ここのこの連絡網

そっ..と、言葉を置いていきます。

はじまりのとき

2021-09-12 10:06:06 | 連絡網《ミ》
 
 
 
ほんとうに新しいものは、人間の意識の中にある

それを表現した瞬間に、それは過去のものになる

形を持った瞬間に過去になる

だから、意識が先にあり

その意識を元にして、形は姿を現す

水もそう

源泉を探そうとしても、形を見るうちは
それを見た瞬間に、川の流れの一部となっている

見えないところにあるもの
感じることでしか触れられないもの

それがほんとうの始まりなんだ

言葉の在処

2021-05-25 22:31:45 | 連絡網《ミ》
 

言葉が発せられる以前に自分の中に在る『意識』というものを自覚したことはありますか。

その意識は、無意識である場合がほとんどですが、言葉が言霊といわれ、言葉に力があるとされるのは、言葉として発せられる以前の『意識』にこの世界の真実があり最も力があるからです。

あなたが言葉を発するとき、その言葉の元となっているのはどの様な意識の層から繋がる『意識』でしょうか。

その『意識』によって発せられた言葉が、あなたの現実への注文となります。言葉は、現実に姿を現した実体のある「行動」となります。

実体のない意識の世界からいえば、言葉は既に「結果」です。重要なのは、言葉になる以前の意識の在処です。


その意識の在処を重視してください。


その意識に触れていくことは、この世界が『すべてはひとつ』であることを実感していくためにもとても重要なことです。

あなたの「肉体」は、実体のない(空間や)(意識の)『すべて』を現象の世界で形にするための通過点のようなものです。

『すべてとひとつ』という自覚を妨害しているのは、肉体に重きをおき、肉体とそれに取り囲まれた現実に意識が囚われているからです。現実は、結果です。その結果にばかり囚われていては現実は平行線のままです。

いいですか、言葉になる以前の意識の出処に注意してください。

現実の形成は、その意識から始まっています。



QSTkagaで行われるセッションは、言葉になる以前の言葉の出処となる『意識』に本人の意識を近付けて直接触れる体験となるので、そこで体験したことは、なるべく言葉に出しておくことがとても重要なことです。

一度、意識を繋げて『型』を作るようなものです。

これは自分の無意識を意識することになり、自分の呼吸に意識を向ける瞑想にも似ています。自分という存在を隅々まで自覚することが、自分とすべては一体であることを実感するためには、まずとても重要なことです。

あなたにとって最も大切なことは、とても『単純』で、あまりに単純過ぎるために軽視してしまうようなところに在るものです。

その単純な一つひとつに意識を向けていく挑戦をしてみてください。



それは、知識や情報を得る学問の世界にはありません。学問は、意識の「探求」であり、意識の「収縮」です。ギュー・・・ッと意識を一点に向けて収縮し、集中させていくことが学問です。

知りたいから探求し、分析し、分かろうとします。
その性質から、学問は既に枠を持っています。専門性という枠です。知りたい!と意識した瞬間に、意識に枠を持たせます。強く意識すればするほど枠を設けて視点は限定的になり、その枠内を追求していきます。


しかし、知識を得る過程もまったく無駄ということではなく、それぞれは必要な過程を、自らの望みに従い進んでいます。

知りたいことがあるから、物事を別けて分かろうとするのが人間です。


大切なことは、学問で知り得たことをそのまま自分の「答え」とせずに、『材料』として受け取り、
『あなた』という持って生まれたオリジナルの素材と共に、あなたの現実の世界で練り合わせ、学問を越えた先にある『あなたの中』から生まれる真の答えを見つけることです。


それは、夜空をただ ボーー・・ッと見上げるような感覚でいる瞬間にこそ『ワカル』ものです。

たとえば、
宇宙を知ろうと宇宙を探求し、どんなに遠くまで観察できたとしても、宇宙の活動を科学的に細かく分析できたとしても、それを学問としているうちは人間側のフィルター越しにしか見ていない。
片側からしか見ていないということ。

