第5部はすでに前半と後半に分けましたが、後半もとても内容が濃く、字数がかなり多くなってしまったので後半をさらに2回に分けてアップしますm(__;)m
第5部後半その1に入ります。
孫権軍が多大な犠牲を払って陥落させるも劉備軍に横取りされた荊州
当時自分たちの領地がなく、兵力もはるかに少なかった劉備軍にとっては他者に戦わせて奪うのはやむを得なかったし、荊州は曹操軍を倒して漢王朝再興するには必要な地であった。
それでも、自分たちの力で手に入れたわけではなかった事が遺恨となり、この後大きく尾を引いてゆきます。
益州の州都の成都。
孔明の元に兄の諸葛瑾が揚州(江東の孫権の地)から訪ねに来ます。その表情は緊迫していた。
諸葛瑾子瑜、諸葛亮孔明の兄で諸葛家の家長
孫権の命令で諸葛家一族38人が投獄された。諸葛瑾は劉備の元に行き荊州の返還の交渉を命じられ、不調に終われば敵に通じた罪として全員処刑されてしまうという。
さすがに青ざめる孔明。
2人はともに劉備に事情を話すと、張飛がそれを聞いて横から入り込んで勢い責める。張飛は・・・相手の事情もあるのに、いつも自分たちの利益しか考えないで感情的に相手を罵る
劉備は事情を察して、今は西蜀を得たばかりで安定してないので、まず長沙、零陵、桂陽の3郡を返還して、そのあと漢中を攻め取ったら残りを返還すると約束。
劉備の軍令の書状をもらった諸葛瑾は荊州の州都襄陽にいる関羽の元に行くと、関羽は拒絶する。
「荊州は曹操から奪い取ったもの、他人には譲れぬ。」
いえ、孫権軍が攻め落としたのを横取りしたじゃない。そのあと魯粛が劉備軍の元に行き、劉備と孔明と話し合って借用証明書を作ったのです。諸葛瑾も心の中でそう思ったのでは。
諸葛瑾はこれは主君である劉備殿の命令なのですぞと言うと、関羽は
「将 外にありては君命にも従わざることあり」と孫子の言葉を都合の良い解釈で言う。
さらに諸葛瑾は一族の命がかかっている事情を話しても聞き耳を立てない。なんでそんなに非情におなりになると諸葛瑾が抗議すると、軍師の兄じゃなきゃ命がないぞと脅して追い出してしまう。そのあと自慢のおひげを両手でファサーッてとく。
そして新しく江東の地から配属された役人は追い出すよう命令。さらに荊州軍を配備する。
揚州、江東の地。
孫権軍から零陵に新しく赴任した役人が傷と青あざ姿で帰ってきます。
出迎える副都督の呂蒙は「さぞ驚かれたでしょう」といたわり家まで送るように部下に命令。そして関羽のところに直接会いに行くという。周りが危険を心配するも大丈夫と言い、ただし軍を応戦できるよう配備するよう命令。部下の賈華(かか)がお供をすると申し出たので2人で荊州の関羽の元に行く。
彼らが来訪しても関羽は挨拶もせず知らんふりで書を読んでいる。たぶん、このポーズで決めて見せようと思ったのでしょう。髭を持つ手がポイント☆
2人は拱手してあいさつすると、やっとそなたは?と問う。
呉水軍の副都督の呂蒙ですと答えると、関羽は小ばかにするように
「そなたが有名な”呉下の阿蒙”か」と言う。気色ばむ賈華を停止して呂蒙は冷静に答える。
「将軍の仰る通り。私は昔、字を知らずあだ名は”呉下の阿蒙”でした。」
そして3郡の返還を改めて求めると、関羽はまたふんと鼻であしらって相手にならん帰ってもらう。話し合いたいなら魯粛をよこせという。
大都督は重病で遠出できないと言うと、仕方がない陸口まで行ってやる文句ないな、と言う。
その明らかに見下した様子に呂蒙は一瞬目を見開き、そして睨む。
今度は挨拶もせず踵を返して帰っていく。
呂蒙の心の中の一線が切れた
第2部では部下の孫乾にはとてもいい上司だったのに・・・。自分より明らかに下の立場の人には優しいけれど、位が高い人にはむしろ高圧的になる。それは関羽の有名な特質だと言われていましたが・・・。
