『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の邪馬台国は、徳之島という事で現地を視察し色々な実証をつかんできました。
③邪馬台国は「徳之島」だった!? 中国貨幣(宝貝)出土は徳之島との交易の証。戸森の舟の線刻画(鉄器で描く)と不老不死薬、除服の坐像石は、徐福が最初に渡来して邪馬台国・卑弥呼の王国を誕生させた。
竹取翁博物館の小泉館長は、毛沢東が生きていた時代から中国に取材に行っていて中国の少数民族や遣唐使の関係で弘法大師・空海についても調べています。 『竹取物語』に出てくる「蓬莱山の不老不死薬」とも通じていて、そこらを調べているうちに、徳之島の徐福伝説につながり卑弥呼の「邪馬台国」との関係も見えてきたのです。
魏志倭人伝に記されている卑弥呼の邪馬台国は、何時か徳之島ということになるのではないかと現地を詳しく調査して歩き間違いないのではないかと自負しています。 江戸時代から卑弥呼の邪馬台国説は、大和・九州説だと新聞や書物でマスコミ陣が取上げられ論争が続いています。この為に突拍子もない説を突然で述べても誰も信じて頂けないので「ネット」で公開することにしました。
また、2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符!?」展を開催します。■取材等お問合せ『竹取翁博物館』館長 小泉芳孝。京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522
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