2年生(もぅすぐ3年生)という時に読みました。
くまの校長先生は毎朝、校門で子どもたちに「おはよう
」と大きな声で挨拶をしてくれます。
でも、ひつじくんの「おはよう」はいつも小さな声。
校長先生は「勇気を出してごらん」と言いますが、ひつじくんには大きな声を出せない理由がありました。
その理由とは?
夜、寝ている時に聞こえてくる、お父さんとお母さんのケンカの声…
お母さんが、ひつじくんを叱る時の声…
ひつじくんにとって大きな声は、とても悲しいものであり怖いものだったのです。
校長先生は病気になり入院してしまいました。
子どもたちはお手紙を書いて送りました。
ひつじくんのお手紙は
~省略~「校長先生に会えたら勇気が湧いてくると思います。」
校長先生は、お医者さんに病院から学校へ通うことを許してもらいます。
自分が病気になって【大きな声を出そうと思っても、出せない時がある】ということを初めて理解したからです。
でも…
無理をして倒れてしまいました。
その時、一緒にいたのはひつじくん。
精一杯の大きな声で、ひつじくんは助けを呼びました。
この本のモデルとなった校長先生が実際にいらっしゃいます。
神奈川県茅ヶ崎市の浜之郷小学校で校長先生をしていらっしゃった大瀬敏昭先生です。
大瀬先生は、お医者さんに「あと三ヶ月の命です」と言われても学校へ通い【命の授業】を続けたそぅです。
「子どもは明るく元気が一番と、大人は思い込んでしまいます。
でも本当は、子どもは小さくて弱いものなのです。
子どもたちの痛みを分かち合うのが、大人の役目だと思います。」
とお話してくださったそぅです。
この絵本作者の、こんのひとみさんは最後にこう綴っています。
誰でもみんな命をもっています。
これまでの私は、それぞれの命には限りがあると考えていました。
でも今はこう思うのです。
「おはよう」を言えなくなっても、一緒に遊べなくなっても
いつか訪れるさようならの日まで精一杯生きたとしたら
その人はずっと誰かの心の中で生きていられるのだって。
だからこそ私たちは、その日まで、一生懸命に生きていくのだと思います。
『命の授業』が今、どこででも、誰かが『授業』としてしてくださってます。
『命の授業』として、誰かが教壇やステージに立って
《しなくてはいけない》世の中になっているのは、なぜでしょうか?
親として教えられること・教えるべきことでもあるのではないかと思うのですが…
キッカケがないと気づかない時もありますけどね。
ただ「時代だから仕方ない」で済ましてほしくない・済ましてはいけないと、あらためて思いました。