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無は無意識の無ではなく光

2020-08-22 11:05:54 | 連絡網《ヒ》
 
意識の領域を『認識する』ということは、その領域は『空っぽ』ということなんだけど、それは『空白』という意味とは違うよ。
そこに なにも無いわけじゃない。
もちろん目には見えないけれど、そこには純化された≪空間≫が生まれるんだ。

意識を『把握する』ということは、その把握する全ての領域が『無』ということ。
しかし、その『無』は「無意識」の「無」とは違うよ。
意識を『把握する』ということは、その 把握している領域には『光』が行き届いていている状態ということ。

光で照らされた意識領域は『無』となるが、その『無』は「無意識」の「無」ではない。
『無』であるためには、「無意識」の自分を回収していくこと。

「回収」とは、自分を『知る』ということ。

知らなかった自分、もうひとりの自分、思考で自覚している自分とは相反する、思いもよらない自分が「無意識」には存在するもの。

「無意識」のあなたは、『あなた』よりも積極的なの。
あなたが自分の「無意識」を放置していると、「無意識」のあなたは『あなた』の意思を無視して勝手に動き回り、あなたの『意識領域』は「無法地帯」となるのよ。

『無』は『本質』への入口。
しかし「無意識」は「盲目」とおなじ。

「無意識」の自分が回収されていくということは、あなたが「無意識」の自分を『知る』ということ。
もっと踏み込んで言ったら『受け入れる』ということ。

最初はいまいちピンと来ないかもしれない。
だって、その『あなた』は「無自覚のあなた」なのだから。

しかし『まさかの自分』を知るチャンスが訪れたなら、じたばたせずに素直に受け入れてみると
そのうち「無意識のあなた」は、『あなた』に「意識」される。

『意識する』ことは『認識する』ことと おなじ。
すると、そこには光が照らされる。
光で照らされた『意識の領域』は、『無』の空間となる。

その、無の≪空間≫に『ほんとうのあなた』はいるのよ。



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