4月8日と4月15日に国立西洋美術館にて鑑賞しました。
日伊国交150年記念。現在確認されている作品数は60点ほどで多くはなく大型祭壇画など移動不可能な作品もある中、11点もの作品が日本に来て一気に鑑賞できるのは大変な幸運だと思いました。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610 年)の作品はまるで鑑賞する私たちの目の前で奇跡を起こすのを目撃するような、奇跡の瞬間を確認し共有するような感覚になる強いインパクトを持ってます。
これまでのルネッサンス美術が、作品の中で美しい色彩で理想の人を光に満ちて再現されている感覚とは違う。単純化された暗い背景から浮かび上がり否応なく注目してしまう骨太な人物は実存感を持ち、その顔立ちはキリスト以外は街で見かける市井の人のもの、まるで奇跡は身近に存在してるようにみえる。現代美術でいえばハイパーリアリズムに近い驚きを感じます。それは16~17世紀の人々にとってはこれまでの絵画の常識を覆される強い衝撃を与える絵画であったに違いありません。
カラヴァッジョ自身はかなり攻撃的な性格で、何度も裁判沙汰となりいさかいの絶えない人生を送り、ついには殺人も犯し38年の短い人生の後半は逃亡生活をしたことを考えると、人間的には問題の多い人物だったようです。でも、彼の作品には人を惹きつける強烈な魔力を放っている。ルネッサンス絵画も疲弊しこれまでとは違う新しい絵画世界を模索していた多くの才能ある画家は、彼の作品に驚き惹きつけられ追随者「カラヴァジェスキ」となり、その追随者の作品の素晴らしさから更に影響を受けた画家が出現し次の絵画世界に浸透していった。バロック時代以降の明暗の効果をドラマティックに描いた作品はみなカラヴァッジョからの影響をうけている事をおもうとカラヴァッジョの才能の偉大さを感じます。
勿論彼の明暗のくっきりした骨太な人物表現は突然変異で生まれた技法ではないそうです。出身の北イタリアのロンバルディア地方(ミラノで生まれ近郊のカラバッジョという街で育ったらしい)の美術はすでに暗い背景から人物を浮かび上がらせてリアルに描く特徴があったそうです。そこで絵画の教育を受け、静物画の表現の巧みさで評判となったそうです。
そして更に明暗の効果を卓越した技術で迫真性まで高めていったのがカラヴァッジョ絵画
今回の展覧会では7つのテーマに合わせて11点のカラヴァッジョ作品と40点のカラヴァジェスキの作品が展示されてました。カラヴァッジョはもちろん、カラヴァジェスキの作品も素晴らしく、印象に残った作品をどちらも何点か載せたいと思います。
第二のテーマ「風俗画;五感」より
『トカゲに噛まれる少年』1596-97 年頃
痛みを表している作品。モデルはカラヴァッジョの自画像だそうです。中肉中背のカールした黒髪の青年。花を髪に指し片方の肩をはだけて思わせぶりな姿で、ちょっと大げさな表情で痛覚を表現してます。その表情はチャーミングで魅力的。同じ痛覚を表したカラヴァジェスキ作品もありましたがやはりこの作品がいい!。
そして手前には評判の高い得意な静物が描かれてます。植物の見事さ、水の入った透明ガラスの花瓶の迫真性が素晴らしい。
そしてこれは私の勝手な感想ですが、この絵の青年を見て思わずマーク・ボランを思い出しました。
1970年代前半のグラムロックバンド T・REXのボーカルです。似てませんか?
『ナルキッソス』1599 年頃
視覚を表している。
水面に投影された自分の姿に恋をしてしまったナルキッソス。左手で相手に触れようと差し伸べると水面は波紋を生じ見えなくなるのがせつない。
現実世界に背を向きバーチャルの世界に入り込んでいる現代の青年の様だとも思いました。
自分の心のなかでその世界はリアルで果てしなく広い世界なのだけど、周りの人からは理解されず、やがて現実とバーチャルとの矛盾や軋みが表面化していく。
ナルキッソスと水面に鏡のように映る自分の姿で一つの輪ができて完結していて、彼の世界には他人は容易には入れない拒絶感を感じます。でも、
ナルキッソスは破滅してしまいましたが、きっとどこかで他の世界と接点があって融合する部分があるのではと個人的に感じています。少なくともバーチャルな世界であれ自分の世界を持っている事自体は豊かな事ではないかと思うのです。
第三のテーマは「静物」
『果物籠を持つ少年』1593-94年
少年よりも果物と果物籠が主役の作品。筆の細かさにはっきり差があります。静物画が得意と言われたカラヴァッジョの真骨頂・この作品に続きカラヴァジェスキの描く静物画が並んで展示されてましたが、ご本家はやはりとびぬけていました。物憂げな表情の少年は先ほどのトカゲに咬まれた少年によく似ているのでカラヴァッジョ本人の可能性が高いです。こちらも片方の肩をはだけてますが、これは同性愛的な意味があるのか、それとも果物の新鮮さを演出するためにそうしたのか・・・?