言葉は凶器となる。だからこれまでの戦いで悪口を使って相手にダメージを与える作戦が何回もあった。でも今回は話し合いで殺し合いではない。
以前にも書きましたが・・・呂蒙は貧しい生まれで生活のために早くから一兵卒として先代の孫策軍に入り、勉学の機会に恵まれなかった。呂蒙は無学ながら才覚があり、また勇猛で孫権軍の地盤を固めることに貢献した武将で、大人になってから、軍務の合間に勉学に励み儒学者に勝るとも劣らないといわれる位の知性も備えていった。自分ではどうすることもできなかった過去の貧しさゆえの無学を馬鹿にするのはとても失礼。そしていまや副都督の地位にいる相手を見下した対応をするのもとても失礼。
自軍の軍師孔明の兄の諸葛瑾に対しても敬意と礼節を持たない。
関羽だって貧しい生まれから出世してきた人なのに、とびぬけた武勇を持つのですっかり傲慢になってしまっている。荊州で今や関羽はトップにいて諫める人がいない。関羽には諫める劉備がいてやっとバランスがとれる人だったようです。
会見の前日、大都督の魯粛は病をおして陸口に赴く。
咳き込む魯粛を気遣う武将たち。魯粛は3郡の返還を交渉するための会見で和平が目的だと言い、孫権軍の配備した水軍を後退させるよう呂蒙に命じる。
呂蒙がそれでは荊州軍に対し無防備になると懸念するが、魯粛は両軍が一触即発の状態では心穏やかに話し合えないという。
呂蒙はなおも難色を示し
「関羽は我々を小馬鹿に・・・」と言うと魯粛は言います。
「子明(呂蒙)よ、覚えておけ。江東の人間は人を見下しも人から見下されもせぬ。人を見下す者は必ず滅びる。違うか?」
その言葉に納得して軍を後退させる。
魯粛の言葉が呂蒙に響いたのでしょうね。夜寝床で咳き込む魯粛の警護にずっとついていました。多分警護は部下がする役目なのでしょうが、本来がお世話好きな人だもんね、自分がやらなきゃ気が済まないのでしょう。
まるで好きな女の子のそばを離れない男の子のようだなと思いました。
魯粛がもう帰って休むようにと言われても、就寝のお世話をしてから帰りますと答える。
そして兵士が足を洗うための桶を持ってくると呂蒙が自分が持つと取り上げ、魯粛のもとに運び、痩せた足を覆っていた布をほどいていく。
驚いた魯粛は
「子明、何の真似だ?」というと呂蒙は
「大都督は病を押して国務でご苦労を。足はむくみ腰も曲がりません。どうか私に。」という。魯粛はやはり驚いていて
「お前は江東の副都督だ、そんなことはさせられぬ」というと、呂蒙は答える。
「あなたは永遠に私の師匠です。大都督のご厚恩を想えば何でもありません。」
魯粛は
「我らは戦友、恩などない」というけれど、呂蒙は洗い続ける。
本当に魯粛の言葉が嬉しかったんだね。
会見当日、関羽は「江東の鼠輩などなんで恐れる?」と言い、平服姿に一棹帯刀し、青龍偃月刀を持たせた周倉だけをお供に小舟に乗って陸口まで赴く。
船着き場には孫権軍が揃い、呂蒙が代表して迎え入れ会見場所に案内する。
単刀会・・・
ピりピリしている孫権軍の武将たちが並ぶ場所で堂々と振舞う関羽。周倉は関羽の青龍偃月刀を持って後ろに控える。
魯粛は咳き込み、病気のせいでお酒が飲めないが遠慮なく飲むようにと関羽を歓迎し、呂蒙達に「漢寿亭侯」となった関羽にお祝いを言わせる。そして本題の3郡返還に入る。
関羽ははぐらかそうとするも魯粛はそうはさせないで冷静に問う。関羽はまた得意の持論を言う。
「尋ねるが、なぜ呉は荊州を我らが借りたものだと言う?荊州は我らが曹操から奪い返した漢の土地である。」
魯粛は本質を鋭く突いて話す人物。一歩も引かない。
