ふぁいばぁースコープ

不妊治療日記 いつか授かるまでの記録
そして息抜きに、病院こぼれ話(*'-'*)

経済的不安と社会的な理解

2007年11月22日 | 治療日記

医者から出た言葉でショックを受けつつも、働かなくてはとの思いが先だった。
このあたりで、私はすでに若干のトラウマになっていた。

本当であれば、一番理解のあるべき医療に携わる人間に一番理解されない。
最初のクリニックの出来事も大きかった。
デリケートな問題を忘れられる、いわば無関係、なのだと思い知らされた。
じゃあこれが体の不調を訴える いわゆる「普通の病気」なら
忘れられることもなかったのか。
体調が悪くなければ休めないのか、となる。

病院なんてそんなもの…いや、体調が悪くても休めないのが病院だった。

働き始めてすぐのことだった。
私の通勤用の車が壊れてしまった。
もう10年以上で、買い替えを余儀なくされた。
しかし、これから家を建てようというのに…
半年ちょっと働いたお給料の 80% が軽自動車に消えてしまった。
家と治療のために…と思ったお勤めが、車のためになってしまった。


実際、勤め始めるとスタッフには理解があるように思えた。
「休んでいいわよ」と言ってくれるのだ。

しかし、少しずつわかってきた。
「休んでいい」と言うのは、「わかってるわよ」という意味なのだ。
「仕事を休んでいい」か?というとそうでもないのだ(笑

なので、私が「今月は休まなくていいです」と言うと、「あらそう~?」となる。

それでなくても、治療先の病院だって休みはある。
日曜日はもちろんやっていない。
排卵日が日曜だったら…土曜か月曜にずらすしかない。

そうやって、なんとか月曜に合わせつつ、「人工授精」をやっていくことにした。
先生は、私の年齢を考慮して「体外受精」を早くしたかったらしいが…
私としても、なるべく自然に近いほうが…とも思っていた。

その自然、に関してちょっとだけ。

人工授精も体外受精も、もっと人工的なイメージがあった。
もちろん、教科書的にはわかってたが…

でも実際は、自分の卵子であり、旦那様の精子であり
あくまでも「助けてあげる」という印象だった。
これはその病院や先生方の人柄も左右しているかもしれない。

そして、代理出産を否定するものでもありません。

「何が正しいか」は私たちの判断するところではないと思ってます。
あえて「正しい」のか「間違い」なのかを分けるとしたら、
「自分の子供に手をかけるような人間が授かること」ではないでしょうか…

明日は、その医院での「言葉の暴力」を書きたいと思います。
私って…温和だったんだな…と気がついた出来事です(謎)