ここのこの連絡網

そっ..と、言葉を置いていきます。

勇敢な魂たちへ

2020-09-30 12:04:14 | 連絡網《ヒ》

 

人間は、証明や理由を先に欲しがる生き物だよ。

前進するために、確実に成功するという「証明」や、心に受けた傷を許すための「理由」を先に求める生き物だよ。

人間の思考は、そうでなくては不合理を受け入れられないから。


しかし、あちらの仕組みは その求めの真逆の展開で進んでいく。

まず自らで『決意をする』


苦しみや悲しみの記憶を まず先に自らで手放し『許す』ことを求める。


『許す』それも『解放』


『許す』

それは言葉で表現しきれるほど、人間にとっては簡単なことではないんだよ。

その状況の当事者となり『知る者』にしか、真の共感は難しいだろう。


自らが先に執着を『手放す』ことで、そこに隠された『真実』が開かれる。


人間はわがままだ。


自分を救えるのは自分しかいないのに。


自らでその場から一歩を踏み出すことでしか前には進めないのに、確実な「証明」や「理由」を先に求める。


恐れに触れず、

安心して進んでいきたいからだね。

でも、その安心に一体なんの価値があるのかな。

あちらの仕組みは、価値の無いものには手厳しいんだ。


自ら未知なる方向へ勇気を持って進もうとしない限り、ただただ時を横滑りし、有限の『生』を過ごすだけよ。



苦しみや悲しみ、恨みや憎しみ、怒りや心に受けた痛みの記憶は、まず先に自らを「被害者」の立場から解放しない限り、その影響によって表面化している問題や、身体的症状が真に癒えることはない。


魂に刻まれる深い傷に対して、意識の世界側から対処しようと課題に向き合うときも、同じ「重さ」の記憶を『心』で感じ、自らで受け入れていく体験を必要とする。


『受け入れる』と『許す』は同じだよ。

あちらの仕組みで翻訳すると同義語なんだ。


真の『解放』は、苦痛の記憶に裸で触れる覚悟が持てた時に訪れる。


そのためにあなたたちは、

繰り返しの『生』を乗り越えてきた

勇敢な魂たちなのだから。


自立の道は支えの手がある

2020-09-28 11:43:41 | 連絡網《ヒ》

(『自立』は「孤立」の道ではありません。
『自立』の道は、自分の役割に正直に生きることで、その道を歩もうとする限り、その道は決して「ひとり」ではありません。

『自立』の道とは、自分の役割、自分の道を正直に生きるという覚悟を抱き歩む道のこと。

独りよがりは、「孤立」をしているから。
行き過ぎた甘えも、「孤立」をしているから。
まわりと自分を比べることも、「孤立」をしているから。

『自立』は自分を信じて歩む道であり、そこには必ず『共感』が生まれ、自然と周囲からの『応援』があるものです。)

ただ静かに耳を傾ける

2020-09-23 21:10:23 | 連絡網《ヒ》
 
あなたが「悪」と認識しているものがあるとする。
救いようのないほどの「最悪」があったとしよう。

あなたが あなたの視点でそれを「悪」として見ている限り、あなたの世界に それはそのままであり続ける。
あなたが その視点にしがみつく限り、決して消えることはないの。

「悪」となるものは、なぜそうなってしまったのか。
すべての「悪」には、一点のはじまりとなる『純粋』がある。
その 純粋の『心』を 聞く
それが、その「悪」を解放する方法だよ。

「悪」となるものは、『純粋な心』を まわりの誰にも 聞いてもらえなかったんだ。

誰も、その『純粋な心』に気付くことがなかったの。
ぽつん・・、と残された さびしい『心』が「悪」のはじまりとなっているんだよ。

だから、あなたの視界に「悪」と思うものが見えているのなら、その「悪」の 『純粋な心』を聞いてあげてほしい。

はじまりの『純粋』に、静かに耳を傾けてあげてほしい。

その『心』を聞いてもらえたら、その瞬間に その「悪」は、「悪」である理由を失い

『ただそこに在る闇』となる。

もし、あなたの視界に「悪」が見えていて、
あなたの心が その悪を前にしても不動の姿でいられるのなら、
冷静に そこに在るものだけを見つめることができるのなら、
その役を あなたが担うこともできるということでもある。

誰かがやらなくてはならないことだから。


知ってるかい?
闇の『純粋』から、はじまりの『光』は現れたんだよ。

『ただそこに在る闇』と『純粋な光』が向き合ったところから、すべてははじまっているんだ。


形あるものの輪郭を越えて

2020-09-21 18:08:39 | 連絡網《ヒ》
 

「視覚」がすべての感覚につながるというのは、地球が「形」を重視してつくられた場だから。

そこに生きる人間は「形」を重要とする。

「見る」ということは、在るものをただ見ているだけではない。

形あるものの輪郭だけを、ただ見ているわけではない。

人間に備わっている感覚のすべてに通じるものを、見ている。


そのことを人間は忘れている。

視覚は、人間のすべての感覚に通じる。

それは、目を閉じていても同じ。

「見る」は「感じる」と同じ。

視覚で、すべての感覚を体験している。


形を重視してつくられた場だからこそ、形あるものを「見る」ことで得られる情報に重きが置かれるが、「形」あるものの「輪郭」だけが「現実」という、認識の「枠」を そろそろ越えないとね。