「関将軍、そなたらがその土地を得る前は長坂坡の戦に敗れ九死に一生を得た状態だった。我らが国を挙げ曹操を赤壁で破らなければおそらく今頃劉皇叔と関将軍は曹操の元で囚われの身のはず。漢の土地などどうやって奪えました?」
魯粛の言葉に、不利を感じたのか周倉が口を出す(この人、同じ劉備軍の魏延と似ていて間違えてしまいます)
「天下の土地は德あるものの手に。江東のものに非ず」そして手にしている青龍偃月刀を床にどんと突く。
その言葉に呂蒙達呉の武将は帯刀している剣の柄(つか)に手をやる。余計なことを言った周倉を関羽は青龍偃月刀を取り上げ退場させたが、武将たちは柄に手を置いたままで今にも剣を抜こうとしている。
魯粛は立ち上がり関羽のそばに行き、
命が狙われていることを知らせ自分を人質に取って脱出しなさいとひっそり言って、さあ飲もうと無理してお酒を飲む。関羽は言われる通り魯粛を人質に。呂蒙達武将は一斉に剣を抜き、会見場の外で待機した兵士もみな剣を抜いたが魯粛がいて切りかかれない。
魯粛、随分やせてしまった・・・
魯粛を連れて船着き場に戻る関羽は問う。
「なぜ助ける?」魯粛は孫劉同盟を助けるためだという。関羽はあらためて3郡は返さないと伝えたが、魯粛はそれでも助けるという。
「そなたがここで斬られたら、呉が荊州を奪っても戦になるのは避けられない。そうなれば孫劉は曹操に飲み込まれてしまう。」
その言葉にハッとする関羽。皆が自軍の利益のみを考えていた中で魯粛だけは曹操軍に対抗するために同盟を壊してはいけないとわかっていた。関羽は魯粛に向かい言う。
「子敬(魯粛)殿、そなたは誠に義の人だ。敬服いたす。」
関羽は魯粛を江東の英雄と褒め、3郡の返還を了承。
魯粛は病で震えた手で拱手し、
関羽も拱手する。←やっときちんと挨拶したね
船出する関羽を見送った魯粛は力尽き倒れる
もう魯粛の体は力を失い、それでも静かに呂蒙が関羽を打ち取ろうとしたことを諫める。
単刀会でもし関羽を斬っても、8万の荊州軍は無傷で、必ず仇討ちに来るだろう。お前は孫劉で戦争をさせたいのか。呂蒙は神妙な表情になる。
魯粛は、ゆっくりと今後の対策を指針する。それはまさに師が弟子に伝授する様子でした。
返還された3郡には文官だけを送り、当分軍人を潜ませないで時期を待つように。関羽の気が緩む時、公瑾(周瑜)殿の遺志が実現できる。
・・・呂蒙の心の中に周瑜の想いがあることを魯粛はわかっている
この時、曹操軍が漢中を攻め陥落させたという知らせが入る。
魯粛は機を見てすぐに実行し成功させる曹操の非凡さに感嘆。これからは益州の劉備軍と曹操軍は隣り合わせになり、両軍の争いがおこることを予測。
それはむしろ孫権軍には有利となる。魯粛は問いかけます。
「子明よ、今、孫と劉と曹は3者鼎立状態にある。しかしだ、曹操と劉備は兵馬と領土において我が軍に勝っている。お前はどう思う?我が軍は今後どう対処する?」
「劉備と組み曹操に対抗します。」呂蒙はこれまで魯粛が守ってきた孫劉同盟をかんがみて答えると魯粛は少し微笑んで言います。
「半分は正しい」魯粛は少し身を起こし気力を振り絞るように言います。
「子明よ、劉備が弱く曹操が強い時、劉備が友で曹操が敵だ。劉備と組み曹操に対抗せよ。だが逆に劉備が強く曹操が弱い時は劉備は敵で曹操が友だ。曹操と組み劉備に対抗せよ。そうすることで江東は常に勝者だ。」
呂蒙は必死に聞きながら目に涙があふれていく
「大都督の深謀遠慮、肝に銘じます。」
魯粛は喀血。もう命が尽きる事を感じ呂蒙に孫権軍を託す。
そして主君孫権の名を言い、何か伝えたい様子
最後に孫権に私信を書きたいと呂蒙に机に連れて行ってもらい。
幻の主君に拱手。そして震える手で書こうとするもかなわず、息絶える。
「大都督!・・・」
呂蒙は泣きながら拝礼する。呂蒙は尊敬する周瑜と魯粛2人を看取った。そして3代目の大都督となる。
