧巻でした。ただ通り過ぎるにはもったいないです。その他にも、いろんな動物や昆虫などの剥製・標本などもあり、小さい建物ながら見どころの多いところでした。

ストラホフ修道院を出て、さらに進んでいくと、いよいよプラハ城に到着です。残念ながら正門は工事中だったんですが、衛兵の交代式がちょうどおこなわれていたので、それを見てから中に入りました。プラハ城では是非、聖ヴィート大聖堂の中に入りたかったんですが、これまで同様、今回もやはり人があまりにも多かったので、時間の関係上、敢えなく断念。プラハは数日たっぷり時間をとって来るべきところですね…。

その後、いきなり大雨が降りだし、プラハ城の敷地内で雨宿り。雨が止んでからマラー・ストラナで昼食を食べて、T夫妻とO氏&僕のふた組に分かれることに。T夫妻は旧市街やユダヤ人地区に、僕たちはホレショヴィツ地区に向かいました。

プラハに行ったことのある人なら、「旧市街はともかく、なぜホレショヴィツ?」と思うかもしれませんね。あそこは駅以外に何もないところですから…。

ところが、今回のプラハ旅行で(僕にとって)最大の目的がここにあったんです。それは、「HCスパルタプラハ」というアイスホッケーチームのグッズを買うこと。リンクにショップが併設されているんですが、まぁいろんなグッズがあって、どれを買おうか迷ってしまいます。店員とああだこうだと話しながら選んだのは、

ダヴィド・ヴィーボルニーのサイン入りキャップ、トマーシュ・ドゥバのレプリカジャージ、スパルタTシャツ、スパルタロゴ入りパックなどなど。

あとは、日ごろお世話になっている方々へのお土産を少々。

その後、リンクをチェコっと、いや、チョコっと(汗)覗いてきました。

広い。大きい…。パトリックもヤルダも、こんなところでプレーしてたんですね。近々NHLにあるような新しいリンクができるみたいです(ヤルダ談)。

そんなヤルダと夜に会う約束になっていたので、とりあえずマラー・ストラナのビアパブで電話を待つことに。ところが、家の用事がなかなか片付かないみたいで、連絡がなかなか来ません。11時まで待ったんですが、結局連絡なし。こっちからも電話をしてみましたが、つながらず。

仕方がないので、4人でごはんを食べてこの日は終了、ということになりました。この日がプラハ最後の夜になるT夫妻は、ヤルダと会うのをとても楽しみにしていたので、ちょっと残念でしたね。


2008 ヨーロッパ旅行記(3) そのとき、彼は日本にいた

2008-08-15 01:03:13 | ヨーロッパ旅行記


プラハの高台にあるペトシーン公園。フランツ・カフカやミラン・クンデラの小説に登場することで知られるこの公園ですが、そこに日本ではほとんど知られていない人物の銅像があります。彼の名は、ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(Milan Rastislav Štefánik)。6月のブログで紹介した、「あの人」です(笑)。

日本では無名のシュテファーニクですが、彼の祖国スロバキア(当時はチェコスロバキア)では英雄として尊敬される「超有名人」。スロバキアの首都ブラティスラバの空港は「ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク空港」と彼の名が冠されていて、スロバキアの最高紙幣5,000SKには彼の肖像が描かれている、と説明すれば、それがどれほどのものか、想像してもらえるんじゃないでしょうか?

彼が祖国スロバキアはもちろん、別々の国になったチェコにも銅像が立てられているのは、彼がトマーシュ・マサリク(チェコスロバキア初代大統領)、エドヴァルド・ベネシュ(チェコスロバキア第2代大統領)とともに、オーストリア=ハンガリー帝国からチェコスロバキアの独立を勝ち取る主翼を担った「英雄」だからです。

ところで、チェコスロバキアが独立を宣言したのが1918年10月28日だったんですが、実はシュテファーニクはそのころ、シベリアにいたチェコスロバキア軍に合流する途中で、日本に滞在していたというのです。つまり、チェコスロバキアにとって歴史的な独立宣言がおこなわれたそのとき、そしてその新生チェコスロバキアの国防大臣に任命されたそのとき、彼は日本にいたというわけです(ここにシュテファーニクが日本に滞在していたときの、貴重な写真が何枚か紹介されています) 

 さてさて、ペトシーン公園には、銅像のほかに、彼の名を冠したシュテファーニク天文台というのがあるんです。「軍人、政治家として名を馳せた彼の名が、どうして天文台の名前になっているの?」と思うかもしれませんが、シュテファーニクのキャリアが天文学者としてスタートしたと聞けば、それも納得です。

