後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡

~近江の國は歴史の縮図である~滋賀の知られざる郷土史を後世に伝える渾身の激白?徒然紀行アーカイブス(^o^)

園城寺余話(8)“弁慶の引摺鐘の伝説”

2014年12月03日 12時00分00秒 | 滋賀の伝説

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今回の園城寺余話は弁慶の引摺鐘(べんけいのひきずりがね)の伝説についてご紹介したいと存じます。


金堂の西山手に霊鐘堂(れいしょうどう)と呼ばれるお堂があります。ここには弁慶の引摺鐘と呼ばれる銅鐘が奉安されています。

 

無銘ですが奈良時代の作と言われ、国の重要文化財に指定されています。

 

弁慶とは皆さんご存知、源義経の忠臣・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)のことです。

 

その昔、同じ天台宗の寺院であった延暦寺と園城寺はとても仲が悪く、何かにつけ争いが絶えませんでした。

 

当時延暦寺で乱暴者として名の知れていた弁慶は、園城寺で散々暴れまわった後、あろうことかこの銅鐘を奪い取り、引き摺りながら延暦寺の大講堂まで運び上げます。

 

弁慶が早速この鐘を撞きますが、何と「イノー、イノー(関西弁で“帰りたい、帰りたい”)」と響くのです。

 

「そんなに園城寺に帰りたいのか!」と怒った弁慶は、園城寺目掛けて鐘を谷底へ投げ捨ててしまいます。

 

この銅鐘の乳(ち/梵鐘特有のイボ状の突起)の擦り切れや傷痕・破目(はめ/割れ)は、その際の痕跡であると伝えられています。

 

またこの鐘は寺に変事がある際、その前兆として不可思議な現象が生じるのだとか。良くないことが起こる時には鐘が汗を掻いて撞いても鳴らず、また良いことが起こる時には自然に鳴るのだそうです。

 

京都の将軍塚と似たエピソードですね(^^)


(園城寺余話、次回もお楽しみに・・・)



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