このドラマを見て魯粛を好きにならない人がいるのだろうか、と思う位素敵な人物でした。裏工作をしない人で、物腰は柔らかいけれど鋭く物事の本質を突いてゆく。そして単独で何度も劉備軍に直談判に行く強さを持っていて、孔明の理論にも関羽の威圧的な言い方にも動じず対抗していけた。それでいて配慮を忘れない。曹操軍の侵略には断固戦うことを勧めたが、私財は赤壁で孤児になった子の援助にあてていた。曹操と劉備がやがて帝位につくことを予想し、孫権にいずれ帝位につくことを勧めるという先を見通す洞察力も持っていました。この物語から魯粛がいなくなるのはとても寂しいです。46歳でした。
曹操軍の本拠地、豫洲の都、許都
天子の政をする宮廷内に百官たちが参上する。軍師の程昱は年を取って杖を突く軍師荀彧を支えるように一緒に入る。
臣下が皇帝を称えて言う「ワンスイ ワンスイ ワンワンスイ(万歳 万歳 万万歳)」の響きが面白いな、なんていつも思ってます。
朝議では百官たちが丞相曹操を魏王にするようにと献皇帝に訴える。傀儡の皇帝はいうことを聞くしかない。
こんな時、あっさり了承するのはいけないようで、推挙された曹操は形式上遠慮するような返答をする。その遠慮した言葉をとって、その通りと荀彧が声を上げる。荀彧は曹操軍第一の軍師だけども漢室への忠誠心を持っている。
漢の高祖皇帝は劉姓以外の者が王と称するのを禁じた。我々は漢臣。仁義にもとる立場を強いられませぬよう、と献帝に上奏。
だが程昱がその言葉を打ち消すように曹操が魏王になる事をもう一度上奏し、荀彧以外の臣下がひれ伏して懇願する。
失望した荀彧はゆっくりと周りを睨みながら去り際に言う。
「お歴々がた役立たずの漢臣たちよ、禄を食み国恩を受けながらついに今日枯れ木の一群と成り果ててしまったか。ささやかな気概さえ失ってしまったか、そなたたちには気概がないのか、そなたたちには気概を失ってしまったか、気概を失ってしまったか・・・。」
多分、ひれ伏して懇願した百官たちの中には、荀彧と同じく漢王朝への忠誠を誓っていた同志もいたのでしょうね。その言葉を絶望的な面持ちで聞いた献帝は、曹操を魏王に命じる。
朝議の帰り、曹植は近道して天子の車しか通れない白馬門を無理やり通ろうとすると、荀彧が見付け叱責する。かまわず通ろうとする曹植と激しく口論する。
そこへ曹操がやってきて曹植を平手打ちしてから白馬門の門番の処刑を命令。そして白馬門を壊すように命令して去る。
絶望して倒れた荀彧をみな助けないでいる、後から耿紀(こうき)という若者が気づいて助け起こす。
病に伏した荀彧を心配する程昱に、曹操は傍にある大きな菓子箱に果物を入れたからそれを荀彧の見舞いに持っていくようにと命じる。
荀彧の屋敷の門で程昱は敬意をこめて靴を脱いで入り、魏王からと言って届ける。が、荀彧は長話を良しとせずすぐに程昱を帰らせる。
一人になって3段の菓子箱を開けてみると、
中には何も入ってなかった。
全てを悟った荀彧は自刃する。
荀彧の位牌の前に曹操は息子曹丕を連れてくる。曹丕の持ってきた菓子箱には果物や菓子が詰められて中から取り出し霊前に供えられる。曹操は位牌に言葉をかける
「文若(荀彧)よそなたはわしにとって張良、よき右腕だった。そして兄弟だった。しかし惜しいかな、志を違えていた。
お前も世間の者もわしを見誤った。いずれ判る、時が証明する。わしが正しかったと。」
荀彧が亡くなった直後に起きた反乱で曹操の命が狙われ、捕まえた主犯の耿紀(白馬門の前で荀彧を助けた若者)にこういってます。
「耿少卿1つ教えてくれ、霊帝が即位して以降、漢室は日ごとに衰え腐敗していった。群雄が蜂起し乱世となり漢室全体がこの廃墟のようになった。わしが苦心惨憺してこの国を立て直し民が食えるようにした。腐敗した官吏たちも更生させた。微力ながらわしは尽力してきたと思う。なのになぜわしを恨み殺そうとする?お前たちは漢室をまた廃墟にしたいのか?」