彼はプラハのカレル大学で哲学と天文学の博士号を取得しましたが、このときの哲学の教授がマサリクだったといいますから、その後の彼のキャリアにマサリクが与えた影響は、とても大きなものだったんでしょうね。卒業後はパリに行き、パリ天文台などで働く一方、モンブランに登って月や火星の観測をおこない、その他にもタヒチやオセアニア、果ては南米まで足を伸ばしたといいますから、天文学者として、かなり精力的に活動していたようです(6月のブログで紹介したタヒチの写真も、たぶんこのときに撮ったんでしょうね)。

そんなシュテファーニクの最期は、突然訪れます。1919年、つまり日本を訪れたわずか1年後に、訪問先のイタリアを経ち、スロバキアのブラティスラバ空港に着陸する途中で、自軍に誤って撃ち落されてしまいました。機体に描かれたイタリアの三色旗をハンガリーのものと見間違えたことが原因、と公式には発表されましたが、真相はまだ闇の中のようです(スロバキアは、オーストリア=ハンガリー帝国が滅びるまで、なんと10世紀以上もハンガリーの支配下にあったんです)。

当時のスロバキア人の中には、シュテファーニク(スロバキア人)とベネシュ(チェコ人)が、チェコスロバキアにおけるスロバキアの位置づけを巡って激しく対立していたことから、この「事故」がチェコ側の陰謀によるものではないか、と疑う人もいたようです。

時は流れ、彼の死から74年後の1993年に、チェコとスロバキアは別々の道を歩むことになったわけですが、一つ屋根の下にふたつの民族が共存するというのは、口で言うほど簡単なものではなかったようです。

ペトシーン公園からは、美しいプラハの街並みが見渡せます。
平和な今のチェコやスロバキアを見て、シュテファーニクは何を思うのでしょうか。


2008 ヨーロッパ旅行記(2) 近くて遠かったフェルメール

2008-08-13 23:07:08 | ヨーロッパ旅行記


8月3日(日)

前日のプラハ到着が遅かったため、ピルスナー・ウルケルとタタラック(生の牛肉に塩コショウと数種類の香辛料を混ぜこねただけの、簡単なビールのおつまみ)で簡単に夕食を済ませたプラハ初日。実質的な観光初日の今日の目的地は、ドイツのドレスデン。プラハを差し置き、いきなりドレスデンに行くというのも、リピーターならではの贅沢なセレクト(?)。

プラハ・ホレショヴィッツ駅発の列車でドレスデンへ。わずか2時間で着いてしまうくらい、プラハとドレスデンは近い距離にあります。実際、プラハ在住の人たちは、よくドレスデンに遊びにいくとか。

ドレスデンに降りて感じたのは、「ここはやっぱりドイツだ」ということ。旧東独だったとはいえ、チェコに比べ、どこか洗練されています。街の風景とかじゃなく、全体的な空気っていうのかな、雰囲気が以前訪れたベルリンやポツダムなんかに似ている気がします。駅もすごくきれいだし、街中を走るトラムも新しい。道路はきちんと整備されていて、街中にあやしいニセ警官などいそうな雰囲気がない。ま、同じドイツだから、当たり前といえば、それまでだけど…。

そういう意味では、僕らのような旅行者にとっては、歩き回りやすい街なのかもしれません。

そうそう、今回の旅のメンバーを紹介していませんでした。今回は総勢4人。T夫妻とO氏、そして僕。T夫妻はすでに木曜日からチェコに来ていて、明後日の月曜日に帰国します。O氏は僕より1日遅れの今日夜遅くにプラハに到着。ということで、ドレスデンへの小旅行は、T夫妻と僕の3人で行ってきました。

ドレスデンに関しては、とりあえずメインの目的地ではなかったのと、結構ギリギリで決まったので、みんなほとんど予備知識なし。市中心部をぐるりと歩いて、美術館でラファエロとフェルメールを観て、ドイツビールを飲んで…。そんな感じで十分だろうと、余裕こいてたわけですが、それが大きな間違いでした。

ドレスデンは、思ったより大きくて、数時間の小旅行ではとても回りきれません。旧市街をざっと回るだけでも2時間はいるでしょうし、エルベ川の畔を歩いて、ドレスデン美術館を観て…となれば、ざっと丸一日は必要。いや、もっと必要かもしれません。

トラムで旧市街に入り、まずは腹ごしらえと、ビアレストランに入り、シュニッツェルと生ビールを1杯。ビールは後味にやや苦い香りの残る、おいしいビールでした。シュニッツェルはウィーンで食べたやつのほうがおいしかったかな。ま、店にもよるんでしょうが、あのウィーンのお店はおススメです。

食後は再建後間もないフラウエン教会の中を見学。途中までエレベータで上がり、そこから階段で最上部まで。そこからのドレスデンの眺めはなかなかのものでした。それにしても、よくもまあ、こんな素晴らしい建物を、がれきをひとつひとつ探しながら再現したものだと、ただただ溜息がでるばかり。