瑞々しい少年にかしずかれた瑞々しい果物。
『バッカス』1597-98年
異教の神様はやっぱり思わせぶりですでに酔ってるらしくほんのり赤ら顔で黒い帯を右手でもてあそんでる。色っぽいけど腕にはしっかりと筋肉がついて怒ると怖そうです。
この切れ長の流し目が日本の仏像を思い起こしました。
やはり手前の静物そして白い流れるようなひだを作る布の描写が素晴らしい。そしてこの作品はバッカス神の存在感も強い。
第五のテーマは「光」
『エマオの晩餐』1606 年
殺人を犯し、逃亡中に描いた作品。
近くで見ると筆致はさほど細かくはないのですが、それでいてとてもリアルな存在感を作ってます。
静かに佇むキリストを静かに驚きと畏敬の念で見る人たち。大げさな演出はなく、それでいて心の残る作品でした。キリストの顔立ちには穏やかな崇高さを感じます。彼はやはり特別。
カラヴァッジョの作品の中の光は、神からの光。知の光。光源は描かれていないそうです。
ヘリット・ファン・ホントホルスト『キリストの降誕』1620 年頃
オランダの画家。こちらは、幼子キリスト自体が光を発していて布を持つ聖母マリア、そして手を合わせて見つめる天使たちの顔に光が反射してます。
北方ヨーロッパでは光源を画面にはっきり描く絵画が描かれるようになったのだそうです。
日差しが明るい南欧に比べて北欧は家の中で明かりを灯す生活が多いからかなあ
マリア様と天使の親しみやすい優しい表情がとても素敵で印象に残りました。後ろにヨセフもいますね
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『煙草を吸う男』1646 年
フランスの画家。ロウソクや松明の光で浮かび上がる人物像を描いて一つの頂点を作った人だそうです。
静かな生活の中に明暗の効果。それにしても暗い中絵を描くのはかなり困難もしくは不可能だろうと思うのに、こんな一瞬の暗闇の中の情景をどうやって描いたのだろう。記憶して描いたのだろうか。
第六のテーマは「斬首」
カラヴァッジョは聖書や神話の世界に出てくる斬首をテーマにした作品を多く残してます。
現在2014年にフランスはトゥールーズのアパート屋根裏から発見されて今月にカラヴァッジョ作品と判明した作品も『ホロフェルネスの首を切るユディット』でした。
他にもゴリアテの首を持つダビデ、メドゥーサの首の絵など。
それは
政変や宗教改革や弾圧のうねりのなかで斬首された首を見る機会が多かった時代背景もあったと思います。その時代どこの国でもそうであったようにも思えます。
斬首にまつわる作品がカラヴァッジョもカラヴァジェスキの作品もありましたが、印象に残った作品を載せます
『メドゥーサ』1597-98 年頃
武具の盾にキャンパスを貼って描かれています。戦いの女神が自分の盾にメドゥーサの首を付けた事に因み、盾にメドゥーサの飾りが多かったそうです。メドゥーサの盾は2作品あり、分析によって試行錯誤の跡が見られたのでこの作品が最初の作品だとわかったそうです。
部屋で一人だけにいる時にこの作品は見れないぞ(汗
マッシモ・スタンツィオーネ『アレクサンドリアの聖カタリナの頭部』
この画家は斬首された聖人のシリーズを描いていてその一つだそうです。血の気のうせた顏といい、とてもリアルで生々しくこちらの作品も怖かったです。現実を参考に描いてあるのにちがいないので。
こういう女性の斬首された姿も日常で目にすることが多かったのだろうなあ。
血の中に白いのが混じってますがそれはカタリナから乳の血が出たという言われがあるからだそうです。
第七のテーマは「聖母と聖人の新たな図像」
『洗礼者聖ヨハネ』1602 年
もう絶対身近なおにいさんをモデルにして描いたよね!って思った作品。痩せてるのにお腹の皮がたるんでいるのがまたリアルです。ヨハネは預言者であっても人間だからやはりごく身近にいる人のように描いてます。妙になまめかしい白い布を付けて赤い布を纏い荒野で生活してるわりに色白。どう解釈していいのだろうか。
『法悦のマグダラのマリア』1606年
2014年に発見され、今回が世界初公開となる作品。カラヴァッジョが逃亡し没する間際まで持っていたという3作品の一つ。
後の2作品の一つは未だ不明だそうで、残りの作品は「洗礼者ヨハネ」だそうですが、今回の展覧会には出品されてません。
カラヴァッジョご本人の思いがこもった作品。
涙をこぼし、下唇の血の気はうせていき、左腕が黒ずみながらもなお美しい彼女は死に行くのだろうか。
カラヴァッジョの内面の悲しみをマグダラのマリアが具現化して表しているように感じました。暗い背景にはうっすらと向かって左上方に簡素な十字架と茨の冠が描かれてました。
マグダラのマリア像は、宗教画以外にも個人の部屋用にヌードで描かれることが多かったそうですが、こちらは服を着てストイックな印象を受けます。
タンツィオ・ダ・ヴァラッド『長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教』
カラヴァッジョと同じくロンバルディア地方の画家。日本人として看過できない作品。