今までと同じ政治をしたらまた同じことの繰り返しじゃないか。
一方、荀彧の考えもわかるのです。長年続いた王朝の伝統を大切にしていく気持ちは、まさにそういう国に私も住んでいるので。
どんなに貢献しても主君と志を違えてしまったら、もう死しか残ってないのだろうか。戦乱の世はかくも非情。それを誰よりも荀彧はわかっていたから運命を受け入れたのでしょう。
切れ者曹操の考えの先を読んで的確に判断する荀彧がいたから官途の戦いも大勝利へと導き、中原を制することができた「王佐の才」の言葉がふさわしい、風格を備えた名軍師でした。
常に命を狙われる曹操は疑り深く、耿紀の起こした反乱に驚いて曹操の御座所の五鳳楼に向かった臣下を、なかに反乱分子が混じっている可能性がある理由だけで全員処刑した。曹丕と曹彰も反乱を鎮圧するために父の御座所に行ったので命の危機を感じた。曹操は曹丕を呼び寄せる。
が、曹操は五鳳楼の上から武芸が得意でない曹丕が必死で敵と戦っていた姿を見ていたといい、曹丕を太子に指名すると告げる。曹丕の執念が実る。
そして司馬懿も曹操軍へ復帰。曹操は司馬懿を孔明や周瑜に匹敵する軍師と高く評価し重用する。
そこへ劉備軍が漢中に攻撃してきていることが報告される。だが、司馬懿は、劉備軍は勢いがあり豊かな領地を持ち今戦うべきではない、それより漢中より重要な地があるという。それは荊州。けれど曹操は漢中で劉備軍と直接対決することを決める。どうしても漢中を奪われたくなかったようです。
益州、成都では、
劉備軍が曹操軍が陥落させた漢中を全軍上げて攻め奪うことを決定。でも孔明は不安な表情になる。軍隊の主力が漢中に行って荊州が有事の時は大丈夫だろうか。孫権軍の攻撃を懸念する。張飛は意に介さない。
「腰抜けは敵じゃない。」
魯粛が孫劉同盟のためなるべく穏便にすませようと譲歩していたのが、劉備軍にはわかってなかったようです。関羽に続き張飛も孫権軍を見下している。
劉備軍は友好的だった魯粛がもういない事の重大さをわかっていない。
そして揚州、柴桑では
孫権が年若い将校の陸遜と話し合っていた。
漢中で曹操軍と劉備軍が戦うにあたり、双方から協力の要請がが来て、孫権軍が有利に選択できる立場になっている。・・・魯粛の言う通りだったね。
陸遜伯言(りくそんはくげん)
陸遜は両軍にそれぞれ協力を約束しつつ静観する事を提案。
孫権は思いついてさらに両軍の足元を見て10万ずつの兵糧を要求することにした。たしかに、両軍にとって、孫権軍が兵が手薄なところを突いてこない事こそが大切。条件をのむでしょう。
孫呉の軍は水軍では無敵だが、地上戦の主力の歩兵や騎馬隊は曹操軍や劉備軍から遅れをとっている。そこで両軍からの兵糧を騎馬隊と歩兵の調練に充てることにし、陸遜を副都督に任命し騎馬隊と歩兵の訓練の指揮をさせる。
名前の漢字が「陸遜」だけに、陸の道に孫家を進ませるのですねえ
漢中では曹操軍と劉備軍が激戦。
勢いづいた劉備軍は次々と曹操軍を打ち破る。
219年 定軍山の戦いで曹操軍の老将夏侯淵は劉備軍の老将黄忠に討ち取られる。
苦渋の表情の曹操の傍には、前は荀彧か程昱がついていたが、今は司馬懿がついている。
219年 漢中の戦い
曹操も劉備も戦場にて相対する
「玄徳、わしの後ろに40万の大軍がいる。投降せねば今日は貴様の命日になるぞ。」
「曹孟徳、今日の戦を私は18年待ち続けた。来年の今日はそなたの墓に詣でてやろう。」
戦のシーンはすごい迫力で、大量の戦車が繰り出され、歩兵は殺し合う。馬同士が正面衝突している場面はどう考えても馬が大変な怪我を負ってるように思えます。