手っ取り早いのが、目を閉じてぼーっとしてみること。

枠を越えるには「意識の世界」で「見る」感覚に慣れることだよ。


柱は、しなやかな糸

2020-09-17 18:50:21 | 連絡網《ヒ》
 
これからの仕組みは「嘘」がつけなくなるんだよ。
嘘は、つきたければつけるけど、必ずばれてしまうんだ。
なぜかというと、すべての「膜」が剥がされるからだよ。
隠そうとしても 表に出てきてしまうの。

だから、偽りなく『自然体』で生きている人の姿が魅力になって、それが共感となり、そんな人の姿が 新しい現実を創造していくよ。

裏も表もなく 自分をさらけ出せる人は、内側に揺るがぬ軸を持っている人ということ。
その軸は、太くて 硬い 不動の軸じゃなく、細くて しなやかで 柔軟な『糸』のような軸のことだよ。
その軸は とても細くて繊細だから、一見、頼りなく感じるかもしれないけど、太くて硬い不動の軸の時代を「越えた」軸だから、しなやかだけど 決して断ち切られることのない、それは それは とても強靭な軸なんだ。
『感じる』ことを主体に生きていないと、うっかり 見逃してしまうかもしれないよ。

「越えた」ということは、完全に「折れた」ということだよ。
折れた瞬間に、どれだけの痛みや葛藤があるか 想像できるかい?
人生において最大級の試練となるであろう『ムジュンの前進』の舞台では、自分というものを構成している、これまでのすべての価値観が、根底から打ち砕かれるような強烈な衝撃があるもの。

大切なことは、その衝撃から『心』を守らないことね。
『心』は、「本質のあなた」と「あなた」を繋ぐ架け橋となるものだから。
その『心』で、すべての感情を味わい尽くし「感じる」ことを おそれてはいけないよ。

軸が細い糸なのは、執着のない「証」だよ。
今後、そんな軸を持つ人の自然体で生きる姿が、みなの『柱』となっていく。

その柱の仕組みも変わるんだ。
一本の柱を中心に、アメーバのように「ひとかたまり」にはなれないよ。
「自分以外の「何か」を信じることが「すべて」」の信仰は終わりだよ。

アメーバのような集合体は『闇』の性質の特徴なんだ。
『光』は、自立している。
その自立した個々の光の 点..と 点..が 線で繋がり、網の目のように広がるのが光の在り方。
網目状だから、風通しもよいし、見通しもよいし、その場を膜のように覆い隠してしまうこともない。
『光』は、それぞれの場で自立をしているもの。
その光に共感する者同士が繋がりを持ち、各々が光の目的に向かい前進をしていく。

光の道は、信じるものは『自分』だよ。
でも なるべくなら『信じる』より『信頼』を目指してほしいな。
自分を『信頼』するには、『本質』の自分に歩み寄っていかないとね。

『本質』の自分にかえるために、自分を信頼して行動した後の「結果」という「証明」が人間には必要なんだ。
自分を信頼して行動した後の結果が、信頼への確かな『実感』となり、その積み重ねでしか自分への『信頼』は得られないんだよ。

なぜ人間が「形在るもの」なのか、その理由をよく考えてみて。

自分を信頼して進む道には、常に「おそれ」が待ち構えている。
その「おそれ」を受け入れるには、その時点ではなんの「証明もない」 自分の内側に密かに存在するだけの「輪郭のない」「曖昧なもの」を、信じて頼り進むしかない。

その決定には、とてつもない「疑心」や「おそれ」を受け入れる「覚悟」が必要なの。
そもそも 自分を信頼して進む瞬間に、疑心 や おそれ を抱くのは、「あなた」が『本質のあなた』に背を向けているからなのよ。
「疑心」や「おそれ」は、あなたが、あなた自身の『本質』に対して感じているもの。
お互いが 遠く離れていれば いるだけ、感じる「おそれ」は深いものとなる。
「覚悟」を抱くとは、あなたが本質のあなたに向き合う『決意』を抱くということ。

「自分への信頼」は、『本質』の自分への 歩み寄りのことなのよ。

自分への『信頼』を得るためには、まず、根拠のない自分自身を『信頼』し行動するしかないという、
ここでも 『ムジュンの前進』があてはまるね。
現実の価値観の中で教育を受けてきたあなたたちには、とても辛い葛藤があることは 理解している。
その前進は、今までのあなたの価値観に反する道だから。

でもね、あなたのその葛藤は、あなたの魂を『純化』させ、より一層『輝かせる』の。

『形のないもの』が 最も大切なものであることは、知識としては みな 知っているね。
その『形のないもの』を、物質優位のこの世界で、自らで「証明」し「実感」をするために、人間として「形を持ち」生きているのがあなたたち。
与えられた「限りのある自由」を生きるために存在しているわけじゃないのよ。

ひとり ひとり 個の色彩を保ち、その違いを認め合い、特性を生かしながら、背伸びすることなく、今の自分を見つめ、それぞれが縁のある場で自立し、ただただ「生きる」ことの喜びを、ひとつ ひとつ 発見しながら、それぞれの魂が持つ 人生の目的を果たしていく。

これからの『柱』は、今までのように高みを目指すことはできないよ。
目指すのは「頂上」ではないからね。
みなと同じ位置に腰を下ろすんだよ。
今『ここ』に、肉体と本質のあなたが揃って『在る』ことが大切なこと。
それと(自分の弱さ)を自覚していることも重要なことだよ。

これからの『柱』は、目に見えない「何か」ではなく、『無』に寄り添う最小単位の『在る』とされる魂たち。
始まりを知る『粒子』を起源とする魂たちの舞台だよ。
やっとここまで来たね。
これらのメッセージは、これからの『柱』に向けて伝える。