そこには、もう片方の未知なる空間側からの視点があります。その視点を無視したままでは、真の『ワカル』には至れません。


形のない世界をほんとうに知りたければ、前のめりになっていては、ほんとうの姿は見えてこない。
こだわりや執着を手放した瞬間に、今まで見ようとしても見えなかった世界が向こうから近付いてくるよ。


それは、とても『単純』なことである場合が多い。
今まで気付かなかったことに、ふと気付くことだったり、新たな視点が芽生えたり。
人間は、自分の見ている世界をすべて見ているようで、いくつものフィルター越しに見ているものを「世界」としている。

そろそろ気付かないとね。

おかあさん

2021-01-09 12:26:35 | 連絡網《ミ》

これは人間の「仕組み」に関係している象徴的な物語。
すべての(あなた)に当てはまる。

(あなた)の心は
誰も居ない、何もない世界にひとりで立ち尽くし、途方もない絶望にうちひしがれている。
もう何も信じない、何も感じたくないと、
すべてを諦めて遠ざけている。

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えーん、えーん、、

薄暗い世界に

男の子が、両手を目に添えて、うつむいて泣いていました。

この子は、意識の世界にいる子供の○○さんです。


私「どうしたの?なんで泣いているの?」

うつむいて、ずっと泣き続けています。

私「いつまでも泣いてるだけじゃ、わからないよ?」

男の子「おかあさんがね、おかあさんが、、いないの、、」

私「どうしていないの?」

男の子「気付いたら、いなかったの、、」

私「どこへ行っちゃったのかな?」

男の子「わからない、、」

私「お姉さんが一緒に探してあげようか。」

男の子「ぐすん、、ぇ、いいの?」

私「いいよ。お姉さん、君のことが心配だから一緒に探してあげたいな。」

男の子「ありがとう」

私「じゃあ、この場所から離れてみようか。ここには何もないし、誰もいないと思うよ。誰かが居そうな場所へ一緒に行こっか。お姉さんにつかまってね。行くよー!せーの!」

ジャンプ!