豊臣秀吉によるキリスト教弾圧のため信者が犠牲になったことはイエズス会の報告によってカソリック教会の中で知られていったそうです。
当時の様子を描いた銅版画を元にした作品。手前の日本の民衆の姿が驚くほどリアルなのに対し。後方磔にした信者を槍でつついている侍はまるでヨーロッパの兵士の様です。
カラヴァッジョの大きな祭壇画を写真で見ると、暗い背景から浮かぶ人々の姿がとても感動的で、きっと教会に赴いて間近でお会いしたら涙が出てしまうだろうと思うのです。
この日本の殉教の作品は大きな作品ではないけれど、明暗によって悲劇性がより伝わってきます。
カラヴァッジョの影響あっての作品。日本の信者の悲劇をヨーロッパでも悼んでいたのですね。
最後に
『エッケ・ホモ』1605年
ローマの総督ピラトはキリストに罪はないと思い「彼を見よ(エッケ・ホモ)」とキリストを群衆に見せる。
群集はキリストの処刑を叫び、その言葉に従うピラト。
額に深い皺を刻んだピラトがキリストを指しながら見ているのは群集=鑑賞する私たち。お前たちはどうする。どう判断する。と今も私たちに問いを投げかけてます。
キリストは、痩せているが崇高な美しさをもって描かれている。そして静かにこれからの自分の運命を受け入れるような、多少のあきらめも感じる。
この作品を注文したマッシミ枢機卿は他の二人の画家にも同主題で描かせていて、そのうちの一人チゴリの作品も展示されていました。チゴリの哀感の込めた作品も良さがありましたが、この作品はピラトの鋭い目つきが見る者に訴えかけ、そしてすべてを受け入れる覚悟を持つキリストの静かな佇まいは、そのスーパーテクニックの画力と共に一際冴えてました。
6月12日まで開催されてます。
カラバッジョの系譜のリアリズムも、ボッティチェリの幸福な時代の絵画も、今年前半にどちらも見れたのは本当に幸せでした。
とても見応えがありますのでお勧めです!
記事読ませていただきました!
掲載の画像が迫力あってとても読み応えありました。
美術展の感想って、一つ一つの作品に感じたものを言葉にするのがとても難しいので、つくるのが大変ですよね。
そんなところも、blueashさんの文章からとてもよく伝わってきます。
さっき、日曜美術館も見たのですが、これもなかなか勉強になりました。
体調はいかがですか?ご無理なさらない様にご自愛下さいね。
読んでくださりありがとうございます\(^o^)/♪
私も今月やっとこの展覧会を鑑賞することができました
そうなんです、始めたころは画像は小さく少なかったのですが、だんだん大きく多くなってきてしまいました。特に今回は全体のうねるような迫力と神宿る細部とが両方備わってるので思い切って大きな画像にしました。
実は、展覧会レポの目的が自分の備忘録でもあるのです。後で読み返して、ああ、こんな作品があったんだと思い出せるように。
作品につけた短い文章は作品の前で感じた事をその場で頭の中で言葉にしてレポを作る時に思い出してパソコンのキーボードに打ってます。そうするとその言葉から会場の雰囲気が頭の中で再現されるので。そこは割とスムースに書けますが、
最初の文章は、ごみつさんが言われているとおり難しくて文章を作るのに時間がかかっています。やはり見抜かれてましたか(汗)
日曜美術館、私も見ました(^_^)v展覧会にはない作品も含めてカラヴァッジョの人となりがわかり感想文の参考にもさせてもらいました☆
そして体調を気遣っていただきありがとうございます。だいぶ良くなりました。大丈夫な時はケロッとしてるのに、ちょっと崩すとネガティブになってしまう自分をもう少ししっかりさせないと
カルロ・ジェズアルド(1566-1613年)という音楽家は初めて聞いた名前なので調べてみました・・・・なんというか、人とのかかわりを持てない方だったようですね(@_@;)
身分がかなり高く生活に困らない人だったから殺人しても生活が守られていて再婚までしちゃって・・・最初の奥様の気持ちもわかる気がするし、可愛そう・・・
音楽も聞いてみました・・・なんというか、自分の美学を持ってる人なんだろうと思いました。
カラヴァッジョも気性の激しい人だったし、人間関係も問題を起こしてばかりだったようですが、貧しさから這い上がって人々の共感を得る絵画を作り、後世に多大な影響力を持ったので多分人間的にはたくましい方だと思います。
ジェズアルドは内向的かつ陰で人間関係は破綻してしまってる。身分が高いから彼に意見したり正す人がいなかったのでどんどん自己中心に偏ってしまったのでは、と勝手に想像してしまいました。
とうとう精神を壊し晩年は自分を傷つけ続ける。哀しい人ですね。繊細な音楽はとても美しくて、本当はもっともっと人と慈しみあって暮らしたかっただろうに。
驚いたことに全くの同時代人なのですね!同じイタリア人だし。
・・・という事はお互いに名前を知っていた可能性が高い。当時のイタリアは狂気のはらんだ時代でもあったんだと改めて感じました。
同時代の絵画と音楽を両方知ると、時代の空気まで感じられる気がして興味深いです。すごく参考になりました。ありがとうございます!