ここのこの連絡網

そっ..と、言葉を置いていきます。

いたるところに溢れている

2020-08-31 17:12:34 | 連絡網《ヒ》
 
 
気が付くチャンスがあっても、生かせるかどうかは本人次第だよ。
(厳しいようだけどね。)

誰にでも、身の回りにチャンスは溢れているんだ。
そのどれもが、
あなたに注がれた『無条件の恵み』なんだよ。

誰の『言葉』か
何が『キッカケ』か
そんなことは関係ない。

大切なのは、自分にとって『重要なメッセージ』であるかどうかだけ。

あなたの周囲の至るところに『恵み』は溢れているよ。

常に、前向きに、自分自身に取り組もうとする謙虚な姿勢が
『無条件の恵み』を生かすコツなんだ。

空間はここに在ってここに居ない

2020-08-29 22:05:58 | 連絡網《ヒ》
 
人間の『意識』が純化されていくと、肉体の「組織」の振動数が早くなるんだ。
人間を構成している物質としての 最小単位の「組織」の部分は 存在感を弱め、人間を構成している「組織」以外の ≪空間≫ の部分が存在感を増していくんだよ。
だから 振動数が高まると「物質」からの影響を受けにくくなる。

つまり、
現実の 「ここ」に『在って』、「ここ」に『居ない』状態。

体感では間延びしたように「長く」感じる『時』を過ごしても、その『時』は同時に「圧縮」されていることになるから、実際には「一瞬」の『時』となる。

≪空間≫と「自分」を同期させると

物質世界と同じ『時』に 平行して存在しているわけではなくなるので、物質から受ける肉体への影響が軽くなるんだよ。

肉体の老化現象も、穏やかなものとなる。

≪空間≫を『自分』と認識すると、その「姿」からは『水』のような『透明感』を発するようになる。

分かりやすいのは『目』だよ。
目は、本質のあなたを素直に見せる、物質次元に開かれた『窓』なんだよ。

人間が次のステージで必要となってくる『感覚』と『真の前進』とは、

『同時にムジュンをしながら、進む』

言い換えると

『そこにあるすべてを越えて、進む』

『越えて』は、『認める』ということ。

『意識の前進』の方向は(←左 ・ 右→)ムジュン=二極のどちらか「一方」を、「何か」を選ぶことではなく
『左』か『右』かではなく、「左も 右も 理解し認めた状態」で、今 あなたの向いている方向↑


目の前にある、 その『道』だからね。


この仕組みを『当たり前のこと』として受け入れられるようになることが望ましいけれど、この世界では頭が柔らかくないと受け入れることが難しい。
そのため、その準備体操として「矛盾」は望まれて存在をしている。(← ・ →)

望んでいるのは、人間だよ。

『意識の解放』とは、
「ムジュン」を支持することになる「ひとつの方向」に意識を進ませないということ。
「どれか」を、「何か」を、「信じる」という方向ではないんだよ。

≪本質≫ の『あなた』は、「どれ」とも「なに」ともいえない ≪空間≫にいて
そこは『意識の解放』の先にあるんだよ。


無は無意識の無ではなく光

2020-08-22 11:05:54 | 連絡網《ヒ》
 
意識の領域を『認識する』ということは、その領域は『空っぽ』ということなんだけど、それは『空白』という意味とは違うよ。
そこに なにも無いわけじゃない。
もちろん目には見えないけれど、そこには純化された≪空間≫が生まれるんだ。

意識を『把握する』ということは、その把握する全ての領域が『無』ということ。
しかし、その『無』は「無意識」の「無」とは違うよ。
意識を『把握する』ということは、その 把握している領域には『光』が行き届いていている状態ということ。

光で照らされた意識領域は『無』となるが、その『無』は「無意識」の「無」ではない。
『無』であるためには、「無意識」の自分を回収していくこと。

「回収」とは、自分を『知る』ということ。

知らなかった自分、もうひとりの自分、思考で自覚している自分とは相反する、思いもよらない自分が「無意識」には存在するもの。

「無意識」のあなたは、『あなた』よりも積極的なの。
あなたが自分の「無意識」を放置していると、「無意識」のあなたは『あなた』の意思を無視して勝手に動き回り、あなたの『意識領域』は「無法地帯」となるのよ。

