2010年1月2日:午後1時過ぎ
一旦、
イミロア・アストロノミー・センターからドルフィン・ベイ・ホテルに戻り、
ロングドライブに備え、40分ほど仮眠。
(じつは、風邪をひいていたことに気づきました。)
午後2時8分
懐中電灯とミネラルウォーター入りのペットボトルをリュックに入れて、
まずは、クムカヒ岬へ向けてホテルを出発。
<Wainaku St.> からワイルク川を渡り、
<Kino'ole St.>沿いのGSで給油。
久しぶりのセルフ給油だったので多少手こずったものの、
ガソリンを満タンにしたところで、再び<Kino'ole St.> を直進。
<Puainako St.>との交差点で左折し、
<Kanoelehua Ave.(11号線)>で右折。
一路ケアアウ<Kea'au>を目指して南下。
ケアアウで130号線へ。
ここまでは、スムーズだったのですが、やはり風邪のせいか、
若干判断力が弱まっていたようです。
「あれ、なんで遅くなったんだ?」
前を走る車の速度が、みるみるうちに落ちていきます。
「どうしたの?」と助手席で妻。
「道を間違えたみたい。」
「どういうこと?」
じつは、9マイルマーカーを過ぎると、
130号線との分岐点があるのですが、
前を走っていた車に釣られてパホアへと進んでしまったのです。
「でも、大丈夫。地図は頭の中に入ってるから。」
「ほんとに?」
不安そうな妻を横目にハンドルを握り続けるぼく。
パホアという町を抜ける<Pahoa Village Rd.>は、
そのまま進めば、再び130号線と交わるのです。
そのことを思い出し、直進することに。
「見てごらん。雰囲気がほかとは違う気がするでしょ?」
妻の気をそらすべくそう言うと、
「ほんとだ。」
車窓を流れるパホアの一風変った町並みを見て、
「なんかいいね。」と、妻も楽し気に。
結果オーライ・・・か?
パホアを走り抜け、130号線との交差点で、132号線へ直進。
2006年以来、久しぶりの道を走ります。
この132号線の途中にあるのが、ラバ・ツリー・ステート・モニュメント。
懐かしいので、ほんのちょっとだけ立ち寄ってみることにしました。
すると・・・?!
午後2時50分:ラバ・ツリー・ステート・モニュメント
<Lava Tree State Monument>
すっかり、公園として整備されていました。
まるで、熱帯植物園の趣。
おどろきです。
あまりの様変わりに4年という月日の流れを感じてしまいました。
しかし、感慨に耽ける間もなく、再び132号線を東へ向かってひた走ることに。
ここからは、初めてドライブする道。
どんな景色と出会えるのか、楽しみです。
カポホで、レッドロードと交わります。
ここからは、
未舗装の砂利道を、さらに東へ約3.2キロほど進みます。
《1960年1月13日、カポホのすぐ北にあるサトウキビ畑に亀裂が生じ、
炎のカーテンが、800メートルにわたって立ち昇りました。
あふれ出たパホエホエ溶岩は、すぐに海へと向かって流れていきましたが、
アア溶岩は、2週間後にカポホの町に流れ込み、
温泉リゾートや多くの住宅、建物を消失させてしまいました。
さらに、溶岩流はクムカヒ岬へと向かいますが、
不思議なことに、
まるでそこだけ避けるように灯台の手前で二手に分かれました。
おかげで、灯台だけは難を免れることができました。
その折に囁かれたのが、こんな噂。
「災害の前夜、灯台の係員が玄関先に現れた老女に食事をふるまったそうだ。
その老女というのが、どうやらペレの化身だったらしい。」》
そんな話を妻にしながら、
黒々と広がる溶岩大地の間を走っていると、灯台が見えてきました。
午後3時30分:ハワイ島最東端のクムカヒ岬に到着。
車から降りて周囲を見渡すと、ものの見事に溶岩に囲まれていました。
本当に灯台だけ避けて流れたかのようです。
ところで、ぼくたちがクムカヒ岬を目指した目的は、ふたつ。
まず、ハワイ島の最東端に地に立つこと。
これで、
最西端のワワロリ・ビーチ、最南端のカ・ラエと合わせて、
島の東西南北端のうち3箇所に立つことができました。
あとは最北端のウポル・ポイントを残すのみ。
もちろん、ウポルへも後日行く予定です。
(だから、どうってことは何もないんですけどね。)
もうひとつの目的は、ここで深呼吸をするため。
聞くところによると、
ハワイ島のこのあたりの空気は混ざり物がなく、
世界でも最も空気が新鮮な場所のひとつなんだそうです。
そこで!
思いっきり深呼吸!!
う~ん!
なんだか、他所とは違う気がします。
妻も一緒に、深呼吸!!
新鮮な空気をたくさん吸い込み、
気分も肺も、リフレッシュしたところで、
今度は137号線、通称レッド・ロードを南下し、カラパナヘ向かいました。