その後、時間が押してきたので、何はともあれドレスデン美術館のアルテ・マイスターに入ることに。美術のイロハもわかりませんが、とりあえずラファエロとフェルメールは観ろと、来る前から会社の人に言われていたので、とにかくそれらを捜し歩くことに。

ラファエロは1階ですぐに見つけることができましたが、フェルメールが見つからない!ガイドブックにはどこに誰の絵があるのか、詳しく載っていたのに、数時間のドレスデン観光のために買うのもどうかと思って、手ぶらできたんですが、ここでそのことを後悔することに。

結局、フェルメールは探すことができませんでしたが、他の作家の絵画もどれも迫力があって観る者を圧倒しました。やっぱり、いいものは素人にもわかるんですね♪

それにしても、この美術館は広すぎる!

本当はもう少し観て回りたかったんですが、時間も押してきたので、後ろ髪を引かれる思いで美術館を後にし、ドレスデン中央駅へ。それからプラハに戻り、午後9時過ぎにO氏を空港でピックアップ。

わずか1日半ですが、4人勢ぞろいの旅が始まります!


2008 ヨーロッパ旅行記(1) フラウエン教会、そして広島…

2008-08-12 21:45:18 | ヨーロッパ旅行記


僕は昔から、ジグソーパズルが嫌いでした。四つ角とそれに沿った淵をとりあえず埋めたあとは、ああでもない、こうでもない、と悩みながら、「あぁ、もうイヤだ!」とグチャグチャにしてしまう根性なしでした。

そんな僕の今回最初の目的地は、「エルベのフィレンツェ」と讃えられながら、第二次世界大戦末期に英米軍の激しい空襲を受け、廃墟と化してしまったところ。その後、残った瓦礫を組み合わせながら街並みを再現してきたことから、その再建はしばしばジグソーパズルに喩えられる街。そう、ドレスデンです。

廃墟のがれきと、あたらしい材料を組み合わせて作られた街並みは、どことなく重苦しい雰囲気を漂わせながらも、歴史と威厳を感じさせる堂々としたもの。ドイツ人の、街の再建にかける意気込みが、街のあちこちから感じられます。

そして、その象徴が街の中心にあるフラウエン教会。ジグソーパズルに喩えられるドレスデンにおいても、フラウエン教会は「世界最大のジグソーパズル」とも言われているほど、根気強く瓦礫を組み合わせながら再建をおこなってきたとか。

フラウエン教会は、再建の進むドレスデンにあっても、長らく廃墟のままで放置されてきたといいます。その理由は、戦争の悲惨さを後世に伝えるためだとか。それでも、ドイツをはじめ、世界中から寄付や援助によって約60年ぶりに再建された新生フラウエン教会。てっぺんの十字架が、当時空爆に参加したイギリス兵の息子によって作られるなど、「和合」としての意味合いも加わりました。


そんなエピソードを聞いて頭に浮かぶのが、広島の原爆ドーム。原爆ドームもまた、戦争の悲惨さを後世に伝えるために保存されていますが、近年は老朽化も激しく、補修にも多大な予算がかかっているといいます。

廃墟にあった瓦礫と、新しい材料が混ざり合い組み合わさり、黒と白のまだら模様でありながらも、人々に強く訴えかけるフラウエン教会を見ながら、原爆ドームが日本やアメリカ、さらには中国や韓国などと手を携えて再建されたとすれば、いったいどんなふうになるんだろうか…。

そんな原爆ドームも、ちょっと見てみたいような…。
そのときは、名前も「広島県産業奨励館」に戻るのかな?

とにもかくにも、次回はドレスデンへのエクスカーションを詳しくご紹介


2008 ヨーロッパ旅行記(0)

2008-08-11 16:45:32 | ヨーロッパ旅行記


ヨーロッパ旅行から戻ってきました。

前回はチェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリアの4カ国を回りましたが、今回はチェコ、スロバキア、ポーランド、ドイツに行ってきました。行き先がやや北にシフトした感じですかね…。

基本的に毎日ビールを飲み歩く旅だったわけですが、ここで改めて出た結論は、「やっぱりピルスナー・ウルケルはウマい!」、そして「ピルスナー・ウルケルを飲むなら、やっぱりズラテーホ・ティグラ!」ということ。

今回はプラハから日帰りでドイツに行ったり、国境を歩いて行き来したり、はたまた、あわや大惨事に遭遇か、という危機一髪の場面があったり、ホントいろんなことがありました。そうそう、「チェコのクレオペトラ」や「チェコの千堂あきほ」との乾杯もよかったな~(笑)。

というわけで、これからしばらく「2008ヨーロッパ旅行記」が続きます♪