曹操軍の本陣には曹操と司馬懿がいた。司馬懿は砂で作った戦陣模型を見ながら、馬超と魏延がまだ現れてないと言う。たちまち兵士から馬超と魏延のそれぞれの攻撃の報告がやってくる。が何とか対処できそうだ。だが、そのあと、戦々恐々とした表情で司馬懿が曹操のそばまで行って言う
「あと一人劉備の大将が見えませぬ。」趙雲が現れない。司馬懿は推測する。趙雲が現れないのは我らの最も手薄なところに出現するためでは。曹操がその手薄な所とはどこだと問いかけたとき、兵士が慌てて駆け込んでくる
「趙雲が我が本陣に!」周りが馬に乗って逃げるよう促す中頭痛で昏倒。多くの兵士を失った曹操軍は撤退。曹操の息子曹彰は軍の最後尾にいて曹操軍をしっかり守ってくれている。
頭痛で苦しみながら曹操は司馬懿に今後の劉備軍の動向予測と対策を問う。
この人孔明より2歳年上なだけなのに、ずいぶん老けていて、どこか得体のしれない雰囲気を持ってます。そして抜群の分析力を持っている。
司馬懿は劉備軍も兵を失い、兵糧の輸送も困難なので半年は動かないと予測。そして今後は孫権軍に荊州を攻撃させることを提案する。劉備軍が大勝し漢中も領土にした今、孫権の最も恐ろしい敵は劉備に変わったので今度は動くはず。
漢中にて
勝利した劉備軍が祝宴を上げ、臣下は劉備が漢中王になることを勧める。高祖劉邦もこの地で漢中王になってから兵を上げて漢王朝を築いた。
劉備も曹操の時と同じく遠慮する言い方はするけれど、その気でいる。
全て順調なのに孔明は不安に襲われ弟子の馬謖に漏らす。
「昔は敗北を経験しても恐怖を感じなかったが、今回の大勝で今までにない不安を感じる。歴史は教えてくれる『危険は喜びの最中に忍び寄る』。私の憂いはその危険がどこから来るのかわからぬことだ。」
荊州では
関羽は劉備軍が曹操軍と全面戦争に勝って漢中を奪ったことに大いに刺激されていた。1年以内に劉備軍が曹操軍を倒して天下も定まるだろうと予測して、自分も軍を率いて曹操軍の曽仁が守る樊城を攻め、その後劉備軍と合流して一気に許都を攻め落とす作戦を始めようとしていた。
荊州で関羽に仕える馬良は、樊城は守りの硬い城で10万の兵が防衛し曽仁は歴戦の強者であると言い。そして
「軍師(孔明)は入蜀の前、再三我々に『軽挙を慎み荊州を守れ』と。それにご主君も『樊城を取れ』とご命じには・・・」と恐る恐る言うと、関羽は憮然として答える。
「諸葛亮の受け売りか?」
どうも関羽は自分よりはるかに若い孔明が自分に命令口調なのが気に入らないようですね。
北上するには樊城攻略は必須といい、張飛も趙雲も軍功を上げているのに、荊州で座して見ていられるか、と本音を言う。
馬氏5兄弟のうち一番優秀と言われる馬良。右眉に白髪が混じっているので「白眉」と言われる。弟の馬謖と顔が似ています。
以降、独断で判断する関羽に対し、馬良は何度も食い下がって意見を述べるが関羽はことごとく無視してしまう。
先鋒に傅士仁(ふしじん)と糜芳(びぼう)を任命するが、出兵する前夜に酔っぱらい出火してしまう失態を起こす。激怒した関羽は斬首させようとするも、馬良が「先鋒を斬るのは士気に影響があるので、戦で償わせては」と言うので降格させ刑罰をさせてから、傅士仁には公安の城、糜芳には南郡の城に配置。馬良は不安になりまた言う。
「公安も南郡も要害の地、糜芳達の戦功は望まなくても、要害の地を任せてはなりません。また間違いを起こします。」
だが関羽は多くの兵を出兵させるため人材不足と言い
「呉の鼠となら戦える。」と言う。・・・また鼠呼ばわりして・・・
それでも馬良はなにか言おうとしたが、関羽は「もう言うな。」と命令してはねつける。
先鋒は関平と廖化が率いることになる。
許都では