『無』は『本質』への入口。
しかし「無意識」は「盲目」とおなじ。

「無意識」の自分が回収されていくということは、あなたが「無意識」の自分を『知る』ということ。
もっと踏み込んで言ったら『受け入れる』ということ。

最初はいまいちピンと来ないかもしれない。
だって、その『あなた』は「無自覚のあなた」なのだから。

しかし『まさかの自分』を知るチャンスが訪れたなら、じたばたせずに素直に受け入れてみると
そのうち「無意識のあなた」は、『あなた』に「意識」される。

『意識する』ことは『認識する』ことと おなじ。
すると、そこには光が照らされる。
光で照らされた『意識の領域』は、『無』の空間となる。

その、無の≪空間≫に『ほんとうのあなた』はいるのよ。


ここに無いあなたが本質

2020-08-11 20:58:17 | 連絡網《ヒ》
『人間』は、一見なにも『無い』とされる≪空間≫に『本質』の自分がいる。
物質として在る肉体の自分を、超微細なマクロの視点で観察してごらん。
そこには、目視することのできない微細な粒子で構成される「最小単位」の『自分』が見えてくる。

果たして その微細な『粒子』を、あなたは『自分』だと認識できるかな。
どれを『自分』と認識しても構わないし、焦点をどこに合わせるのかも自由。

あなたは、どの『自分』を ≪自分≫としたい?

その視点によって確実に変わるのが、あなたを取り囲む『世界』の『在り方』なのよ。

超微細な『粒子』を存在させている≪空間≫があることに気がついたかな。

その≪空間≫こそが、真実を知る最も『尊い』存在なんだ。

あなたが≪本質≫の自分を≪自分≫としたいのなら、その『あなた』へと繋がる情報は、その≪空間≫にある。

その視点に気付いたかな?


すべてがそこにある自由

2020-08-08 22:26:28 | 連絡網《ヒ》
 
『意識の世界は『なんでもあり』の世界』

でも それは、あなたの『好き勝手』『思い通り』に振る舞っても良いという意味の『なんでもあり』のことではないのよ。

『なんでもあり』の意味するところは、あなたの『思考』では『把握』することも『理解』することも難しい構造をしているという意味をポジティブに表現したもの。

その『なんでもあり』の世界に自分を寄り添わせてゆくには、この世界でいうところの「矛盾」を受け入れていくしかないの。

『思考』に「矛盾」を与えて激しく混乱させると、『思考』は立ち止まる。

『思考』は、つじつまを合わせて物事を理解したいし、一方向に向かった解釈ができないと納得はできないし、証明がないと受け入れられない。

しかし、それを繰り返しているうちは『思考』の枠から出ることはできないの。それほどまでに あなたたちの『思考』は、 『現実の価値観』や『自分のルール』に縛られている。


そもそも それが「ムジュン」だなんて、いったい 誰が決めたのかしら?


わたしたちの世界では、それが普通のことなのに。
「ムジュン」は、常に『同時』に『存在するもの』なのよ。
それを「ムジュン」という言葉で解釈するのは もう、卒業しなきゃ。

だってそれは「ムジュン」なのではなく、ただ『すべてがそこに在る』だけなのよ。

その『すべて』が『存在する自由』を、あなたの価値観でジャッジしてはいけないのよ。

「ムジュン」は、単にあなたたちの『思考』が受け入れ難いことに対して抱くもの。あなたたちの視点から生まれた独自の概念。


自らの自由を縛っているだけなのに、いつまでもそれが手放せずにいるだけなのよ。


『すべてがそこに在る自由』を「矛盾」としないために、段階を経てあなたたちは人生を通して様々な「ムジュン」を味わってゆく。

それがとても辛く『葛藤』があることも理解している。

でも安心して
あなたが「ムジュン」を感じた瞬間、意識の『解放』は始まっている。

『意識の前進』は「矛盾」を越えた先にあるのよ。