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特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」

2013-11-29 23:41:11 | 一期一絵

11月14日(木)に混雑を予想して早めに行きましたが、すでに大勢の鑑賞者が見に来ていました。



京都にいても、これだけそろった作品群をみれるのはめったにない。廃仏毀釈で外国に渡ってしまった作品もこのために里帰りしているというのです。会場には熱気も感じられました。

第1部は京都の町を眺めます

会場に入ると大きなスクリーンが現れます。スクリーンには次々と「洛中洛外図屏風」舟木本の中の様々な部分を次々とクローズアップして表示。その映像は色が鮮やかで、金雲がまぶしく、人々の表情は豊かで生き生きとして歓声やざわめきが聞こえてくるようです。

そのあと最初に見る作品がこの「洛中洛外図屏風」舟木本(江戸時代 17世紀 東京国立博物館所蔵)
本物は全体がもう少し茶ばんでいて、スクリーンでみるほど鮮やかではなかったのですが、それは時の流れで色が変わったのでしょう。桃山時代では目もくらむぐらい鮮やかでインパクトは強かったに違いありません。近くで見ると確かに様々な人々が賑やかに京都の暮らしを謳歌していました。


屏風はそれなりに大画面ですが京都を俯瞰した画面なのでかなり細かい絵です。私も含め近づいて鑑賞したい人でひしめいて、なかなかゆっくり鑑賞できなかったのですが、絵の中も人々が端から端までひしめいています。全部確認するには根気と時間と体力も必要。条件がゆるせばやってみたいですが。
スクリーンに映った町の人を探すのは、「ウォーリーを探せ」状態(^^;)それにスクリーンやパネルに紹介されてない部分でもそれぞれに描かれた人物はその人の物語を持っているようなのです。

画面は右から左へと視点が移ります。
まず右隻(うせき)から

右端上部に豊国神社があります。


豊国神社の門でお茶を売っている人。      

そこから視点がスタートする。
右側中央の大きな赤いお寺は豊臣家ゆかりの方広寺大仏殿。

現在はありません。
その大仏殿の上方には清水寺の舞台。・・・といっても細かすぎてわかりませんね(;^ω^)     

画面に大きく描かれていて目に付くのは

花見の帰りに浮かれて五条大橋を渡る人々。斜めに流れる川は鴨川。五条大橋は豊臣秀吉が建造させた橋だそうです。


上の写真の左端の拡大。橋を渡ったところにある床屋さん。前髪を剃ってもらっていて、落ちた髪を受け止めれるよう白い布を持たされている。若いお侍さんですね。

右隻の左側から左隻の右側にかけて京都の商店街や歓楽街が描かれ、歌舞伎、能、人形浄瑠璃に楽しむ人々、遊女と戯れている男たちが描かれてます。

これは人形浄瑠璃


左側下の隅っこに行水してる美人さんのシーンも(#^.^#)



トーハク(東京国立博物館)のホームページに掲載されていた図版をもとに部分部分をお見せしましたが、他にもいっぱいいろんなシーンがあり、想像力を膨らませられます。


そして左隻(させき)に入ります

右隻の左側から見えた歓楽街や娯楽施設の続きが見えます。やっぱり遊女と戯れている男たちがいます。
右下の東寺のお堂では大勢のお坊さんが念仏を唱えていて、お堂の外には信者が大勢集ってます。
建物の続きの窓辺にこんなお坊さんも

相手は美少年かな美人さんかな?まんざらでもなさそうな表情です。

商店街では様々な店が軒をつらねてます。いくつかの布教活動もところどころ見られます。
そして上部に祇園祭の賑わいが見えてきます。 
(手持ちの分冊百科から撮影)
大きなパラシュートみたいな飾りを付けたり、南蛮人の扮装をしたり、お面をかぶったり、祭りを盛り上げてます。
下の方にはお坊さんたちの布教活動のようです。 

左隻中央あたりで疾走する武士たち

彼らは画面左にある二条城に向かってます。下に少年に声をかけているお坊さん。ん?やっぱり意味深に見える(*´з`)


左側には京都御所が見え、ちょうど雅楽を催しています


そして左端に描かれているのは二条城。だれか重要な人物が来たところのようです。
厨房では正装した料理人が魚をさばいてます


二条城下には奉行所があって女性の言い分を聞きいれて今まさに判決を下すところのようです。



その二条城のそばになぜか入口に鳥居のようなものがある橋があり、そこに佇む身なりのいい家族が作者の家族と言われています

この柵のような鳥居のようなものが不思議です。これがあるのにどうやって荷物を積んだ牛が橋を渡れてるのだろう。
そしてその柵の上に膝を置いて家族を眺めている子供。よく見ると座ってないのです