関羽の出兵に対抗する将軍を募るが、勇猛で知られた関羽に対抗しようとする将軍が出てこない。曹操は于禁将軍を指名。今度は先鋒を募るがやはり皆名乗り出ない、曹操は誰もいないならわしが先鋒になると言うと龐徳という若い武将が名乗り出る。
龐德令明(ほうとくれいめい)
関羽と戦ってみなければどちらが強いかわからないじゃないかという龐德に曹操は喜び副将軍に任命するが、後から龐徳は元は馬超の部下で兄が蜀の役人と知り、劉備軍に寝返るかもしれないと副将軍を罷免させようとする。
龐徳は抗議する。捕虜となった自分を殺さず厚遇してくれたご恩に「肝脳地に塗れるとも」報いるために志願したと言う。だが疑い深い曹操はまだ信用しない。
「『将 外にありては君命にも従わざることあり』一度兵符を渡せばどんな命令でも出せる。」
信じられないのなら頭を割って死ぬとその場で石の床に何度も頭を打ち付ける。曹操は感銘を受け龐德を止め手を取って謝って、改めて副将に任命する。
第5部後半では、関羽の傲慢さが際立っていました。のちに神格化される武将なのにドラマでは美化されてなくて、一人の武将として欠点も描いているのに驚きました。
魯粛はこれまでお人よしのイメージだったのですが、このドラマでは透徹した見識とバランス感覚の優れた知将として描かれ感動的でした。
呂蒙が、魯粛が咳き込むと心配そうに見つめたり、魯粛が関羽に言う言葉にうんうん頷いている様子が個人的に気に入ったシーンでした。
そして曹操軍で頼もしい存在だった軍師荀彧の悲しい最期も心に残りました。
いよいよ関羽をめぐる戦いが始まる
第5部後半その2に続く
第1部 群雄割拠
第2部 中原遂鹿
第3部 赤壁大戦
第4部 荊州争奪
つわものどもと夢の中
第5部 英雄帰天(前半)
第5部 英雄帰天(後半その2)
いやいや、ここは本当に内容が濃すぎて、わけて記事にしたのも納得です。(^_^;)
まず関羽の単刀会のシーンね!関羽はこの傲慢さから身を滅ぼす事になりますが、ここの魯粛の姿には毎回涙がどわ~っと出てしまいます。
そして曹操陣営では、とうとう荀彧先生に空っぽのお弁当箱が~~。(号泣)とにかく、お話の複雑さと過酷さ、骨のある内容に関しては、曹操陣営のストーリーは郡を抜いていると思いますよね。
すーまーいーもいるし。
さて、陸遜は私が呉で最も愛する武将です。この後の巻での活躍となりますのでお楽しみに!
やっぱ三国志は最高!
わけて記事にしたこと、そう言ってくださりありがとうございます
好きな人物の大事なシーンをどうしても簡潔に要約ができませんでした。
キーボードに打ちながら、自分は何をしようとしているのか、とさすがに自問自答してしまいました
それで自分なりに考えたのは・・・簡潔に要約するというのは、多分ドラマの行方を俯瞰して全体の動きを記す事。詳しく書くことは、視点がぐっと下がって登場人物の目線になって実感して記す事なのかも・・・ということでした。
好きな人物と共感してしまって、どうしても詳しく書かないと気が済まないでいるのだと思いました。それだけ魅力的な人物が多いのは確かですね!
魯粛は本当に素敵な人物で、病気の症状が、実は身内と似ていまして、いつの間にか自分が呂蒙になって心配してました。
荀彧はまるで中国のトップ企業のやり手の重役、もしくは政府の中枢で政治を操作する高官のような印象を受けていたのですが、そんな隙のない人物が最後にどうしても譲れない政治理念で失脚して最期を迎えるのに時代を超えたリアリティを感じ、それがむしろ荀彧を好もしく感じました。
呂蒙はもうすっかり私の想い人なんです
曹操は、息子世代が成長していろいろ人間関係が錯綜して複雑な様相を示してますね!
そして、これからごみつさんが呉で一番愛する陸遜が活躍。こちらも楽しみです
本当に三国志は最高です