「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました
今回の園城寺余話はくじ山の伝説についてご紹介したいと存じます。
皇子山カントリークラブの裏手、皇子山総合運動公園より西方に望む位置に標高472mの如意ヶ嶽(にょいがたけ)があります。
この山はもともと園城寺の寺領で、昔から山笹(クマザサ)が沢山自生していました。
同じく園城寺の寺領で隣接する南滋賀村と藤尾村ではこの山笹を水田の肥料に活用していましたが、いつも互いの取り分が原因で争いが絶えませんでした。
この状況に困り果てた園城寺は仲裁に入り、6月は藤尾村、後の11ヶ月は南滋賀村に伐採の権利を与えることに決めます。
しかし南滋賀村は繁茂期である6月を藤尾村に譲らねばならないことに猛反発。事態は一向に収拾する気配を見せません。
この状況にとうとう堪忍袋の緒が切れた園城寺は、伐採権を2村とも剥奪すると言い出します。
流石に伐採権を取り上げられてはかなわないと、互いに解決策を協議。
結果、くじによって伐採の権利を決め、それ以来この山のことをくじ山と呼ぶそうになったそうです。
さて、滋賀側から見たこの山は、これといった特徴のないどこにでもある容姿の山。
でも京都側ではその様相を一変させます。
そう、この山は五山の送り火で有名な大文字山なのです。
正確には如意ヶ嶽の西側支峰にあたりますが、同じ山でこうも趣が変わる山も珍しいと思います。
かつては京と大津を繋ぐ経路の1つとして重要な拠点として機能していましたが、現在はハイキングコースとして活用されています。
(園城寺余話、次回もお楽しみに・・・)
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