穏やかな明るさの、草原のような場所へ行く。

男の子は、その世界を見て“わぁぁ~“っと、目を見開いてキラキラさせている。


私「ここには、土や、草木や花、虫や動物達がいるね。風がいろんな香りを届けてくれる。太陽の光は、こんなにも世界を生き生きと輝かせて見せてくれるんだね。」

男の子「向こうの方には川があるね。(パタパタ走っていく)魚もいるよ~。わぁ~。」

男の子は、とても嬉しそうで生き生きとしている。
 
私「でも、ここには誰もいないみたいだね。」

男の子「でも、ここに誰かがいたら、この世界は汚されてしまうような気がする、、このままでいる方が、この世界にとっては良いんじゃないのかな、、」

私「でも、それだと、君はひとりぼっちだよ。それでもいいの?」

男の子は、ぐっ、と言葉を飲み込みました。

私「言葉を交わす相手もいないし、君の気持ちを受け止めてくれる人もいないってことだよ?」

男の子「でも、ぼくは、この綺麗な世界の方を大切にしたいよ。」


この意識の世界を管理する“監視者“が言いました。


“では、この世界が失われたとき、そこに何が残るかな?“

“ここは、自然のサイクルに寄り添った循環が存在するだけで、その循環には意思はないんだよ。“

“だから、この世界が失われたら、そこには何も残らないんだ。“

“君は、その、何も残っていない世界にいた。“

“その世界にいたとき、君は、何を思った?“


男の子「さびしかったよ、誰もいなくて。僕の声に応えてくれる人は、誰もいない。何をやっても、どこへ行っても、何もなかった。

そんなとき、僕がしていたことは、おかあさんを求めて泣くことだけだったんだ。

おかあさん、どこへ行っちゃったの、、、」


私「おかあさんって、どんな感じがする?」

男の子「あったかくて、やさしくて、おおきくて、安心できて、さびしさがどこかへ行っちゃうの。」

私「おかあさんと、さっきの綺麗な世界、どっちが好き?」

男の子「おかあさんっ!おかあさんがいれば、ぼくは何もいらないよ!!」

私「じゃあ、おかあさんのところへ、行こっか。」

男の子「うん!」


おおきくて、あたたかい光の中へ

おおきな光に包まれながら


男の子「おかあさん、おかあさん、どこに行ってたの?! ぼくを、ひとりぼっちにして、今までどこに行ってたの?!」


“どこにも行っていませんよ。いつも、(あなた)のそばで見守っていたのよ。いつも、(あなた)と共に在りましたよ。“


男の子「うそだ!ひとりぼっちで、いままでずっとさびしかったんだよ!」


“(あなた)の心が、わたしを遠ざけました。“

“すべてを切り離し、孤立していきました。“

“わたしは、何も変わらず、ここにいました。ここで、(あなた)のことをいつも見守ってきました。“

“あなたの世界は、あなたの心が作り上げたもの。“

“そのことを知るために、必要なことでした。“


ーーーーーーーーー


“思いが伝わらないのは、なぜだろう

それは、

相手への感謝と、それを受け止める信頼

真の感謝は相手に対する信頼があって生まれるもの

感謝があっても、受け止める信頼がなくては成立しない

信頼のない関係には意思の疎通はない

信頼がなければ、
前には進まない、
形にはならない、

これらは、あなたにとってとても大切なこと“


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2019/4/23



日々、些細なことに正直に

2020-11-21 19:21:29 | 連絡網《フ》
 
 
スマホを見ながらフラフラと道路に歩み出た人が

背後からゆっくりと進んできたタクシーに気付き

タクシーを避けた

通り過ぎていくタクシーに向かってその人は

頭を『ペコリ』と下げる。


そのペコリと下げた頭から、キラキラと輝きが舞った。

そのペコリで
自らの過ちを放置せず、その場で解消させているんだ。


その『ペコリ』を行うことは、
自分の過ちを認めるという意味

誰が見ていなくても
自分に正直に生きている人は

日々、闇の自分を認め、受け入れている。

少しずつ、少しずつ、

でも着実に

闇の自分を癒し

光の自分を取り戻していく。

自らの過ちを、闇を、自らで精算している。

負を溜めない方法は、
自らの過ちを認め、受け入れていくこと。

些細なことにこそ、日々、自分に正直であることだよ。


視線の先にいる2つの自分

2020-11-21 10:02:31 | 連絡網《フ》
 
 
あなたの人生の旅半ばで出会う「きらいな人」は、あなたの中にいる暗闇の中の自分を、相手の内に見ているから。

繰り返し、繰り返し、
暗闇にいる自分を見つめ、見つめきり、
受け入れ、認めていくと、

次の舞台で出会う「きらいな人」は、あなたの中にいる光輝く自分を相手の内に見るようになる。

光輝く自分を相手の中に見ているのに、「きらいな人」になるのは なぜだか分かるかい?

それは、自分の『真の姿』となる『可能性』の自分を、自ら否定している自分があなたの内にいるからだよ。

現実を舞台にして
あなたの視線の先には常に2つの自分が姿を現す。
あなたはそれを煩わしいと思うだろうか。

人間は、自分の中にある闇と光を相手の内に見る。
先に視線が向かうのは、闇の自分だよ。
人間は光を求めながらも、真に光を受け入れるには、まず闇を受け入れる必要がある。

真の光は、真の闇の中に在るから。

なぜ闇を受け入れる必要があるのか、その真実に気付いてる?

あなたたちは光の性質を、人間という「肉体の器」に宿した存在だからだよ。
人間の肉体は、闇の性質に共感しやすいの。
だから、「人間」で生きることはとても重たく感じるんだ。

物質だけに意識を囚われているうちは、あなたの世界のすべては重たく感じる。


2つの自分を認め、それを受け入れることができたら
新たな『可能性』が開かれるよ。

2つの自分は『越える』こともできるんだ。
『可能性』とは、『2つの自分を『越える』こと』と同じだよ。

『越える』とは、『受け入れる』こと『認める』こと。

どちらかじゃなく、どちらも大切な【 あなた 】だよ。

それをあなたたちは『統合』と表現している。

でもそこがゴールじゃない
その『向こう側』へ向かおうよ。