この舟木本は戦後に発見された屏風だそうです。作者ははっきり断定できないそうですが、岩佐又兵衛ではないかといわれているそうです。
岩佐又兵衛の描く人物は顎ががっしりしていて、極彩色で「豊国祭礼図屏風」を描いていてとても絵が似ているので成程そうかもしれないと思います。
その又兵衛さん自身がまた映画や大河ドラマの主人公にでもなれそうなぐらい数奇な運命を生きた方です。
父荒木村重は織田信長の重臣で一国一城の主。でも信長に反旗を翻して怒りをかい城を攻められ、父のみ脱出。城に残った家族と家臣そして家臣の家族は信長軍に虐殺されます。又兵衛だけが乳母に連れられ逃げ延びたそうです。きっと大事な跡取りだけは守ろうと城の人たちは命を懸けて幼子を脱出させたのでしょうね・・・。
又兵衛は母の姓を名乗り石山本願寺に預けられ、後に織田信長の息子信雄に仕えます。父は茶人となり豊臣秀吉に仕えます。・・・乱世では生き延びることこそが大切なんでしょうねきっと。
又兵衛は父の家臣池田重元の子狩野内膳に絵を教えてもらったそうです。内膳は狩野家の人間ではないのですが、永徳らとともに絵を学び狩野姓をもつことを許された画家です。他にもやまと絵も学んだそうです。
岩佐又兵衛は時に極彩色で残酷な絵も描きます。牛若丸の母の悲劇と成長した義経の復讐を描いた「山中常盤物語絵巻」。
そんな心の中に一族の悲劇を宿している又兵衛が描いたとされるこの舟木本は、とてもとても人生やこの世を肯定しているのに驚きます。
信長の時代はとうに過ぎ、秀吉もすでにいなく、権力は徳川家康の方に向かっている世の中。京都の栄えている様子を自慢げに表現するようにと注文をうけたからなのでしょうが、建物に比して大き目に描かれた人物は悲しんでいる人やかわいそうな人が見つからないのです。みんなこの世の平和と繁栄を楽しんでいる。
その屏風の左端近く、橋の欄干にいる家族が又兵衛の家族なら、きっと家族に平和で豊かな都を見せてあげたかったのだろうな、と思いました。そして一城の主じゃなくても、名を残さなくても、平和な世の中で家族仲良く暮らすことこそが幸せと、絵に託したのではないかと感じました。
この鳥居のような柵のような木でできている物とその上の子供は、洛中洛外の人からは見えない存在のような気がします。子供が家族を見つめる後ろ姿がとても切ない。

洛中洛外図屏風はまだあります。作品の保護のために舟木本以外は大概前期展示と後期展示にわかれていました。

最高傑作と言われる狩野永徳の「洛中洛外図屏風」上杉本(室町時代 16世紀 山形・米沢市上杉博物館所蔵)
こちらは前期展示だったので電気パネルでの写真展示でしたが、それでもみんな集まってみてました。
右隻

右隻の右側上方に清水寺が見え、右側真ん中あたりには祇園祭の豪華な山車が描かれてました。

祇園祭は京都人の誇りなんでしょうね


そして左端に御所がありやはり雅楽を催してます。左端上方に比叡山があります。町民の家の屋根には石が置かれ、質素な暮らしぶりがうかがえました。

左隻

右端の鴨川神社から始まり、右側上方に金閣寺。真ん中の上方に龍安寺、その下画面の中央に細川殿、その左下方に一際立派な足利将軍邸があります。左側上方に嵐山渡月橋が描かれています。

よく見ると人々の営みが克明に描かれてます


この絵は足利将軍家が注文し、後に織田信長のもとに行き、そして上杉謙信に送られ上杉家が代々守ってきた屏風だそうです。
いずれも人物は小さく、緻密に人々の生活を描いています。


現存する最古の「洛中洛外図屏風」歴博甲本(室町時代 16世紀 千葉・国立歴史民俗博物館所蔵)は後期展示なので見ることができました。
この歴博甲本は左隻の左から画面を見るそうです。全体の構図は上杉本と似ています。
左隻

左から渡月橋、龍安寺、細川殿、上賀茂神社が描かれています。南御所も描かれていますが、このころの御所は南北に分かれていたのかな?
左端下には輪になって念仏踊りをするお坊さんと信者がいます

右隻

左端上方に比叡山、下に内裏、画面上方に長く鴨川が流れ、右上方に清水寺があります。

そしてやはり祇園祭の山車が見えます。


この絵は応仁の乱以降に、町が落ち着いた様子を描写しているようです。心なしか上杉本より町がひなびてます。


上杉本と歴博甲本が整然とした印象を受けるのは、建物や道がほぼ碁盤の眼のように平行かつ水平で安定した視線を持つからではないかと思います。描かれた人々も秩序を持って生活しているように見えました。
舟木本は斜めにわたる鴨川に合わせて道や建物もななめで、その分不安定になって、さらに建物や人物を大きく描写したので全体が動いて見えて、人物ももっと享楽的な感じを受けて、その迫力が私たちを圧倒します。

他にも洛中洛外図屏風は何点もありました。

そして第2部は絵の中の建物に入ります

さて京都の町を俯瞰した後は絵に描かれた建物に入って障壁画の世界へ(*'ω'*)
まずは京都御所

襖絵が展示されてました。 



群仙図襖 狩野永徳筆 安土桃山時代 1586年・・・17面のうち4面

京都御所の建物が南禅寺に移築され一緒に襖絵も南禅寺で保存されているそうです。現存する最古の宮廷の襖絵。
この4面の他にもまだまだ仙人が描かれています。そして絵の中の何人かが空を見上げているなと思ったら、空に仙人が浮かんでいました。残念ながらその描かれている面の画像がみつからなかったのでここに載せれないのですが。
スーパーマンやドラゴンボールのように体を横にはせず、立ったまま風に乗り、着物の袖と裾を風でなびかせて、ふいっと浮遊している感じでした。
その様子が素敵でした。
色合いも筆致も柔らかく雅で宮廷の雰囲気にとてもあってました。

紫宸殿の重要な儀式を行う広間の襖絵「賢聖障子絵(げんじょうのしょうじえ)」全20面(狩野孝信筆 江戸時代 1614年)が前期と後期で半分ずつ展示されてました。
真ん中の4面に1対の松と獅子、狛犬の絵があり、その襖に向かうように1面2人ずつ中国の賢人たち32人が立ち並んでいるように描かれています。

一部分だけの画像がありました。「仲山甫と太公望」
今も、京都御所の紫宸殿に新しい「賢聖障子絵」が飾られているそうです。
前期の展示に描かれている賢聖には諸葛孔明がいらしたそうです。
伝説の賢人たちも儀式に参列して見守っているのですね。

それから後期のみの展示である「牡丹図襖」も柔らかい雅な筆致で描かれていました。こちらも狩野孝信筆だそうです。



次に龍安寺
まずは超高精細映像4Kのカメラ3台で撮影し再現した石庭の四季の大画面の映像は圧巻でした。

風や鳥の鳴き声、雨や虫の音などもそれぞれの季節にふさわしく聞こえていました。

その石庭を眺める部屋に飾ってあった襖絵

列子図襖 江戸時代 17世紀
列子という仙人は空を飛ぶのが得意だったそうです。・・・してみると、京都御所の「群仙図襖」で空を浮遊していたのも列子だったのかしら?
松の葉や他の仙人の着物が風になびいていて、列子が風にのって浮遊しているのを想像できます。
こんな風にふわりと浮遊してみたい(*´ω`*)

この襖絵は明治の廃仏毀釈の嵐で売り出されてしまい、今はメトロポリタン美術館が所蔵して、初めての里帰りとなったそうです。


群仙図襖 江戸時代 17世紀

こちらも廃仏毀釈の嵐で行方がわからなくなり、後に発見されアメリカのお金持ちの好意で115年ぶりに帰ってきた絵だそうです。
もうひとつ「琴碁書画図」はまだ行方不明な2面があるそうで、今は龍安寺に返却された2面とメトロポリタン美術館所蔵の4面、シアトル美術館所蔵の4面がこの展覧会で一堂に集まったそうです。本来なら当たり前にお寺に置かれ、その襖絵のある部屋から石庭を眺めることができたはずですが、明治維新で日本を改革する気持ちが走り、仏教は国粋主義に反すると言ってお寺や仏像を蔑ろにしてしまったわずか数年で、日本は大切な文化を多く手放してしまったのですねぇ・・・。


そして最後に二条城

襖や壁の絵は大胆で大きくていかにも武士好みの迫力あるしつらえでした。

松鷹図の一部 狩野探幽筆 江戸時代1626年
この松にとまっているのはイヌワシなんだそうです。他に岩に佇むクマタカがいて滝の絵にはアオタカがいるそうです。
大広間にこの松鷹図が四面を囲むように装飾しているそうですが、部屋に入った御家人はあちこちから監視されている気分になったでしょう。


桜花雉子図 狩野尚信筆 江戸時代 1626年
桜の枝のくねくねぶりがすごい。やはり御所の柔らかい雰囲気とは違う武士のための絵。


今思うと、洛中洛外図には京都御所や二条城の塀の中の様子が描かれていましたが、気軽に入れるところではないのに、どうして知ったのだろう。
有力者に連れてってもらったのかな、想像力を駆使したのかな?
タイムスリップして入り組んだ路地に迷い込み、しばらく彷徨った気持ちになった展覧会でした☆


2 コメント

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ワンポイントw (パブロ・あいまーる)
2013-11-30 11:40:07
絶対、美少年ですね~(笑)@お坊w
すんごい細かく描かれてるんですね~、驚き!
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私も( *´艸`) (blueash)
2013-11-30 21:32:54
そう思います
お坊さんうへへ~って眼がスケベ
又兵衛さんも小さい時にお寺に預けられて育ったのだけど、そんなお坊さんがけっこういたのかなぁ、なんて思いましたよ。小さい頃、そんな目つきされたことがあったりして(^◇^)
このお坊さん、東寺にいます。描いた当時の東寺のお坊さんからよくクレームが来なかったものだと思いましたが、20世紀後半まであんまり知られてなかった屏風だから大丈夫だったのかな?
間夫に会いに行く若いお母さんがいたり、遊女に抱き着く男がいたり、単純に京都の繁栄を描写しただけでは終わらせない。皮肉を込めているのか、こんな世の中でいいのだと言ってるのか、ちょっと聞いてみたいです
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